第20話 約束
何の表情もないまま見上げるシャロンに、ジェイクの顔がゆがむ。それでもシャロンの心は疲れ切って、何かを感じることを拒み続けた。
壊れ物のように抱き寄せられ、コテンと額が彼の胸に当たる。
「ぼくの願いだって同じだ。君に生きていてほしい。誰よりも幸せに……」
そこでいったん言葉が途切れるとグイっと引き離され、ジェイクが真剣な顔でシャロンの瞳をのぞき込んだ。
「ちがう。ぼくのほうが傲慢だ。ぼくは君と一緒に幸せになりたいんだ。君の側にいたい。ただ生きてるだけじゃダメなんだ。二人じゃないと意味がない!」
「…………」
「君が王太子殿下のご子息を助けたのは家族だから?」
シャロンが人形のようにコクンと頷く。
「ぼくは、君が誰かのために自分を犠牲にするのは嫌だ。それがぼくの為でもだ」
「ごめんなさい……」
だから知られたくなかった。
「そうじゃない。ちゃんと聞いてくれ、頼む。ぼくは君を愛してる。わかってるかい?」
でも……
「君を嫌いになったことなんて一度もないよ。あの夜はぼくが悪いんだ。情けないけど……嫉妬してた」
嫉妬?
思い当たることが全くなくて、シャロンはゆっくり首を傾げた。ジェイクはその様子に苦笑し、自分がコンラッドのような姿でないことが嫌で、たぶん駄々をこねたんだと言った。どうしようもないガキだった、と。
「まだ自分が子どもなのが悔しかったんだ。本当はあの日、君と将来の約束をしたかった。大人になったら結婚してほしいって、本当はそう言いたかったんだ」
「まさか……」
小さい子どもの夢物語を聞くように、シャロンは優しく微笑む。
信じることを拒み続けるシャロンに、ジェイクは一度苦しそうにギュッと目を瞑った。
「信じてもらえないかもしれないけど、ぼくは君じゃなきゃダメなんだ。どんなに素敵な女性が相手でも、ぼくは君と話している時が一番楽しかったと思ってしまうし、これがもしシャロンだったらと考えてしまう」
失礼な奴だろと自嘲するように笑うジェイクに、シャロンは胸元で強く手を握りしめた。胸が痛くて呼吸ができない。
「ぼくが愚かだったから。もともと君を愛していたのに、君を失うまでそんな大切なことに気付いてもいなかったから――。ねえ、シャロン。もう一度聞く。正直な気持ちを教えてくれ。今朝言ってくれたカロンの気持ちとシャロンの気持ちは同じ?」
肩に置かれた手が震えているのが伝わってきて心を揺さぶられる。ガンガンと打ち付ける心臓の痛みに、シャロンはギュッと目をつぶった。
――私は、誠実であろうと決めたはず……。
それは自分がカロンでもシャロンでも同じだ。
「同じじゃ、ない……」
絞り出した言葉に、ハッと息を飲んだジェイクの手がそっと離れる。
「じゃあ」
「同じなんかじゃない。カロンより私のほうが、ずっとずっと好きだもの。誰よりも愛してるもの! あなたが思うよりずっとずっと、ジェイク、私はあなたを愛してるのよ!」
前の人生でも、繰り返されたこの十年でも、この愛が報われる日なんて望んでなかった。ジェイクから愛を告げられるなんて、夢にも思わなかった。
たとえすべてを忘れても、シャロンが愛する人はジェイクだけだ。他には誰もいない。
自分は本当はすでに死んでるんじゃないか、今この時も夢の中じゃないかって本当は思ってる。
「でももう嫌なの。目の前で二度もあなたを失ったのよ。あなたをこの手で看取り、埋葬までしたの。もう無理。これ以上無理。あなたを失ったら気が狂ってしまう! 私はあなたのいない世界で生きることなんて出来ない!」
だからお願い、遠くで幸せになって。
私はただ祈っているから。それでも困ったときは呼んでくれていい。いつでも助ける。
「ぼくも同じだよ。腕の中で君をみすみす死なせた。ぼくのせいで」
「違うわ。あれは私が望んで勝手にそうしただけよ。私自身のためでしかないわ。だから責任なんて感じなくていいの」
ただの自分勝手な行為だったと訴えるシャロンに、ジェイクは呆れたと言うように苦笑し、首を振った。
「責任? あのね、シャロン。そんなことのために十年も愛せると思う? この四年は君がどこにいるかも知らなかったのに? 自分勝手なのはむしろ僕だろ」
チュッと大きな音を立て子どものような接吻をされ、シャロンは大きく目を瞬いた。
「そりゃあ、生きていれば明日に何が起こるかなんて分からない。でもそれを恐れてできるはずのことを諦めるなんてぼくは嫌だ」
もう一度、今度は朝の時のように丁寧に優しく口づけられ、シャロンの強張りが緩む。
「シャロンはぼくを愛してるんだよね?」
「愛してるわ」
無意識にこぼれた言葉に、ジェイクがニッコリと笑った。
「ぼくもシャロンを愛してる。君だけを愛してる。これからもずっと、心からの忠誠を君に捧げる」
シャロンの指先に口づけられ、そこからじわじわと熱が上る。
「一人では無理だったことも二人ならきっとできる。ぼくは君がいれば、なんだってできそうなんだよ」
「ジェイク、泣きそうな顔になってる……」
「ぼくを泣かせることができるのは君だけだね」
クスッと笑ったジェイクはふと考え、突然上衣を脱いで二の腕をシャロンに見せた。
