第5話 紅蓮の館の精霊

 はじめて紅蓮の館を訪れて以来、ジェイクは三日と開けずにシャロンのもとに通った。

 それなりに仕事もあるし、最初は誰にも内緒で来ていたため一緒に過ごせる時間はごくわずかだったが、それでもシャロンと一緒にご飯を食べたり、菜園の手伝いをしたり、時には二人で変装をして一緒に出かけた。最初は森の外に待たせていたデュランも、シャロンが招いてくれたため一緒に館に行くようになった。



 隙間風も入らず、火を使わなくても夜でも明るい館。呼び出せば現れる本。

 室内にいても水を出せたり、食べ物を新鮮なまま保管が出来たりする。

 館に居ながらにして遠くを見ることが出来るし、話をすることもできた。


 だがそんな魔法の館に通っていることは、大人たちには早々にばれていた。十分に気を付けていたつもりだが、所詮は子どもの浅知恵といったところだったのだろう。領主である父に単刀直入に問いただされたとき、前世のジェイクは完全に血の気が引いていた。秘密を守れなかった自分は、もう二度と館に行くこともシャロンに会うこともできないと思ったのだ。

 だが元々、このラゴン領において“紅蓮の館”と“白き魔女”は特別な存在だった。



「ジェイク。お前が最近紅蓮の館に行っているという報告があった。そこには今、新しい白き魔女も住んでいるらしいと。相違ないか?」

 父からそう問われ、ジェイクは最初の時と同じように答えることにした。

「はい、その通りです」

 シャロンとの約束も大事だ。だが領内においての信頼も大事なのだ。今のは質問のようだが、否定やごまかしは全く許されなかった。


「そうか」

 大きく息をついた父は天を仰ぎ見た後、微かにジェイクに笑いかける。

「私はお前を誇りに思うよ。存分に学び、白き魔女には親切にするように。いいね」

「はい!」


 シャロンは気付いていないようだが、ジェイクが知る限り領内の人間は館の滞在も魔女の存在も歓迎していた。

 紅蓮の館と白い魔女はラゴン領の恩人だったのだ。


   ◆


 父に返事をしたその日のうちに、ジェイクは紅蓮の館に向かった。

 秘密を守れなかったことを謝罪するためだ。そのうえで、彼女たちの判断を仰ごうと思っていた。

 ジェイクは館もシャロンも大好きだったから、言い訳したり、無様に縋りつかないよう自分を戒めて、決死の思いでシャロンに会いに行ったのだ。

 だがジェイクが父とのことを話した後、シャロンは「そう……」と言ったきり、何かを考えこむような表情で黙り込んでしまった。

 その沈黙は、自分が拒絶されるまでの猶予期間のように感じられ、ジェイクは全身が冷たくなる。


「ねえシャロン。白き魔女の伝説を知ってるかい?」

 からからに乾いた唇を湿らせ、どうにかそう言ったジェイクに、シャロンは微かに首を傾げた。

「あなたが私をそう呼んだこと以外で?」

「うん。この土地には、古くから白き魔女の伝説があるんだ」

「伝説?」


 そう。それはこの地の人々が伝え続ける、忘れてはいけない物語。この領に住む者なら、誰もがその物語をそらんじることが出来た。



 “それは遠い日の物語――。


 かつて世界にはたくさんの魔女たちがいて、人々と仲良く暮らしていました。

 魔女は魔法で空を飛んだり病気を治したりしてくれるので、人々は魔女たちを尊敬し大事に大事にしていたのです。

 でもある時、世界は炎に包まれました。

 強欲な権力者が現れ、魔女たちの力を自分の欲のために使おうとしたからです。

 灰になった世界で、多くの魔女が消えました。あるものは永い眠りにつき、あるものは人に紛れ、あるものは遠くへ行ってしまったのです。


 そんななか、心優しい人に守られ生き残った一人の魔女は、世界の惨状に胸を痛め、人が立ち直るためこっそり手伝いをしてくれました。


 やがてこの地が落ち着きを取り戻すと、白き魔女と呼ばれたその魔女は天に帰ってしまいました。


 人は魔法に手を出してはいけない。

 魔女を利用してはいけない。

 そう戒めて。”



 荒野になり絶望の淵にいた人々に手を差し伸べた白き魔女は、天に帰ったのではなく最期はここで眠りについたとも言われている。魔女がいなくなったあと、住んでいた館は旅に出たそうだ。気まぐれに何年かおきに移動する館は、あちこちに残った英知のかけらを集め、同時に幸運を残していく――と。


「それがこの土地に残された白き魔女の伝説なんだ。魔女が住んでいた館は、紅蓮の館と呼ばれていたそうだよ」


 年寄りの話によれば、前に館がここに来たのは百年以上も前。その時は館に誰も住んでいなかったらしい。ただ館は、賢者に知恵を与え去って行った。その賢者は当時の領主に知恵を与え、土地は作物が豊かに実るようになったという。

