第26話 精霊のもとへ
紅蓮の館までの道のりを、今度は五人で歩く。
昨夜はジェイクに抱かれたまま走り抜けた道だが、実際に歩くと道があるのか分からないくらいの鬱蒼とした暗い森だ。でも木々はシャロン達のために道を開け、きちんと館まで送ってくれることが分かる。その当たり前の見慣れた光景にシャロンはホッと息をついた。
歩き始めたとき偶然ジェイクの手の甲がシャロンの手に触れたので、そのまま手をつないだ。キュッと握り返してくれる、それだけで不安な気持ちが和らぐ。
歩きながらロイに説明をすることにした。
「殿下は、私が紅蓮の館に住む魔女だとご存知なんですよね?」
念のため尋ねると、ロイはチラッとつながれた手を見て肩をすくめる。
「ええ。一度会いたいと思っていました」
なんだか色々含みがあるような気がしたが、前世や二年前にチラッと見た様子から、ジェイクから話を聞いていたものと判断した。
「今回の宴は、本当はテオドラ姫のものでした」
少し考えてから回り道をせず手短に事情を話すことに決めてそう切り出すと、ロイは「テオドラ姫?」と不思議そうな顔をする。
「ええ。この国の、本当の末の王女です」
「姫様!」
悲鳴のようなエルザの声にシャロンは一瞬目を閉じる。
「テオドラは末の姫カロンの姉。カロンは十五年前に死んだ。この国ではそういうことになっていたのですよ、殿下」
エルザたちの言葉を制し、実際自分がカロンでありテオドラの妹であること。そして十五年前に攫われ、自分が死んだと思われていたことを簡単に説明した。
「だが私はネイディア王家より正式に、末の姫であるカロン姫の宴に……」
「そうですね。でも私と姉の誕生日は同じ日ですけど、本来快気祝いと誕生祝い、そして夫を探すのはテオドラのはずでした。カロンではない」
入れ替わってしまった王女。
でもこれは十年前、ジェイクが時をかけたがために起こった未来だ。もともと明日はジェイクの結婚式で、ロイはそちらに出席している。やり直したがために起こった、いや、起こるはずだった本当の未来は――
「殿下はそこでテオドラ姫と出会い、二人は恋に落ちるはずでした」
「何を一体……」
バカなことをと言うような表情のロイに、シャロンはあえておっとりと笑いかける。
「本当ですよ。私が邪魔な要因なんです。だって別人だから」
「そんなことはない! 私があなたに惹かれたのは事実だ。あなただって」
「……ええ。もしジェイクがこの国に来ることがなったら、もしかしたら……」
それを否定することはできない。
驚いたように強く握られたジェイクの手を握り返した。
彼が来てくれなかったら。そう考えるだけで体が震えてくる。
ジェイクのことを知らないまま、テオドラのいるべき場所でテオドラが歩むはずだった未来を歩いていたかもしれない。でもそれはまやかしだ。
「では私はジェイクに決闘を申し込もう。友人の長い恋の相手だから――そう思ってあきらめようと努力しているが、私はカロン姫の愛を得たい」
立ち止まり、低く殺気のこもったロイの声にシャロンは首を振った。
イズィナには女性の愛を賭けて男たちが闘う習慣があるのは知っている。女の気持ちは無視かと言えばそういうわけでもない。ありていに言えば、かの国では生活能力がある強い男のほうを選ぶのが幸せだと考えられているからだ。
本来であれば、第三王子で、将来有望であろう騎士の殿下がやや有利だろう。
だがシャロンにその思想はない。
「私の愛はジェイクのもの、彼だけのものです」
ジリッと足が動くジェイクを制止する。剣も持っていないし半分は冗談なのだろうが、二人が戦う意味などないのだ。
「私が勝てば変わるかもしれないだろう?」
ロイが甘く微笑むが、シャロンはあっさり首を振った。
「いいえ。だってジェイクは負けませんよ? 絶対負けませんから、決闘するだけ無駄です。――もしもの時はこの身を使ってでも、負けさせはしないから」
笑顔のまま威圧するシャロンに、ロイはフッと肩の力を抜いた。
「そんなにその男を愛してる?」
クイッと顎でジェイクを示す顔はどこか面白そうにも見える。茶化されたように思え、シャロンはいささかムッとした。
「当たり前じゃないですか。私が恋をした人は三人いますが、結局全部ジェイクだったんですよ。忘れても忘れても、彼を見たら私は確実に恋に落ちます。やっと捕まえたんですよ、邪魔しないでください」
万が一ロイと恋をした気になっていたとしても、ジェイクが現ればロイなんて見えなくなる。例えジェイクがシャロンを見てくれなくても……。
と、突然後ろから抱きしめられた。
「えっ? ジェイク?」
腕が震えてるのは笑いをこらえているからだろうか?
