第二話 朝の騎士団詰所にて
その日は朝から、どんよりとした雲が空を覆っていた。
「少し寒いな。太陽が隠れているせいか……」
独り言を口にしながら都市警備騎士団の詰所へ向かうのは、年相応以上に頭の薄い中年騎士。南部大隊の小隊長、ピペタ・ピペトだった。
新しい一年が始まってから、既に半月ばかりが過ぎている。
正確には、入り口の月の第十六、水氷の日。つまり、月日としては最初の月の十六番目、曜日としては一週間の中で三番目の日になっていた。
冬の真っ盛りだが、ピペタが勤務している地方都市サウザは、大陸南部に位置しており、それほど寒くはない地域のはず。そもそもこの大陸自体が、かつて火の魔王と火の神が争ったといわれるところであり、現在でも他の三つの大陸より気候が暖かいことで知られていた。
だからピペタにしてみれば、こんな日は珍しい、という気分だったのだろう。
だが、珍しいのは冬の寒さだけではなかった。
詰所に入って、集まりつつある騎士たちを見回していると……。
「ピペタ隊長! こちらです!」
壁際の椅子の一つから、耳慣れた声が呼びかけてくる。そちらに視線を向ければ、ショートの金髪がよく似合う、すっきりとした顔立ちの女性騎士。ピペタ小隊の紅一点、ラヴィの姿があった。
「ああ、おはよう」
と応えながら、彼女の方へ歩み寄るピペタ。
ラヴィは、隊長のピペタより早く来ている日も結構あるので、ここまでならば驚くには値しないのだが。
今日は彼女だけでなく、他の部下たちまで勢揃いしていたのだ。
この世界には、古い伝説がある。神々が異世界から呼び寄せた四人の勇者によって四大魔王が討伐された、というものだ。子供から老人まで誰もが知っているレベルであり、この伝説の勇者にあやかって、何事も四人ユニットで行うのが慣例になっていた。
だから街の警吏である騎士隊も、四人で一小隊という編成であり、小隊長ピペタの部下は三人。ラヴィの他に、男性騎士のウイングとタイガがいる。
聡明で博識なウイングは、ピペタほどではないが、部下たちの中では剣術の腕前も一番。小隊のサブリーダー的な存在だった。
一方、タイガの方は……。一言でまとめるならば、お調子者というイメージだろうか。朝の詰所に集合する際も最後に来ることが多く、ピペタより早いのは、極めて稀な出来事だった。
「先に来ているとは、珍しいこともあるものだな。タイガ、今日は何か特別な日なのか?」
「理由なんてありません。たまたまですよ、ピペタ隊長」
と答えてから、タイガは何かに気づいたかのように、ハッとした顔を見せる。
「……というより、ピペタ隊長! なぜラヴィやウイングではなく、僕だけに尋ねるのです? これではまるで、いつも僕が遅いみたいじゃないですか!」
「『まるで』ではなく、本当に遅いですからね。日頃のタイガの出仕態度を考えれば、正当な質問です」
「ウイングの言う通りよ、タイガ」
「酷いなあ、二人とも……」
部下たちの軽口を微笑ましく聞きながら、
「では早速、見回りに行こうか」
「はい、ピペタ隊長!」
ピペタは三人を連れて、まだ混雑している詰所を
名称こそ『騎士団』となっているが、都市警備騎士団は、直接的に王や領主に仕えているわけではない。それは近衛騎士の役割であり、ピペタたちの仕事は、街を見回り、住民たちのトラブルや犯罪事件に対応することだった。
南部大隊に所属するピペタ小隊なので、彼らの担当区域は、サウザの街の南側にある。当然、そちらへ向かうつもりだったのだが……。
ちょうど詰所を出たところで、逆に今から詰所へ入ろうとする女性騎士に、呼び止められてしまう。
「あら、ピペタ小隊長。今朝は早いのですね。危うく、行き違いになるところでしたわ」
わざわざ『ピペタ隊長』ではなく『ピペタ小隊長』と呼びかけたことからも明らかなように、彼女はヒラの騎士でもなければ、同格の小隊長でもない。ピペタから見たら格上の騎士なので、それなりの敬意を込めて頭を下げた。
「おはようございます、モデスタ中隊長。何か私に用ですかな?」
「ええ、実は……」
少し困ったような顔を見せる彼女は、モデスタ・ドゥクス。紫色の長髪を頭頂部で束ねており、頬骨の出っ張った輪郭と相まって、菱形の顔という印象だ。まだ三十代のはずなのに四十代のように見える、とピペタはいつも思っていた。
女性らしい体の凹凸も乏しいが、例えばラヴィなどは、同じような体型でありながらも女性特有の色気が漂っている。だからモデスタが『女』を感じさせないのは、彼女自身に理由があるはずだった。
