第10話 鷲の勲章の謎

第1章 盗品売買 (前編)

「オンラインオークションで買ったということにすればいいかな」

 地下鉄の駅を降りて、地上のタクシー乗り場に出てから、ブルーノは独り呟いた。探偵に依頼をするとき、例の品物をどういう経路で入手したか、聞かれるだろうと思っていた。

 適切に考えろ、と同僚からは言われていた。説明が最も簡単にできるものがいい。これと同様の物を、オンラインオークションで買ったことがあるから、その時の状況を話すか。

 午前10時という中途半端な時間のせいか、タクシー乗り場に他の客はいなかった。客待ちの車も1台だけ。ブルーノが近付くと、ドアが自動で開いた。さすが日本だ。

 乗ると、運転手はブルーノの顔を見て、少し驚いたような顔をした。ここに外国人が来るのは珍しいのかもしれない。普通の日本人の反応だ。梅田の辺りなら、さすがにこんなことはないのだが。

「ここ、お願いします」

 片言の日本語で言い、運転手にメモを差し出した。そこに、行き先の住所が印字されている。「オッケー」と運転手が言い、ドアが閉まって車が走り出す。こちらのことを、アメリカ人と思ってるんだろうな、とブルーノは感じた。それも普通の日本人の反応だ。

 無線で連絡を入れた後、運転手は何も話しかけてこなかった。車は住宅街の脇を通り、工場地帯へと入る。ブルーノはあらかじめ行き先の住所をインターネット地図で見てきたので、驚きはしなかったが、なぜこんなところなのかという疑問は持っていた。普通のオフィスビルに入ればいいものを。

 それとも、外国人には何らかの制限があるのだろうか。あるいは、こういうところなら格安で入れるのかもしれないが……

 目的地には5分で着いた。白い2階建ては、どう見ても中小企業の事務所ビルだ。しかしそういうところだということも、あらかじめ知っていた。「チケット、使います」と運転手に言う。料金を聞いて(運転手は日本語で言ったが、それくらいはわかる)チケットに埋める。

 チケット……ドイツ語では、フェアカルテという。しかし、おそらくほとんどの日本人には通じないだろう。単に“カルテ”なら、日本では医者が書く診療録のことを指すらしい。日本はたくさんの外来語を取り入れているが、ドイツ語はその中でも特殊な分野に偏っているようだ。歴史的な関係であるらしいが……

「ありがと、ございます」

「ダンケ・シェーン」

 日本語で礼を言ったのに、運転手が笑顔でドイツ語を返してきたので、ブルーノは相手を二度見してしまった。ドイツ人だとわかっていたのか?

 タクシーが行ってしまってから、なるほどそうか、とブルーノは思いついた。ここにいる探偵がドイツ人だということを、あの運転手は知っていて、ならばやってくる外国人はドイツ人だろう、と想像したのに違いない。

 後であの運転手は、他の仲間と雑談するときに言うのだろう。「こないだ、例の探偵のとこまで、ドイツ人の男を乗せたったで」。

 顔を憶えられていないことを祈ろう。一部の日本人にとって、外国人の顔は誰でも同じに見えるらしいから。

 事務所の敷地に入り、建物の裏手へ回る。そこに情報どおり鉄製の非常階段を見つけて、上がって行った。

 咳払いをしてから、白いドアをノックする。日本語で書かれたプレートが貼ってあったが、ドイツ語も英語も書かれていない。多くの日本の建物同様、外国人への配慮が一切ない……

「はいっ!」

 聞こえた言葉は日本語だった。この時間に予約をしたのはブルーノだけのはずだが、なぜ日本語なのだろう。ドイツ人であるということは言っておいたのに。あまつさえ、電話ではドイツ語で会話したのに。

 鍵を開ける音の後、ドアが細く開く。情報どおり、茶色のショートヘアの若い綺麗な女が顔を覗かせた。ブルーノよりも15歳ほど若いはず。

「ヘル・ブルーノ・クラム?」

 呼びかけはドイツ語だった。「はいヤーそうですビン・イッヒ」と答えると、相手は「少しお待ちをヴァルテ・アイネ・ミヌーテ」。ドアが閉まり、金属音を鳴らした後でまた開いて、「どうぞお入りなさいビッテ・コム・ヘライン」。

