聖夜に願うクローバー

白湊ユキ

アオ #1


 聖夜の空から、トナカイが消える。


 【協会】から世界中のサンタクロースに向けて、そんな通達が出されたのは、今年の四月の事であった。

 現在の暦は十一月。子ども達の『願い』が出揃い始める時期。そして、我々サンタクロースにとっては届け物の『仕分け』が本格化する時期である。


「あ、違えよ。エノのジイさん。この家に届けるヤツはこっちッス」


 この年若い相棒との付き合いも、そろそろ半年を数える。

 口は悪いが、細かいことに気が利いて頼りになる上、何より覚えが早い。素直な性根も手伝い、良きサンタクロースに育ちつつある。

 《協会》から派遣されて来た当初、碌に仕事も知らない新米だった頃を思うと、感動もひとしおだ。


「おお、悪いのう」


「ったく、頼むぜ。これじゃどっちが先輩だか分かったもんじゃねぇ」


 愚痴をこぼしながらも、きちんと二重チェックの役割を果たしている。その仕事熱心さの裏返しだと考えれば、減らず口も可愛いものである。

 同時に、サンタクロース歴三十年のベテランとしては耳が痛いのも確かだ。未だにこうした不注意をやらかす。これは一生直るまいな、そう独りごちる自分を意識し、うっかり苦笑が漏れる。

 榎田壮三郎えのだそうざぶろう。元、郵便配達員。配達中の事故で死亡。享年四十一。私自身について語るとしたらこんなものだろう。

 善くも悪くも仕事に尽くしてきた人生。しかも、生前没後共に行っている仕事は、本質的に何ら変わっていないのだから呆れた物好きだ。お神の仰せの通りの住所に赴き、仰せの通りの届け物を配達する。及び、それに付随する諸般の雑務。

 子ども達の『行い』や『願い』は、全て《協会》の上に立つ神様達が見ている。届け物の決定権もまた然りだ。ゆえに、我々のような一介のサンタクロースに与えられるのは、雪車に乗って配達先の家に忍び込み、家主達に気付かれぬよう届け物を置き、また気付かれぬよう退散する。そんな妖精の如き仕事である。


「全く、コソ泥みてーな仕事だよなぁ。っつーか、妖精て……。案外メルヘンなジイさんッスね、アンタ」


「ほほほ、そう言いなさんな。長くやっておるもんにしか分からん良さがあるんじゃよ」


「かーっ! ノンキだね。そのうち、俺達もトナカイみたいになっちまうかもしれねぇってのに」


 相棒はぼやきつつ、自分の首の前に手をかざして水平に切った。


 そう、トナカイ。かつての相棒ジョアンは元気にしているだろうか。

 つい最近——【協会】からの通達が下りる前までの話になる。

 その頃、人とトナカイは一組でサンタクロースと呼ばれていたのだ。人語を操るトナカイは移動の足となるばかりでなく、届け物の二重チェックを行う責も担っていた。

 しかし近年、トナカイは徐々に姿を減らし始め、遂に完全廃止となった。届け先の爆発的な増加に対処するため、【協会】が採った措置である。替わりに支給された自動操縦の雪車は、従来のトナカイが引く雪車の何倍も効率が良くなる。その一方、誤配達を防ぐための二重チェック体制を維持する目的で、サンタクロースは人間二人のパートナー制となった。

 この空においても、現においても、社会とは何と七面倒臭い事を好むのだろう。


 本日の仕事は『仕入れ』——当日までに不足している届け物を、現から集めて空に持ち帰ると言う作業である。我々は自動操縦の雪車に乗り、真夜中の空を駆け巡る。ジョアンの居ない雪車は手綱を握る必要も無く、手持ち無沙汰となった私は、相棒と身の上話等に興じる。

 ジョアン——あいつは小さなミスにも気が付く、まめなトナカイだった。お陰で三十年にも渡るサンタクロース歴の中で、誤配達をした事は一度も無い。


「またその話かよ、ジイさん」


 相棒は「いい加減にしてくれ」と付け加えて、肩を竦める。


「俺のことも少しは信用してくれたっていいんじゃねーの。もうすぐ本番なんだぜ?」


「ふふふ。もちろん信じとるよ。お前さんは立派な相棒じゃ」


「けっ、調子いいジイさんだ」


 そう言い捨てると、大仰に腕組みをして視線を逸らす。照れ隠しなのは明白だった。

 その時、不意に私の視界を掠めた物があった。

 紅白のサンタ帽子から伸びる相棒のブラウンの長髪。左側頭部には、特に長く赤味が強い一房が垂れている。だが、目を剥いたのはそれでは無い。枝垂れのような髪に隠れていた首筋。そこある物が、私の記憶を、思い出を強く揺さぶる。


「ん、何だよ」


 そこに在るのは、中心から四方に向かって広がる四つの楕円形の模様。


「あぁ、この痣が気になんの? よく分かんねーけど、俺がコッチに来たときからあるんだよね」


 私の視線が己の首筋一点に留っている事を察した相棒は、痣の周囲を人差し指で掻きながら後を続ける。


「俺さ、ジイさんと違って下にいた頃の記憶がねーから。もしかしたらそんときからあるのかもな」


 その言葉は私の耳の外側で反響する。

 七十一年と半年。我が人生の中で最も衝撃を受けた瞬間は、今を置いて他に無い。それ程までに信じられない光景を目の当たりにしていた。

 ジョアンの首——おそらく人の姿であれば彼と同じ場所——にも、産毛すら生えぬクローバーのような痣があったのだ。


「まさか、お前さん——」


 これは奇跡か。老いた妖精のささやかなる『願い』を、幸運を運ぶ四葉が叶えてくれたのかも知れない。




 ——そのときだった。夜天を焦がさんとばかりに煌々と輝く何かが、墜ちてきたのは。

 それは流星のように儚く、我々の行く末を眺めているような気分であった。見蕩れていたのか、或いは絶望していたのか。いずれにせよ、燃え千切れる星は自失していた我々の上に降り注いだ。




   ***続く***

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