「シャロン、自分を犠牲にするのは禁止」
怒られた。
「ごめん。そうよね、だめよね」
そんなことをしても嬉しくないことは実感していたはずなのに。しょんぼりするシャロンの頬にジェイクが柔らかい口づけをする。
「ロイ、諦めてくれ。ぼくは彼女を渡さないって言っただろう」
「こんなことならおまえに協力するんじゃなかったって、心底後悔してるよ」
長年の片恋を笑ってやるつもりできたのにと冗談ぽく笑うロイに、シャロンは
「いいえ、多分感謝しますよ」
と笑った。
「今は間違った道にいるからそんな気持ちになってるだけです」
「どうしてそんなことが分かるのです?」
ロイの問いにシャロンはただ笑って受け流す。本当にこれが正しいのか不安がないといったら嘘になる。でも正しい道だと信じるしかない。
今日、試合の合間と晩餐の時にロイにはテオドラを見せた。それを記憶してはいないはずだが、彼がカロンに見せるよりも強い感情を見せるのは、シャロンを通して見せた姉の姿の前だけだ。今はテオドラのいるはずの場所にシャロンしかいないから間違えているに過ぎない。その証拠に惹かれてると言いながら違和感を覚えていることが分かるから。
「テオドラに会ったら分かります。もう私のことなんて全くかすんで見えなくなりますよ! 可愛いんですから!」
顔は似ているが、おっとりとした真正のお姫様だ。カロン姫はテオドラを模倣したに過ぎない、それほど理想の女の子。
「彼女を探すのに殿下の力が必要なんです」
「ほう?」
実は少し予想している場所もあるのだが、それにもロイが必要なのは変わりない。
面白そうに顎を撫でるロイをうかがうと、彼はちらりとジェイクとシャロンを見て少し意地悪そうな笑顔になった。
「もしテオドラ姫を見ても、私の気持ちが変わらなかったら?」
そんなことは万に一つもありえない。
シャロンがそう言おうとするのをジェイクが制し、
「その時は正々堂々と戦おう」
と口の端をあげた。
――男ってやつは……。
なぜか面白そうに目を輝かせるゼノンの隣で呆れたような表情のエルザと目を合わせ、シャロンはやれやれと首を振る。おかげで絶対正常な未来に戻すと決意しつつも、少しだけ怖かった気持ちがずいぶんと和らいでしまった。
それからまもなくして紅蓮の館が見えてきた。
今日は自動で扉は開かないらしい(むしろなぜ夕べ開いたのかのほうが謎だ。閉じたままなら抱かれたまま扉をくぐるなんてこともなかったのに)。
シャロンはいつものように扉を開け、皆を中に招く。
薄暗かった室内に明かりをともすと、ジェイク以外が驚きの声をあげた。
「これが、魔法の……」
ロイが目を丸くしてポツリとそう言った後、訝しげな表情になるのを見てシャロンはホッとした。
――ああ、大丈夫だ。きっとうまくいく。
「今から精霊を呼びますね。期待していいですよ、すっごく
男性体でも女性体でも美しい紅蓮の館そのものの精霊。
「ミネルバ!」
シャロンの呼びかけに姿を現したのは女性体のミネルバだ。エルザたちが目がこぼれそうなほど夢中になって見ている前で、今度はくるりと一周回ると男性体に変化した。その自分の姿を見せつけるような精霊の姿に、シャロンはクスクス笑った。
「精霊には性別がないけれど、どちらも同じ精霊よ。名前はミネルバ。この紅蓮の館そのもので、私の養い親です」
「ミネルバだ」
シャロンの紹介に、男性体のミネルバが優雅に一礼する。それは王の臣下のようでもあり、ゼノンが思わずと言った風に「おお」と声を漏らした。同時にエルザが涙ぐみ、深く首を垂れる。
「姫を……カロン姫を助けていただき、まことにありがとうございます」
「礼には及ばぬ」
硬い口調ながらも人のように少し困ったような表情のミネルバに、ロイは目が離せないようだ。
「殿下、今から言ってほしいことがあるんです」
「ああ」
上の空のようにも見えるロイに、シャロンはある言葉を言うように頼んだ。
「お願いします」
シャロンが緊張と、少しだけいたずらのような気分で頭を下げると、ロイの表情が変わる。そして目を細めて周囲を見回してから、シャロンの頭をクシャリと撫でた。
「君はいい子だな」
突然大人びた表情で破顔しシャロンに小さく謝意の言葉を述べると、もう一度ミネルバを見て大きく頷いた。
「息災で何よりだ、ミネルバ。前より男らしさに磨きがかかったんじゃないか? 女性体も美しかったぞ。そんな手順を組んだ覚えはないんだがな。まあ、いいや。では姫のリクエストに応えよう。――ミネルバ、マスターとして命じる。テオドラ姫の行方を捜せ」
「承知しました」
ミネルバがもう一度頭を下げる。
「お帰りなさい、マスター」
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