とある生徒の終幕 1

身体を捨て、生命を捨てたのに胃の空腹は満たされず、喉の渇きは潤わない。

吸血鬼、グールといったものが登場するファンタジーをよく読んだ。まさにこれは人と怪物の間で苦しむ主人公だ。

昨晩の鬼ごっこで得た食べ物を強く欲してしまう。血肉を口に含んで噛んで喉を通す。その甘美さと満腹感に満たされるも罪悪感からくる吐き気が食べたものを戻した。

「抗わないほうがいい。そのほうが楽だ」

ひらりひらりと黒い蝶が頭上で舞い、長野先生の声が発せられる。先生は桜尾 すみれと共に行動し、私とはこの蝶でやりとりをしていた。

「知っていますよ」

舌に残った酸味と唇から垂れる唾液に苦しみながら話す。

「受け入れると私は私ではなくなる。そうでしょう?」

黒蝶は沈黙する。

「でも、感謝しているんですよ。本当に、機会をくれた。我が儘にも付き合ってくれた。こんな回りくどいやり方をしなくてもよかったのに、先生は優しい人ですよね」

乾いた喉が血を求めて、肉の舌触りを欲する。強い衝動を抑えようと自身の手を噛む。

衝動は波となってやってくる。引いたかと思えば白泡をたてて波寄せてくる。平然と立って、来る波を受け止めてやりたいのに疲弊した精神と身体では低い波にも呑まれそうになる。

そんな時、私は彼女を思い出す。

それは自我を保つ作業だ。決意を固めるのだ。まだ怪物にはなれない。桜尾 すみれの末路を見届けるまでは。




佐矢 蛍とは幼馴染みだ。物心ついた頃から一緒にいる。だから、出会った記憶もない。

同じキリスト教徒で母親同士も仲が良かったから教会やキャンプ、旅行にも彼女はずっとそばにいた。

キャンプ場の泉では赤い夕暮れに反射してキラキラ光る湖畔を見送った。都会のホテルで地方では見られないチャンネルを夜遅くまで観て、親に怒られた。

心に焼きついた風景も親に怒られる時も彼女がいる。それが私たちの当たり前だった。

初めて夢を語り合った時もそうだった。

親に連れて行かれたミュージカル。あれは5、6歳の頃だったか。下町で働く煤だらけの少年が可憐なヒロインと出会い、物語が始まる。

音楽がキャラクターの心情を語り、色彩のライトが臨場感や哀愁感の背景を作る。そして、役者たちが物語を進行し、観客を引き込む。

生まれて初めての舞台だった。小さな私が強く惹かれたのはストーリーだった。

煤だらけの平凡な少年が事件に巻き込まれ、解決していく。悪漢から逃げるヒロインが窓から飛び降りて少年が受け止めるシーンが1番かっこよかった。怯えるヒロインに飛び降りる勇気を与える少年の台詞。あれがまた良いのだ。

それを言った途端、少年はヒロインにとっての唯一のヒーローになったのだ。私はそんな存在に憧れた。

ミュージカルに感動したのは彼女も一緒だった。彼女が憧れを抱いたのはヒロインのほうだった。

「怒ったり笑ったりしてさ!あれがえんぎのはずないよ!あの子は嘘っぽくないもん!すずちゃんもそう思うよね!」

彼女は私のことをすずちゃんと呼ぶ。親が礼儀正しくを教訓にしていたので、一人称が「私」になったのが主な理由だ。他にも小顔で背が低いのも呼び名の由来だろう。

おまけにこの名前だ。「涼」と書いて「すず」と読む。小学校に上がるまで私を女の子だと勘違いしていたらしい。対して私は彼女を「ほんちゃん」と呼んでいた。

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