第69話 幼馴染がジョギング中に倒れた件

 重食喫茶じゅうしょくきっさクラシルに行った翌日の朝。ふと、意識が覚醒しているのに気がついて、起き上がってみる。まだ日が完全に昇っていない朝6:00の事だった。


(そういえば、ミユが居ないな)


 まあ、ミユはジョギングにでも行ってるんだろう。もう一眠りするか。そう思ったところで、着信音が鳴っている事に気がつく。


 スマホを取ってみると、なんとミユの番号で、慌てて俺は電話に出る。


「おい、ミユ。何かあったのか?」

「平気、って言いたい、んだけど。心臓が苦しくて……」

「心臓?ど、どういうことだ?」


 ミユの心臓が悪いなんて事は聞いたことがないし、健康診断でも、特に問題はなかったと聞いている。それが、なんで。


「なんか、わからない、んだけど、走ってると、急に、息が、苦しく、……」


 スマホ越しでもミユが苦しそうな様子が伝わってくる。あまりにあまりな出来事に、パニックになりそうになるが、こんな時こそ落ち着かないと。


「とりあえず、救急車は呼んだのか?」

「ううん。まだ……何、話して、いいのか、わからない、し」

「わかった。とりあえず、そっち行くから。どの辺だ?」

甘久保あまくぼ公園の、近く……」


 ミユが言った甘久保公園は、ここから歩いて数分だ。自転車を走らせれば1分かからないだろう。


「すぐ行くから。とりあえず、深呼吸して、気を確かに。な?」

「うん、ありがと。それと、ごめんね……」

「そんなことで謝るなよ」


 相当気が弱っているようだ。急がないと。準備をする時間も惜しくて、最低限の着替えと、財布にスマホだけを持って、自転車を走らせる。


 すると、ちょうど甘久保公園のほとりのベンチにミユが寝そべっていた。


「おい、大丈夫か?」

「あ、リュウ君。来てくれたんだ」


 相変わらずしんどそうだが、そこまで顔色は悪くなさそうだ。


「で、調子はどうだ?」

「ううん。心臓、が、バクバク、して、深呼吸、しても、戻らない、の」


 途切れ途切れに言うミユは本当に苦しそうだ。


「よし、救急車呼ぼう」

「でも、お金が……」

「そんなこと言ってる場合か。命がかかってるんだぞ」

「そ、そうだね」


 119番に急いでかける。少し歳のいったおじさんの声が聞こえてくる。


「はい。火事ですか?救急ですか?」

「救急です。ミユ……ええと、私の同棲相手なんですが、彼女が心臓が苦しいと訴えていまして」

「心臓?」


 その言葉を聞いて、おじさんの声色が変わった気がした。


「心臓がバクバク言って、ずっと収まらないと。今、ベンチで横になってます」


 その後、ミユが訴えている症状を一通り伝えると、住所を聞かれたので、甘久保公園の近くと伝える。そんなローカルな場所がわかるだろうかと思ったが、幸い、すぐに駆けつけるので15分程待ってほしいという返事。


 15分とは長すぎじゃないか、と反射的に思ってしまったが、救急車だってできるだけ急いでいるはずなんだという当たり前の事を言い聞かせて、その言葉を飲み込む。


「ミユ。救急車、15分で来るって」

「そっか。あり、がと。15分って、意外と、長いよね」


 ぜえはあと息をしながら言葉を返すミユ。


「とりあえず、無理にしゃべるな」

「うん。そ、だね……」


 そう言うと、ミユは黙り込んだ。すうはあと、何度も一定の感覚で息をしようとしてるから、呼吸を整えようとしているんだろう。こういう時、何もしてやれない自分が恨めしい。


 そんな、限りなく長い15分を待った後、ようやく救急車が到着した。担架で持ち上げられて車内に運ばれるミユ。その後、俺も付添いとして同乗する。


「その、ミユ……ええと、彼女は大丈夫なんでしょうか?」

「落ち着いてくださいね。今、調べていますから」


 焦った俺の言葉にも、動じることなく、落ち着いて対応する救急隊員さんを見て、少し俺も落ち着いて来た。


 ミユが寝かされているところでは、何やら矢継ぎ早に色々な質問が行われて、同時に、何やら心臓の何かを測るような機械が取り付けられているのを見る。確か、心電図だったっけ。


