時をかけた騎士と紅蓮の館の白き魔女
相内充希
第1話 それは始まりではない始まり
それは、かつて魔女である少女がジェイクに教えてくれたこと。
「昔はね、すべての人が魔女だったのよ」
得意げな口調がなんだかおかしくて、ジェイクは笑いをこらえるのが大変だったことを覚えている。
「昔の人は、みんな女の人だったってこと?」
「ちがうわ。男の人も、魔法が使える人を魔女と呼んだの」
「変なの」
「そうよね、変だよね?」
「でもそしたら、ぼくも魔法が使えたのかな」
「そうね。使えるかも。ねえ、ジェイク。私思ったんだけど、もしかしたら、みんな魔女の子孫なんじゃないかしら。試してみましょうよ、あなたにも使えるのか。ね?」
――そう。かつて人はすべて魔女で、魔法は誰にでも使えたんだ。
◆
森を出たところで木陰に寝そべっていた大型犬は、森から出てきた主人である少年を見つけると、立ち上がりバサバサと尻尾を振った。その姿を見てパッと顔を輝かせたジェイクは、駆け寄ってその首に飛びつく。
「デュラン、会えたよ。前よりも半年も早く彼女に会えたんだ!」
あふれる興奮を抑えるように低くささやく声。
それは十歳という年齢の割に大人びた印象だが、今は彼の愛犬と二人きり。ほかには誰もいない。彼はジェイクの友で弟で、唯一彼の秘密を知るものだ。
今のジェイク・ライクストンは十歳で、かつての自分をとても愚かな男だったと思っている。なぜなら――
「
デュランは、ジェイクが二年前に見つけた犬だ。
十年の時をさかのぼったその日、森で母親を亡くし鳴いていた仔犬たちを見つけた。三匹いたうち二匹は衰弱してそのままだったが、デュランだけは峠を越え、以来すくすくと育ち、今ではジェイクさえも乗せられそうなくらい大きくなった。
二度目の人生で初めにあった特別な子だから、ジェイクは彼にだけ秘密と本心を打ち明けている。デュランは言葉は話さないが、その瞳は静かに理解を示す賢い子だ。
前の時にはいなかった弟分。それだけでも、先を変えられる希望になったものだ。
ジェイクはこの小領地・ラゴンの領主の長男だ。
五歳上に姉が一人。ほかに兄弟はいない。
だからいずれ父の後を継いで領主になるため、大領主のもとで騎士見習いになり、そのまま王のもとで騎士になる予定だった。たしかに
母が亡くなり、父が亡くなった時にも、それを疑問に思わなかった。
姉も嫁ぎ先で息災に暮らしていると信じていた。
王の決めた美しい女と結婚することが決まった時さえ、とくに何の抵抗もなく受け入れた。
「ほんと、自分じゃなかったら一発殴ってるくらいだ。気付く予兆くらいあったはずなんだからな」
山賊や野盗をはじめ、戦うこととは決して無縁ではなかったにもかかわらず、なぜかここだけは特別だと信じて疑うことさえしなかったあの頃。
変わらないものがあると信じていた。
小さいが、海と山に囲まれた平和な領地。
自分に様々なことを教えてくれた、紅蓮の館の精霊ミネルバ。
遠くにいても、親友で家族であると信じていた白き魔女シャロン。
たぶん自分は特別なんだと驕っていた。
あの頃は、ただ何も見ようとしていなかっただけだと今は分かる。我ながらめでたすぎて情けない。
だがそんな幻想はもろくも崩れ去った。
突然知った真実は、ジェイクの頭の中に咲いていた花を一気に吹き散らす。
父と母が本当は暗殺されたこと、姉がひどい環境にいたこと、その夫のくだらない野望。そして追い打ちをかけるように火を噴く山。
あの日、ジェイクの頬に触れた冷たい手。
こぼれた涙。
動かなくなった華奢な体。
その
あまりにも遅すぎた。
自分の口から出た獣のような叫び。
冷たい口づけ。
起こった最後の魔法。――その何もかもを覚えてる。
最後に彼が行ったのは、最大の魔法だ。
それは過去に戻ること。
狂気に飲まれていたとしても、それがなんだ。
禁忌だろうが構うものか。大切なものをすべて失う未来なんてなくていい。あっていいはずがない!