 入ると、外見と全く違って、中は豪勢な造りだった。ブルーノの仕事場の、が入るような部屋だ。ソファーやデスクは外国製と思われるが、少なくともドイツ製ではない。イングリッシュスタイルかと思われる。

 彼女はドイツ人だが、数年前はヨーロッパをあちこちと遍歴し、ロンドンにも1年ほどいたそうだ。その時と似たような感じにしているのだろう。ロンドンの探偵事務所……そうだ、シャーロック・ホームズを意識しているのに違いない。

 もちろん、そんなことはどうでもよくて、ブルーノは黒い革のソファーを勧められ、彼女は部屋の片隅に行ってコーヒーの用意を始めた。着ているベストとスラックスも、イングランド製に見える。単に、日本ではドイツ製の服が手に入りにくいというだけかもしれないが……

どうぞヒアー・ビッテ!」

 彼女は笑顔でコーヒーカップをテーブルに置いた。目は笑っているが、しているようにも感じられる。探偵という職業上の癖だろう。

「ダンケ・シェーン」

 そしてこれ以降の会話も全てドイツ語で行われた。

「依頼を説明いただく前に、決められた手続きを踏ませてもらいましょう。私が所長で調査員のエリーゼ・ミュラーです。これが身分証明書! 日本のマイナンバーカードです!」

 彼女、エリーゼはベストからカードを取り出して見せ、それから右足を一歩引いてはんになり、右手を大きく後ろへ振った。

「あちらが、探偵業届出証明書!」

 まるでステージ上の女優を紹介するときのようだが、そこにあったのは壁で、日本語で書かれた額がかかっている。もちろん、ブルーノには読めない。それからエリーゼはデスクへ歩み寄り、置いてあった冊子を手に取って見せてきた。

「従業員名簿! 私以外に二人の名前が書かれていますが、パートタイマーたちテイルツァイトアルバイテルンです!」

 それからソファーの方へ戻って来て、両手を腰に当てながら言った。

「ご安心なさい、就労ビザは毎年書き換えています」

「ご説明ありがとう」

「この手続きは日本の規則なので、守らなければなりません。たとえ依頼人がドイツ人であってもです。もっとも、この事務所にドイツ人が来たのはあなたが二人目ですよ。さて」

 エリーゼは腰に当てていた手を外すと、おもむろにソファーに座って、ブルーノの目を見ながら言った。お客を相手にしているはずなのに、少し挑発的に見える。

「どういった経緯で私のことを知ったのでしょうか?」

「それは……言う必要があるんですか?」

「素性がわからない人からの依頼は受けないことにしているのですよ。特に、外国人の場合は」

 自分だってここでは外国人だろうに、とブルーノは思ったが、口には出さなかった。少なくとも、信用において日本人に勝る国民がないのは、ブルーノにもわかっている。ドイツがそれに並ぶ、と信じたいところだが、最近では某国の資本やビジネスが入ってきたせいでいろいろとやり方が変わり、少し評判が落ちているようだ……

「ドイツ総領事館で聞きました。梅田スカイビルの……そこの事務員に、知り合いがいるんです」

「その事務員とは?」

「カール・フォイエルシュタインです」

「結構でしょう。どうぞお話しなさい。電話では、勲章とそれに関連する暗号ということでしたね」

「勲章はそのとおりですが、暗号は“かもしれない”と説明しました」

「そうでしたか? とにかく見せてもらわないことには」

「これです」

 ブルーノはショルダーバッグから青いヴェルベット地のケースを取り出した。指輪を入れるものよりも二回りほど大きく、平べったい形。蓋を開けてエリーゼに中を見せた。

 直径五センチほどの、星のような形の金属製の物体が入っている。地は銀で、放射状に筋がある。中央の円形には黒い鷲が描かれ、その上に"Suum Cuique"の文字、下に緑のオリーブの葉。

 エリーゼは興味深そうに覗き込んできた。目を少し見開く。

「アッハァ、たいへん由緒正しい勲章オルデンですね。以前、見たことがあります。プロイセンの黒鷲勲章シュヴァルツァー・アドラーオルデンでしょう? ずいぶん古いものですね」

 そのとおりで、1701年にプロイセン王フリードリヒ1世によって制定された、同国の最高勲章だ。次位に赤鷲勲章がある。しかし、本物であるとは言わないでおこうと、ブルーノは考えていた。

「よくご存じですね。でも、これはレプリカです。インターネットオークションで買ったんです。300ユーロほどでした」

 しかしエリーゼは唇の端に浮かべた笑みを大きくしながら言った。

「それは嘘ですね。これは本物です。それくらいは、アキラエスクワイアに頼らなくてもわかるのですよ」

「アキラ……エスクワイア? 誰です?」

 聞いたことのない名前を、さも有名人であるかのようにエリーゼが口にしたので、ブルーノは戸惑った。彼女の関係者だったろうか?

