第2話

「あなたのご両親は奴らに殺された」


 その言葉を聞かされた時、沙希は相手が何を言っているのかがまるで理解できずにいた。


「何言っているの?」

 

 かろうじて出てきた言葉はあまりにもか細く、弱り切っていた。


 死にかけた者の遺言にも似た覇気がない言葉だが、今の彼女にはその程度の言葉を吐き出すのがやっとであった。


「あなたにはショッキングな話ではありますが、嘘ではありません」


 二コリもせずに、ザッハークと名乗った男は端的にそう答える。


「あなたはあの夫婦の実の子ではない。我々蛇の一族ナーガの一員です。それが、とある敵と戦う中で、あなたをあの夫婦に預けなければいけなくなった」


 背を向けてやや俯いているかのように、ザッハークは立ち振る舞っていた。


「私が実の子じゃないって、それじゃ、私は一体……」


「あなたは人間ではない。限りなく人間に近いが、蛇の一族ナーガの姫君です。あなたを手放すのは断腸の思いでしたが、奴らからあなたを守るにはあの二人に託すしかなかったのです」


「そんな話って……」 


 自分が普通の人間ではないことを沙希は認めたわけではない。だが、常人とはかけ離れた紅の瞳と紫水晶アメジストのような髪と共に、人間離れした力を持つザッハーク達が自ら同族と名乗ったこととの整合性を取ろうとしていた。


 だが、それでも自分が北条夫妻の実子ではないことは受け入れられることではなかった。


 自分が実子ではない事実を受け入れることは、十六年もの間、厳しくも優しく育ててもらった日々を全て否定するような行為のように思えたからだ。


「全てを受け入れるには時間がかかるでしょう。あなたは十六年もの間、人間として過ごしてきた。その事実を我々としても否定するつもりはありません」


 受け入れがたい事実と共に、受け入れるにはショックが大きい話で心が揺れる沙希の心理を読んでいるかのように、ザッハークは彼女を気遣った。


「それに、あなたの両親はあなたを守るために死んだのですから」


 ぽつりとザッハークはそう呟いたが、その言葉は疑念だらけの沙希の心にさらなる追い打ちをかけた。


「どういうこと?」


「あなたを育てたあの二人は、あなたを守ろうとして殺されたのです。奴らにね」


「私を守ろうとして、お父さん達が死んだっていうの?」


「ええ、あの二人はあなたのことを本当の実子のように育てていた。深い事情を与えられ、あなたは育てられた。それだけに、あの二人は奴らからあなたを守ろうとして殺された」


 愛情深く育てられたことを強調するザッハークではあったが、沙希にはその愛情がまるで二人を死なせてしまったように聞こえてくる。


 自分がいなければ、父も母も殺されずには済んだのではないのか。


 そんな思いがふいに沙希の胸にこみあげてくるのを見計らうかのように、ザッハークは横たわる彼女の瞳をのぞき込むかのように見つめた。


「あの二人を殺した相手が憎いですかな?」


 無表情のままに尋ねたザッハークの言葉に対して、沙希は反射的に「憎い」と答える。


 両親が死んだという事実と共に、自分がいなければ死なずに済んだ事実が彼女の心の中に憎しみの火が燃え始めてきた。


「ならば、あなたに力を与えよう。奴らを、あなたのご両親の仇である黒金のジャガーノートを、そして、金色の鳥王ゴールデン・ガルーダを殺せる力を」


 残忍な笑顔を見せつけながら、沙希は自分の体の奥から何が湧き出てくるのを感じた。


 強く、とてつもなく強く、波を打ちながら自分という存在を飲み込んでしまうほどの大きな力が湧き出てくる。


 自分の心に生まれた憎しみの感情と共に湧き出た力と共に、沙希はある決意を胸に抱いたのであった。


******


 戦っていた相手が、沙希であったことに蓮司は深く後悔していた。


 弱弱しくも、目に宿った憎しみの光は、ザッハーク達の洗脳だけではない本物の憎悪が炎となっている。


「……あんたが……私の……お父さんと、お母さんを殺した……あんたがいたから、あんたがいるから……」


 憎しみに染まった紅の瞳と共に、沙希は蓮司に怨嗟を込めてそう言った。


「そんなことは……」


 否定しようとした蓮司であったが、沙希を殺そうとしたことに変わりなく、その事実が蓮司に否定をためらわせた。


「あんたは敵よ!」


 蓮司を視線で射殺すように、怨嗟を込めた言葉を沙希はぶつける。


「パパもママも、あんたがいるから殺された。私の気持ちも全部踏みにじって、私を殺そうとした!」


 蓮司に沙希を殺す理由も意図もない。自分にとっても親代わりでもあった沙希の両親の仇を討とうとしただけに過ぎないはずだった。


 それが、気づけば蓮司は沙希と戦っていた。憎むべき怪物だと思っていた相手は沙希であり、それが例えザッハークの策謀に引っかかったとしても、自分のやったことは否定のしようもない事実だ。


