雨に潜む 15

再び歩き出そうとしていると前方から小さな子供が走ってきた。黄色い雨合羽を着た男の子で、はしゃぐ笑い声は雨の憂いをまだ知らないようだった。

瑠璃は何かを察知したのだろう。コンビニの軒下に身を寄せ、傘を頭の上から胴の前へと下ろす。

直後、雨合羽の子供は僅かな段差に躓き、水溜りへと盛大に転ぶ。そうして、飛び跳ねた水玉が瑠璃の傘に当たる。瑠璃は泥水から身を守れた。

対して、雨合羽の子供は泥だらけの顔で漠然とするも、駆けつけてきたスーツ姿の女性が子供を起き上がらせる。母親だろう。子供は憂いのない笑顔に戻る。

「わかっていたなら、受け止めてやればいいだろ」

「子供嫌いなの」

母親と手を繋ぎ、幸せそうな親子の後ろ姿。楽しい会話がこちらにまで聞こえてくる。泣かなかったね偉いね、だって雨は楽しいんだもん。

カンダタも瑠璃もその後ろ姿から目を逸らせば良いものを幸せな会話をする2人を見つめてしまう。

「愛は有償のはずなのに子供はそれを無償で貰って、期限があるとも知らないで笑う子を見ていると絞め殺したくなるのよ」

瑠璃の言う子供嫌いは嫌いの領域に収まらず、発した言葉は殺意が込められていた。

本人は気付かないのかそれとも気付いていない振りをしているのか、その殺意の根幹にあったのは紛れもなく羨望というものだ。

瑠璃の年頃では両親がいてもおかしくは無いのに、あの広い部屋で1人家事を切り盛りしている。父親はいるようだが、仲は悪く、母親は口にさえ出そうとしない。

他人の家庭を詮索するつもりはない。親がどうあるべきなのか、子ががどうあるべきなのか、カンダタにはわからない。しかし、瑠璃の羨望というものには共感していた。

カンダタから滲み出た感情は悲しく、またどこか懐かしい。

母と子が手を繋ぐ後ろ姿。その光景はどこかで見た。

そうだ、あの光景は何度も見てきた。

堤防の上を歩く親と子。小さな指が空を差して何か言っている。それを親が秋雨だね、と返す。早く帰ろう、夜は寒くなる。子が抱きついてきて暖かいねと笑う。親も邪険にせず、小さな温もりを守るように手を添える。

幼いカンダタは橋下の影からそれを眺めていた。もうすぐ冷たい雨が降る。そこから退かなくてはならないのに、身体が重くなって立ち上がれなかった。

怠惰で起き上がれずにいたのは、小さな身体が持て余す程の多くの打撲痕を貰ったからではない。自分と同じ歳の子が母の温もりに甘えているからだ。

母の記憶はほとんど残っていない。あるのは母から継いだ念持仏と死に際の惨劇。それはもう思い出したくもなかった。

幸福とは厄介なもので恵まれているうちは一瞬の時を永遠だと信じ込む。幸福が思い出になる頃、その記憶は必ず絶望や惨劇の記憶へと繋げる。

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