「これ覚えてる?」
少しは赤くなってよと笑いながら見せた逞しい腕には、小さな丸い痣があった。
「喧嘩したとき、君に噛まれたあと」
「えっ、やだ。ごめんなさい」
まだ体格差がほとんどなかった子どものころには、取っ組み合いのけんかさえしたのだ。大人になっても残るほど強く噛んだことに、シャロンは青くなったり赤くなったりし、オロオロと謝り続けた。
「もともと君は強い子だったよ。臆病なんかじゃない。――だろ?」
「えっと、うん」
困りながらも、ジェイクのいたずらっ子のように輝く目を見ながら頷く。
「これは君が付けた印。ぼくは君のものだって証だ」
「――意地悪」
ぷくっと膨れたシャロンにホッとしたようにジェイクは笑い、再び跪いてシャロンの手を取った。
「こんな意地悪で身勝手な男だけど、一生君を愛し守ると誓う。だから――だからもし叶うなら、本当の家族にならないか?」
「家族‥‥‥?」
「うん。ぼくと結婚してほしい。――ねえ、ミネルバ。シャロンが同意してくれたなら許してくれるだろ?」
シャロンが答えるよりも先に、ジェイクは養い親に確認を取ってしまう。ミネルバの答えは「もちろんです」だった。
「もう。私の答えが先でしょう?」
怒ったふりをするシャロンに向けられるジェイクの顔は優しくて、どう否定してもその愛は疑いようがなくて、シャロンはコクンと頷いた。
ぼくは君のもの‥‥‥。
それはバラバラになった二つの
「ジェイク。二つ、約束をしてほしいの」
大きく深呼吸して、波のように押し寄せる恐怖を振り払う。
「いいよ。なに?」
「明後日、もしまた何かあっても時をかけないで」
明後日……シャロンが二度ジェイクの死を目の当たりにし、ジェイクが一度シャロンをなくした日。
「ジェイクに何かあったら私は後を追う。でももし私に何かあっても、もうそのままにしてほしいの」
「ぼくに一人で生きろと?」
あえぐようなジェイクの問いに、シャロンは頷いた。
もしものとき、自分は生きることを放棄すると言っているのに彼には生きろとは、とても我儘なことを言っているのかもしれない。それでも彼には生きていてほしい。その願いだけは変わらないのだ。
「ジェイクは、私がいなくても幸せになれるわ。絶対に」
「ちが‥‥‥!」
「どちらにしても、それだけの力はもうここには残ってないわ。時をさかのぼることは不自然なことよ。私が言えることではないけれど」
ミネルバが同意するように頷くのを見、シャロンは手のひらをジェイクの頬に当てる。そっと撫でると伸びかけたひげが当たり、それがなんだかとても愛おしくて、彼がここに生きてる証のように思えて、シャロンは微笑んだ。
「明後日、カロンの誕生祝いを無事終えることが出来たら――あなたの求婚を受け入れます」
シャロンの手に自分の手を重ねたジェイクは、低い声で一つ目の約束を了承した。
「わかった。何事もなく無事に過ごせれば問題ないんだからね」
ジェイクを殺そうとした男はもういない。ジェイクの花嫁になるはずだった女性に出会うこともなかった。それを理解していても、そうなるようジェイクが未来を変えたことが分かっても、シャロンの中の恐怖は楔のようにしっかり打ち込まれている。
でも本当に未来が変わっているなら、もう一度迎える明後日を最後にできるなら――。私は、彼と共に幸せを築いてもいいのだろうか……。
「シャロン、もう一つは?」
ジェイクの青い目がきらめき、手のひらに口づけられる。
シャロンは愛しさと苦しさで喉の奥に塊が詰まったようになりながらも、どうにかもう一つの願いを口にした。
「――ずっと、一緒にいて。絶対に私を置いて行かないって、約束して」
こらえていた涙が一筋こぼれおちる。
隠し続けていた本当の願いだった。絶対に叶わないと思っていた夢だった。
「私と結婚するなら、老衰以外で死ぬなんて許さない。私を置いていくなんて、勝手に死んじゃうなんて、絶対許さないんだから。私以外の女の子がジェイクの隣にいるのも嫌。あなたの手も唇も、私以外に触れないで! こんなわがままを嫌だと思うなら、どうかこのまま全部忘れて……」
ぽろぽろと涙が止まらなくなる。
一生に一度の願いを吐き出し、シャロンは両手で顔を覆った。
「もちろんだ」
ジェイクのかすれた声が聞こえ、ゆっくりと抱きしめられる。
「もちろんだ。約束する。こんな嬉しいわがままなら、いくらだって聞く」
髪を撫でられ、シャロンはたまらずしゃくりあげた。
「ねえシャロン、君もだよ? ぼくを置いて行かないでくれ。ぼくだって、君の隣に他の男がいるのは嫌だ。君のかわいい笑顔でさえ独り占めしたくて仕方がないんだ」
カロン姫にみんなが鼻の下を伸ばしてるのに腹が立って仕方がなかったと言われ、シャロンはクスクスと笑った。ぜったいそんなことないのに。
「うん。約束する」
ジェイクの腕の中でシャロンは頷いた。その背に手を回し、力いっぱい抱きしめる。
「愛してる、ジェイク」
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