「この世の全ての真贋を知るお方です。しかし、この真贋が重要でないということなら、敢えて無視することにしましょう。それで、暗号“かもしれない”ものとは?」

「これです」

 ブルーノはまたバッグの中から紙を取り出して、テーブルに広げた。手書きで、アルファベットと数字がたくさん並んでいるが、最初に「1247」、次に「S=1」、その後は数字がずらりと並べられている。


  2213261813242313040413 2324 04090701132410 2621


「なるほど。これはおそらく2桁ずつ区切って、それぞれをアルファベットに置き換えるのでしょう。『1247』と『S=1』が鍵だということですか」

「そこまではわかっていません」

「しかし何か考えたことがあって、それで結論が出なかったので、私のところへ来たのでしょう? できるだけ言う方がいいと思いますよ。お互い、時間を無駄にしなくて済みます」

「いいえ、全くわからないのです」

「勲章がこれに関係しているという根拠は?」

「机の同じ抽斗に入っていたのです」

「どこの誰の?」

「言わなければいけませんか?」

「誰が使った暗号かはとても重要ですよ」

「いや、使ったんじゃないのですよ。その人も、解読しようとしていたんです。わからなかったので、代わりに私がここへ持って来たんです」

「その人はなぜ来られないのです?」

「仕事の都合です」

「その人の名前は?」

「言わなければいけませんか?」

 やれやれ、という風にエリーゼは軽く頭を振った。そして視線をさらに挑発的にする。

「ずいぶんと不明な点の多い依頼ですね。しかし探偵の常として、事件の一端に謎がある依頼は受けられるけれど、両端にある場合は受けられないのですよ」

「私の妹です。名前は……ロザンナ。ロザンナ・クラム」

「嘘はいけませんよ、ヘル・クラム。これ以上嘘を続けるのなら、私は依頼を受けられません」

「私は嘘などついていませんよ。どうして嘘だと思うのです?」

 エリーゼは前屈みになっていた身体を後ろに倒すとソファーにふんぞり返り、足を組んだ。たとえ依頼人の方が遥かに年上だろうが、ここでは自分の方が上位者なのだ、というつもりか。

「ドイツ総領事館にカール・フォイエルシュタインという事務員がいるのは事実です。しかし彼がもしあなたに私のことを教えたとしたら、彼から私に連絡が来るはずなのですよ。そうすれば依頼者は依頼料が割引になり、私から彼にささやかなお礼の品を送るという約束なのです」

 そんな約束があったのか、とブルーノは少し呆れた。しかし、責めるほどでもない。エリーゼが続ける。

「彼から連絡が来る前にあなたが来た、という可能性も考えられますが、身内の問題で、いろいろと悩んだ末にここへ来た、というのなら、カールを通じて依頼があってもおかしくないはずです。ということは、あなたはカールの名を知っているだけで、彼から紹介されてなどいない。もしくは、依頼のことを私に言わないよう、カールに注意したのでしょう。カールは総領事館の内向きの仕事をしているので、訪れるほとんどのドイツ人は彼のことを知らないはずです。これらを鑑みると」

 そこでエリーゼは足を組み直した。

「あなたも総領事館の職員で、風格からおそらくは一等書記官、もしくはもっと上の立場の外交官であろうと想像するのですが、いかがです?」

 もしかしたらブラフか、と思わないでもなかったが、ブルーノはため息を一つつくと、正直に言う決心をした。ついでに丁寧な話し方もやめておく。

「ご明察のとおりだ。私はこの4月から大阪の総領事館に就任した、新任の副領事だ。以前は、本国の外務省アジア課にいた。しかし、そんなことを隠したからって、私の依頼にどんな影響があるというんだい?」

「重大なことですよ。総領事館内で何か問題が発生して、私に公式な依頼をすると決定されたのなら、アイリちゃんが来るはずです。そうでないということは、これは私的な依頼で、しかもアイリちゃんが何か面倒なことに巻き込まれたということを意味するのだと考えられますね。違いますか?」


(続く)

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