「バイタル、正常。体温も、異常なし」


 そんな言葉が聞こえてくる。バイタル、というのは聞いたことがないが、正常、ということは、ヤバい状況ではないのだろう。仮に何かあっても、一刻を争う状態じゃないらしい。


「あー、これはたぶん、過呼吸かこきゅうだな……」


 俺の近くにいる、救急隊員さんの一人がぽつりとつぶやいたのが聞こえた。


「過呼吸って何ですか?」

「あー、まだ検査はしてませんから、確定ではないですが……」

「現時点での見立てって事ですよね?それでもいいので」

「よくあるんですよ。呼吸をし過ぎて、二酸化炭素が不足すると、起こる症状でして。始めてなった方は、心臓の病気と思われる方も多いのですが、大半は一過性のものです」

「そうですか」

「あ、もちろん、検査をしてからですからね」

「あ、はい。それはわかってます」


 話している向こうでは、何やらビニール袋がミユの口に当てられているのが見える。過呼吸とやらの治療なのだろうか。


 そんな事を話している内に、病院にたどり着く。惚れ惚れするような手際の良さで、担架をおろして、病院の非常窓口からミユを病院の中に運び込んでいくのが見える。


「えーと、私はどうすればいいでしょうか?」

「あとで、朝倉さんの診察がありますので、受付にお越しください」

「わかりました」


 受付で、救急車で運ばれた朝倉美優の付添いで来たことと、保険証を見せると、しばらくお待ちくださいと言われて、待合室に案内される。


 待っている間、スマホで「過呼吸」を調べると、緊張などの要因で呼吸をし過ぎるのが原因で発生する症状らしくて、二酸化炭素の不足が原因とのこと。救急隊員さんが言っていた通りだ。そして、ペーパーバッグ法というのがあるらしくて、それはまさしく、ミユが受けていたような、ビニール袋を口に当てて、繰り返し息を吸ったり吐いたりする対症療法のようだ。


 その後も、落ち着かないので、色々調べていると、その内に、俺の名前が呼ばれる。


 診察室に入ると、出迎えたのは比較的歳の若そうな女医さんだった。偏見だが、バリバリ仕事のできる女性、といった感じだ。


「付添の、高遠竜二さん、ですね?」

「はい。よろしくお願いします」


 そうして、説明された結果は、やはり過呼吸のようで、原因は不明だが、ジョギング中に息をしすぎたのではないか、ということだった。心電図検査や血液検査も異常はなく、呼吸も落ち着いているので、ミユが落ち着けばいつでも病院を出られるとのこと。あとは、ミユの保険証が手元に無いので、一旦実費精算で、ということで、後で保険証を持ってくれば、7割返ってくるといった説明を受けた。


「リュウ君、ごめんね。心配かけちゃって」


 診察室の奥のベッドを訪れると、ミユはしょぼくれた様子だったが、さっきのような、呼吸の乱れがなくて、心底安堵する。


「ほんと、良かった」


 安心のあまり、ミユの身体をぎゅっと抱き締める。


「あはは、病室なんだけど……でも、ありがと」


 それから、まだ不安だというミユが落ち着くまでしばらく待ってから、病院を出る。さすがに、現在地がわからないし、タクシーを呼ぶことにする。


「タクシーなんて、ちょっと贅沢だよ」

「また過呼吸が再発したら、事だからな。念のためだよ」

「リュウ君、思ったより、心配性だったんだね」


 そんな事を話しながら、家に帰ったのだった。


「あー、ほんと、良かったよ。なんともなくて」

「それは、私が言うことだと思うんだけど」


 もう、すっかり元気になったミユがそんな言葉を返す。


「だって、俺にしてみれば、心臓止まるかと思ったぞ?」

「おおげさだよー」

「ミユだって、俺が熱中症で倒れた時、すっごい心配してたぞ」

「う。まあ、そうかも」


 自分が同じようにうろたえていたのを思い出したのか、少しバツが悪そうだ。


「でも、ほんと怖かった。死ぬわけじゃない病気でも、あんなになるんだね」


 さっきの事を思い出したのか、身震いするミユ。


「俺もほんと意外だったよ。調べたけど、過呼吸ってありふれた症状らしいな」

「うん。そうみたい。なってる時は、死んじゃうかも、って思ったんだけど」

「ともかく、なんともなくてよかった」


 そんな、身近に潜む病気の怖さを知った朝だった。

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