 何度かの戦で支配者が変わったものの、この小さな領は基本的に平和であった。

 そこに、久しぶりに館が白い魔女と共に帰ってきたのだ。


「君は気付いてなかったかもしれないけど、領内では恩人が帰ってきたって歓迎してたんだよ」

 ジェイクがそう言うと、シャロンは信じられないというように眉を顰める。

「私は魔女だけど、その白き魔女とはちがうわ」

「うん、知ってる。噂では可愛い女の子とお父さんの二人暮らしらしいって。でもその男の人も君のことだろ?」

 変装もバレてたのかと複雑そうにしつつも、可愛い女の子という言葉に頬を染めたシャロンに、ジェイクはにっこりと微笑んだ。


「ミネルバ……あ、ミネルバというのはこの館の精霊のことよ。彼女は外に出ることはできないから、私が時々魔法で大人のふりをしてるの」

 声だけ聞こえていた存在のことを、そして彼女の大きな秘密を、シャロンはこの日初めてジェイクに打ち明けてくれた。

 ジェイクがここに来られるのは、ミネルバが許可しているからなのだそうだ。今日も彼が追い出されないのは、ミネルバがジェイクを許している証拠なのだという。


「ミネルバ。ジェイクに姿を見せてくれる?」

 少し不安そうなシャロンの呼びかけに応え、はじめて館の精霊はジェイクにその姿を見せてくれた。


 それは言葉にできないほどの衝撃だった。生まれて初めて精霊の姿を見たのだ。その美しさに腰を抜かさなかっただけでも褒めてもらいたい。

「水晶の中に人が……」

 大人の背丈ほどもある水晶は光の加減なのか、最初はただの岩に見えていた。紅蓮の館の中は珍しいものばかりなので、綺麗な形の岩も飾りなのだろうと疑っていなかったのだ。

 その岩がすーっと透明になって、まるで中に閉じ込められてるかのように女性の姿が見えたなら、そりゃあ普通は驚くだろう。ましてやそれが、若くて美しい妙齢の女性であれば、幼くても騎士道精神に則り、救出したい気持ちが沸き上がるのも当然の流れだ。

 はずかしいことに、親友であるこの小さな女の子は白き魔女などではなく、本当は邪悪な存在なのかとチラリと疑いもした。だがシャロンは女性の姿を見て嬉しそうに笑い、女性のほうもシャロンを愛しそうに見たので、最初はわけが分からなくなったのだ。


「彼女がミネルバ。この館の聖霊よ。この紅蓮の館そのものなの」

「精霊! この美しい女性が!」


 もしうちの従僕である騎士団のうち、一人でもここに連れてきたならば、間違いなく彼女の前に跪き愛を誓ったのではないか。それが二人以上なら、彼女の愛をかけて決闘が繰り広げられたに違いない。

 当時は本気でそう考え、誰も来られなくてよかったと思ったものだ。この美しさに捕らわれて恋にうつつを抜かされても困ると。


 だが精霊には性別がないそうで、次にミネルバが男の姿になって現れたときには目玉が落ちるかと思った。こちらはご婦人方が硬直して動けなくなりそうなほどの美丈夫だったのだ。女性的な美しさではなく、軍神を思わせる鋼のような美しさだ。

「まあ。ミネルバが男になるとこんな感じなのね。こっちも素敵よ」

 シャロンは少し珍しいものを見た程度の感想を漏らす。

 今までシャロンには女性体しか見せたことがないらしいが、ジェイクのために男性体も披露してくれたようだ。なぜか一瞬だけ牽制されてるような、もしくは試されているような印象を受けたが、その気配は一瞬にして霧散したので気のせいだったのだろう。


「ミネルバは、その白き魔女を知ってる?」

「もちろんです。この館の最初の主人ですから」

 その言葉にシャロンは驚いたように目を丸くし、ジェイクは興奮したが、精霊はそれ以上を語ることはなかった。


 そしてこの日以降、ミネルバはジェイクにとっても良き師になってくれた。

 必要最低限以上の字を教えてくれ、様々な言葉や文章の書き方を教えてくれた。計算方法や作物の相談にも乗ってくれたし、優雅な所作も仕込まれた。

 その上、館内の闘技場でミネルバは「腕」を使い、ジェイクに剣技を教えてくれたのだ。

 意外なことにシャロンは弓の名手だったが、弓矢を作ったのも弓を教えたものミネルバだという。様々な知識のほか、ダンスも礼儀作法も叩き込まれているシャロンは、どうりで他の子とは違うと思った。だから彼女に負けたくなくて、ジェイクも必死で頑張った。


 館に来ると未来の記憶が消えるため、教えてほしいことや聞きたいことはメモをして、デュランの首輪に結び付けておくことにした。シャロンはジェイクをうっかりものだと思っているようだが、それも仕方があるまい。シャロンと共に学んだことは、大領地で師を見つけられたとしても得ることが出来ないようなものばかりだったのだ。

 ジェイクは前の人生よりもさらに努力したことは言うまでもない。絶対に叶えたいことがあるのだから。

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