二章
悪意
翌日、私は朝の部活に顔を出すために早めに登校した。登校中、自分の携帯電話を眺めていた。
昨日春の勧めで七瀬先輩に事態の確認のために『犯人は七瀬先輩ですか?』というストレートなメッセージを送信したが、返信はない。それどころか既読すらついていなかった。今日の放課後は部活があるのでそのあとにでも聞けばいいだろうと思っているが、依然として先輩への不信感はぬぐえていなかった。一体先輩は私に何をさせたかったのか、何の目的で私に相談を持ち掛けていたのか、まったくわからないままだった。
吉野が昨日言った言葉を思い出す。
『大体の人間のたくらみってのは悪意によるものだ。気を付けたほうがいい。』
もう一度考えてみても、七瀬先輩とはうまく付き合えていると思う。大会のレギュラー争いはあるけれど個人戦の代表と団体戦の代表の枠は一つではないので私と七瀬先輩は二人とも代表に選出されていた。個人的にも話しかければ好意的に接してくれていると思うし、部活終わりに部員のみんなで寄り道をしたりもするときも一緒に来てくれる。二人きりでどこかに出かけたりはしないけれど、先輩後輩というのは大体そんなものだろう。
私は一つため息を吐いた。吐いた息は白く、空中へと舞ってから消えていった。十二月も中旬で、期末テストが迫っている。本当ならこんなことに頭を悩ませている場合ではなく、それに向けて勉強をするべきなのだろう。そんな時期になんだか厄介なことに巻き込まれたような気がしてならなかった。
武道場の扉を開いて一礼し、足を踏み入れる。
この寒い中に練習に励む殊勝な部員は七瀬先輩くらいしかいないだろうという予想に反してなぜか女子剣道部の面々がそろっていた。そこには当然七瀬先輩の姿もある。しかし、部員のみんなの顔つきはこれから練習を行うというものではなかった。それどころか道着にすら着替えていない登下校用の制服のまま、七瀬先輩を囲むようにしてたむろし、座っていた。その雰囲気は和気あいあいとしたものでは到底なく、のっぴきならないものであることは遠めに見ている私にもわかった。
そして、最も驚くべきことに部員の中心に座る七瀬先輩が泣いていた。カーデガンを羽織った制服で涙をぬぐい、すすり泣いているように見えた。
私も駆け寄り声をかける。
「おはようみんな、どうかしたの?七瀬先輩大丈夫ですか?」
状況把握のために掛けた言葉に対して部員のみんなが私のほうを向く。
さまざまな目が私へとむけられる。同学年の友人の目には困惑の混じった恐怖が、そして二年生の先輩の目には紛れもない怒りが見えた。私は一歩後ずさりした。一体どういう状況なのか、俯瞰して考えようと体が反応したのかもしれない。
そんな私へと七瀬先輩を囲む部員の一人が言う。『言う』という表現は適切ではない。きっとこういうのを『怒号を浴びせる』というのだろう。
「『どうかした?大丈夫ですか?』ですって?よくそんな口が聞けたわね。あんたのせいなんだけど。」
「私のせい、ですか?状況が見えないんですけれど。」
突如として詰問された私は困惑し、それでも平静を装った。
「もう全部、七瀬から聞いたのよ。あんたがしてたこと何もかも。」
全く心当たりのない私はさらに困惑した。どういうことだ、何が起こっている。
「私が何かしたんですか?」
「とぼけるのもいい加減にしなさい。あんたが七瀬をストーキングして、盗撮した写真で七瀬に迫ったんでしょう?」
私は言葉を失った。そんな事実はないとすぐに突っぱねるべきだったかもしれない。しかし私にはそれができなかった。私にストーキングの調査をさせ、私をその犯人に仕立て上げるという構図が一瞬、目に浮かんだからだ。
私は正気を取り戻し、急いで反論する。
「そんなことしてません。七瀬先輩どういうことですか!」
七瀬先輩は答えない。周りの人間が七瀬先輩と私の間に入る。
「七瀬を責めるのは止めなさい。この子は我慢してたの、部内で険悪な雰囲気にならないためにね。それを私たちが無理やり聞き出してあんたのことが分かったのよ。楓は七瀬に感謝することも謝るべきこともあれど、責めていい筋合いはないわ。」