そして気付くとジェイクは子どもに戻っていた。記憶を持ったまま十年の時間をさかのぼったらしい。
領地はあの頃と同じく平和で、何も変わらなかった。
父がいて、母がいて、姉がいる。
だがこの二年、未来を変えるために
ただ、魔法が使えない今のジェイクでは、シャロンの居場所はなかなかつかめなかった。
魔女のうわさがささやかれるようになったのは三か月ほど前からだ。紅蓮の館、別名魔女の図書館がこの土地に向かっているらしい、と。
それはシャロンの住む、動く館だ。
だがその館がこの土地に腰を落ち着けても、ジェイクはもとより、誰もそこに行くことはできない。
館は侵入者を拒むから、ジェイクはあの日と同じ状況、条件がそろうのを待つしかなかった。
それで会える確信はなかったが、なんとか半年も早く会うことが出来たことにホッとした。
デュランの腹を撫で、ジェイクはさっきの出来事に思いをはせる。
少しだけ眉が寄り、難しい表情になった。
「なぜだろう。半年も早く彼女と会えたのに、あったことは前と全く同じだったんだ」
やり直しを始めて以来、こんなことは初めてだ。
懐かしい館を見つけたときまでは、たしかに覚えていたのだ。だが彼女に会った瞬間、ジェイクは大切な「未来の記憶」を忘れた。
まるで初めてあったことのように繰り返される出会い、会話。
季節は違うのに、まるっきり同じ出来事。
「我ながら、めちゃくちゃ子どもっぽかったよ。少しでもかっこいい姿で再会したかったのに」
実際十歳同士だし、起こったことそのままなのだが、それでも頭の中は二十歳の男なのだ。あまりにも子どもっぽい自分の言動に頭を抱えるが、同時に懐かしくて胸が締め付けられて驚く。
「でも今までいくつかの出来事を変えてきたけど、こんなことは一度もなかった。なのにどうして……」
あの日、狩りではぐれて迷子になり、腹を空かせて心細かったジェイクをシャロンが見つけてくれた。自分よりも小柄な女の子が、暖かい部屋で偉そうにスープをごちそうしてくれたのだ。
あの日、初めて会う魔女に、見たこともない調度品、そして噂の館に入れたことに興奮した。魔法を見ることはできなかったが、あの日の出来事は生涯忘れることはできないだろう。
以来何度も通って過ごした館なのに、今日起こったことはまるで初めてのような会話、気持ちだったことに我ながら戸惑いが隠せない。彼女の前に出ると、魔法の力に何か影響があるのだろうか。
未来の記憶を持ったまま子供に戻ったのは、確実に魔法の力だからだ。
「なんとなく、それはシャロンも同じような気がしてたんだけど、それはぼくだけだったってことなんだろうな」
ちょっとだけ感じる落胆。
再会を心待ちにしてたのは自分だけだったのが、少し寂しい。
でも仕方がない。今のシャロンにとって、実際自分は初対面なのだから。
白っぽい髪をおさげにした、生意気で可愛いシャロン。
でもあと八年もすれば美しい青灰色の目はそのままに、白っぽい髪は輝くような金色になる。まろやかな曲線を描く身体は、どこまでも女らしく魅惑的だ。小生意気に上がるあごも、少しとがらせた唇も、本当はすべてが震えるほど美しいと思った。のどがカラカラになるほど渇望した。なのに気付かないふりをした。
あの頃のジェイクは、魔女であるシャロンを特別な友人で、大切な家族だと思いこんでいた。それは一生変わらないと思っていたのだ。
自分の気持ちに目隠しをしていたのは、それを認めることで、シャロンを失うのが怖かったからなのだろうか。
だけどこの二年で、父と母、姉のことは守れた。
あの小悪党はもういない。
次はシャロン――君だ。
今度こそ君を守る。
たとえ君がぼくを覚えていなくても。
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