そんなモデスタが率いる中隊には、ピペタ小隊も含まれている。だから彼女は一応、ピペタの直接的な上司に相当するはず。しかし、都市警備騎士団が中隊規模で活動する機会は皆無のため、中隊なんて便宜上の区分に過ぎなかった。中隊長も名前だけであり、職務としては小隊長と同じ。それがピペタの認識だった。
大隊長ならば都市警備騎士団の本部――通称『城』――で事務仕事に明け暮れる毎日だが、中隊長は小隊長を兼任しており、三人の部下と共に見回りに出るのが日課となる。
実際ピペタは、『城』に出向いてウォルシュ大隊長から直接命令を受けることはあっても、中隊長を介して何か命じられたことなど、ほとんど記憶になかった。だから余計に、モデスタが上司であるという感覚は持ちにくいのだった。
「……あなたに、少し頼みがあるのですけど。ピペタ小隊長、今晩、時間あるかしら?」
「今晩……ですか?」
日頃どういう目で見ていようと、一応はモデスタも女。こうして誘われたら、ピペタは本能的にドキッとしてしまう。
「おやおや……」
というウイングの小声が後ろから聞こえてきたのは、面白がっているのだろうか。
チラッと横目で見ると、隣に立つラヴィは、なぜか少し険しい表情を浮かべていた。
そんなピペタたちの雰囲気を察したらしく、
「あら、誤解しないでくださいね。別に私、ピペタ小隊長をデートに誘うつもりはありませんから。そうではなくて……」
顔の前で手をバタバタさせて、大げさに否定するモデスタ。
十代の小娘ならば可愛らしい仕草かもしれないが、モデスタの歳では似合わない、などと失礼なことを考えるピペタだが、
「……私の代わりに、今晩の会議に出席していただきたいのですわ」
そう言われてしまえば、もう笑ってもいられなかった。
「今晩の会議、ということは……」
「ええ、大隊長たちの集まりがあるでしょう? 毎年この時期に行われる『新年会議』ですわ」
名称的には新年会っぽいが、そんな遊びの席ではなく、真面目なミーティングだ。無関係なピペタであっても、その程度は聞き知っていた。
いや『無関係』というのであれば、大隊長ではなく中隊長に過ぎないモデスタにも、縁のない話のはずだが……。
そこまで考えたところで、ピペタは思い出す。
「ああ、そういえば。モデスタ中隊長は、この大隊の副官みたいなもの、いわばウォルシュ大隊長の右腕でしたな」
「ピペタ小隊長……。そんなことも忘れてましたの?」
「いやいや、これは申し訳ない。ほら、大隊長とか中隊長とか、私には雲の上の存在でして……」
呆れたような口調のモデスタに対して、精一杯の謝罪を口にするピペタ。
普通の中隊長は『名ばかり』であり、実質的には小隊長の仕事しかしていないとしても、どこの大隊でも一人くらいは、大隊長のサポートを任せられる中隊長が出てくるものだ。今の南部大隊では、それがモデスタになっていた。
「いや本当に、私には想像もつかない世界ですが……。私たち小隊長と同じように街の見回りを行いながら、同時に、『城』で働く大隊長の副官もこなす。考えただけでも、激務ですなあ」
「そうですわ、全く。具体的には理解できずとも、私が苦労していることだけでも、頭に入れておいてほしいものです。せめて、私の中隊の小隊長たちだけでも……」
と、家事の愚痴をこぼす主婦のような顔を見せるが、すぐにモデスタは、いつもの態度を取り戻す。
「いえ、今は、そんな雑談をしている場合ではないですわね。とにかく、今晩の出席、あなたに代わっていただきたいの。いつもいつも私がウォルシュ大隊長に同伴していたら、まるで彼の愛人か何かみたいでしょう?」
さすがに、それは自意識過剰なのではないか。まずは鏡を見ることをおすすめする。……と言いたいところだが、さすがのピペタも口には出さなかった。
どう返事したら良いのか、少し悩んでしまう。そんなピペタに対して、モデスタはスッと顔を近づけて、いかにも内緒話と言わんばかりの様子で続けた。
「……というのは、建前でね。本当のところは、あなたの剣の腕を貸していただきたいのですわ。そうでもなければ、小隊長ではなく、中隊長の中から代理を選びますもの」
「ああ、そうでしょうな。それにしても、私の剣術を頼りにされるということは、どうやら物騒な話のようで……」
「ええ。あまり大きな声では言えないのですけど……」
さらにピペタの耳元に唇を寄せて。
モデスタは、ようやく要点を口にするのだった。
「ここ最近、ウォルシュ大隊長は、誰かに付け狙われているのですって。だから、夜道の一人歩きが怖いとか、凄腕の護衛が必要だとか……。そんな
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