 その事実が蓮司の心に見えない剣となり、鋭く突き刺さることで弁明する気力を奪っていた。


「あんたが……あんたが死ねばよかったのよ! 両親がいないあんたが死んでも悲しむのは一人だけでしょ!」


 正気を失っているとはいえ、結果として自分という存在がいたからこそ、沙希は独りぼっちになってしまった。


 その事実を蓮司は嫌というほど噛みしめていた。自分がいなければ、あの二人はくだらない取引に巻き込まれずに巻き込まれなかったのではないか。


 そんな憎しみの剣がさらに蓮司の心を抉っていく。


「つくづく、君は罪が深いようだな」


 ザッハークとは違う、殺意がこもった声に蓮司は振り向く。


「ヴェスペ、生きていたのか?」


 黄色の甲冑を身にまとい、黄金の剣を片手に狂蜂はゆったりとした足取りで近づいてきた。


「そう簡単に死んでは、悪魔騎士の一角を担えませんよ。それに、私には使命があるのでね」


 ヴェスペは蓮司の喉笛に黄金の剣を突きつけた。とっさにその場から距離を取ろうと体を動かすが、金縛りにあったかのように蓮司は動けずにいた。


「逃げられると思ったのかね?」


 罠にかかった哀れな獲物を見るかのように、ザッハークは嘲笑しながらそう言った。


「君の生殺与奪はすでに、私たちにある。多少の誤算イレギュラーもあったが、策というものは、そうしたイレギュラーも含めて計画し、実行するものだ」


 蓮司の力が目覚めたことも、ザッハークにとっては範囲内の誤差でしかないらしい。

 蓮司はもう一度力を発動させようとするが、目の前で自分を睨みつけている沙希の視線に躊躇する。


 また力を発動させ、今度暴走してしまうことに恐怖を感じていた。


 自分が鳥王ガルーダとなり、力を発動させればこの窮地を脱することはできる。だが、それは爆弾を点火させるのと何ら変わりのないことだ。


 再び鳥王ガルーダとなった時、また奴が好き放題に暴れたら今度は本当に沙希を殺してしまうのではないのか。


 自分が沙希を殺してしまう可能性に行き着いた時、蓮司はとてつもない恐怖を感じた。


「蛇王殿、彼を仕留めるのは私に任せていただけるのでしょうかね?」


「私としては一向に構わないが、アムリタにも意見を聞かなくてはな」


 ヴェスペからの要望に、ザッハークは歪んだ口元をさすりながら沙希へと視線を移す。


アムリタ鳥王ガルーダの始末は彼にお任せしてもよろしいですか?」


 大仰な身振りでザッハークは尋ねるが、血走った目と共に野獣のように牙のような歯を噛み締めている沙希は、そんな言葉は一切届いていなかった。


「うむ、アムリタは少々興奮しているようだな」


 わざとらしい困った口調でそう言った後に、ザッハークは手をかざすと、沙希を一瞬にして消してしまった。

 

「瞬間移動させたのか?」


「彼女はまだ目覚めたばかりだ。無理をさせるわけにもいかんだろう」


 そうやら、沙希を別の場所に転送してしまったらしい。


蛇姫アムリタには申し訳ないが、私にも果たすべき使命がある。怨敵である鳥王ガルーダを討ち果たすことは獣王様の望み。臣下としての務めを全うさせてもらおう」


 生殺与奪を文字通り握っているからこその余裕さを見せながらも、悪魔と呼ばれても騎士であることを誇示するかのようにヴェスペは、黄金の剣を上段に構える。


 騎士と呼ぶよりも、罪人の首を切り落とす処刑人と呼んだ方がふさわしいほどだ。


「安心したまえ、死は生物ならば誰しもに等しく訪れる。君の両親と同じ場所に行けるかは分からぬがね」


 慰めにもならない言葉をザッハークは言い放つが、もはやどうにもならない状況に蓮司は覚悟を決めようとした。


 自分の無力さに怒りがこみあげてくるが、そんなことを考えてもはや何の意味もない。


 沙希を救えなかったことだけが心残りではあるが、彼女を殺そうとした自分にそんな資格などは存在しない。


 どうなってもいいという投げやりな心境と共に、蓮司は迫りくる死という運命を受け入れようとした。


「さらばだ、鳥王ガルーダ


 一切の躊躇いもなくヴェスペは剣を振り下ろす。蓮司は黙って目を閉じる。


 しかし、ヴェスペの剣は蓮司の首に触れることもなく、持ち主のヴェスペごと宙を舞っていた。


「何?」


 ザッハークがそう呟くと同時に、白金の刃の一閃がザッハークの首を刈り取っていた。


「好き放題やってくれたな」


 聞きなれた声が蓮司の耳に届く。悠人と同じく、幼い頃に慕っていたもう一人の兄貴分の声に蓮司はゆっくりと目を開く。


 そこには鋼鉄くろがねの鎧に身を包んだ王虎と、白金の鎧に身を包んだ猛虎が並び立っていた。


「貴様ら、何故ここにいる?」


 切り落とされた首を胴体に抱えさせながらザッハークがシュールな姿で疑問を投げつけてくる。


「野暮なことを聞くな、悪ある所に正義ありという言葉を知らんのか?」


 堂々としながらもすっとぼけた返答に、ザッハークは目が点になりながらも切り落とされた首を胴体へとつなげた。


鋼鉄の王虎ケーニヒス・ティーゲルに、白金の猛虎プラチナム・ティーゲルだと?」


 吹っ飛ばされたヴェスペが膝をつき、剣を杖にしながら信じられないような口ぶりでそう言った。


 それは、今ここに黒金のジャガーノートが全員集結したことを意味しているからであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る