「私、本当にそんなことしてません。」
「じゃあ、あんたの携帯のカメラロール見せてみなさいよ。七瀬はそこに盗撮写真が入ってるって言ってたわよ。」
「いいですよ、そんなものありま」
ここまで言ったところで私は思い出した。そうだ、私の携帯には盗撮写真が保存されている。七瀬先輩から送られてきた盗撮写真が。
「その様子だと、本当にあるみたいね。呆れたわ、よくそんな人間がやってないなんて言えたものね。」
「この写真は七瀬先輩から送られてきたんです。ストーカーされてるから助けてほしいって言って。」
「そんな嘘、誰が信じるのよ。」
「本当なんです。信じてください。」
私はそう言って部員のみんなを見る。昨日まで仲良く練習していた仲間はそこには一人もいなかった。私のことを気味悪がった目で見る他人がそこには居た。私に好意的に接してくれていたはずの仲間は一瞬にして敵へと生まれ変わり、敵意にあふれた目で私を見ていた。
「私と七瀬先輩のトーク画面を見せます。それをみれば私の言っていたことが本当だってわかるはずです。」
私はそう言って昨日から既読のついていない先輩とのトーク画面を見せた。さすがにこれで私の潔白は証明できるだろうと思ったからだ。七瀬先輩には悪いが無実の罪で糾弾されてやるほど私もお人よしではないのだ。
しかし、画面をみた二年生の発した言葉は予想とは全く違うものだった。
「へえ、上手く偽造したものね。」
「偽造なんてしてません!」
「さっき七瀬の方のトーク画面も見せてもらったけどあなたのものとは全く別の画面だったわよ。」
そう言って私に七瀬先輩の携帯を見せてきた。そこにあったのは私とのトーク画面ではなく紛れもなく捏造されたものだった。どうやってこんなことをしたのかなんて思考には至らない。私は考えるよりも先に声を上げていたからだ。
「そっちが偽造なんです。」
「そんなわけないじゃない。」
そんなわけないだと?だとしたら私のトーク画面が偽造されていることだってそんなわけはないだろう。そう言おうとした。しかし、私の眼前の女が続けざまにこういう。
「だって七瀬、あんなに泣いてるのよ!」
それを聞いて私は理解した。どれだけ正論を吐こうとも、理を詰めようとも無駄なのだと。きっとこの人たちは私が七瀬先輩に不利益を与えたから怒っているのではなく、七瀬先輩が泣いているから怒っているのだ。泣いている人間が常に弱者であり、弱者の叫びには応えるべき。そんな人として当たり前の事実が彼女らを突き動かしている。真実などどうでもよく、弱気を助け強気を挫くための糾弾。まるで小学校の学級裁判だ。
「私はやってません。」
「でも、現にあなたのスマートフォンには七瀬の盗撮があるんでしょう?」
私にはもう反論する気はなかった。
それでも声が出たのは今までの自分の行いが、きっと自分を救ってくれると思ったからだろう。
「あります。それでも私はやってません。信じてください。」
「はっ、呆れた。もういいや、行こう皆。」
その言葉を合図にして剣道部のみんなは立ち上がり武道場を出て行った。七瀬先輩は手で涙を拭いながら出て行く。
その時、私にだけははっきりと見えた。その口元がにやりと笑っていたように。
誰もいなくなった武道場で私は座り込む。今まで部員のみんなと練習した日々を思い出す。信用されているものだと思っていた。それに見合う行いをしていたと自分では思う。それでも武道場から出て行くみんなの目には私は不審者として映っていた。
『八方美人と嫌われ者は紙一重』
そう言った吉野のことを思い出した。なるほど、そういうことかと納得した。いや、納得なんて微塵もしていなかった。それでもわからされた。今の自分がまきこまれた事実が、自分が信用を理不尽に失っているこの事実が吉野の言ったことが事実だと証明していた。
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