第3話 迷子

「ちょうどスープができたところだから、おあがりなさいよ。手は外の井戸で洗ってきてね。靴の泥もきちんと落としてちょうだい」

 シャロンは少年の泥だらけのブーツを見て大げさにため息をつく。せっかくピカピカにしている床を汚されてはたまったものではない。

「え、な、ちが」

「あら、食べないの? お腹が鳴ってるわよ? それとも怪我をして動けないの?」

「いや、その、怪我は、ない」

「それはよかったわ。じゃあ、さっさと手を洗ってきて。絶対部屋の中に泥は入れないでよね」

 腰に手を当て言い放ったシャロンの勢いに押されたのか、少年はすごすごと井戸へと向かった。シャロンはそれを見送りつつ、テーブルを軽く整える。

 館に人間のお客様はめったに来ないし、ましてや誰かと食事をともにするなど久々だ。しかも相手は同世代。初めての出来事に少しだけワクワクしていたのは、おもてに出さないよう気を付けなければ。


 ――それにしても、ずいぶん鼻の利くお客人だわ。今日のスープは特に上手にできたもの。わたしが出かける前でよかったわね。


   ◆


 少年はぐずぐずしてたわりに、スープをぺろりと平らげた。おかげで明日の分まであると思っていた鍋がすっかり空だ。男の子の食欲をなめていたシャロンは、また作るかと内心肩をすくめる。


「で、あなたのおうちはどこなの? 町の子だよね?」

 すっかりくつろいだ気分だったらしい少年は、シャロンの砕けた口調に目を丸くしつつも、自分はラゴン領主の息子ジェイクだと名乗った。

 小領主の息子が一人で迷子とはと驚いたが、狩りに同行していてはぐれたという少年はケロリとしたものだ。館の中に興味津々らしく、行儀を気にしつつも楽し気な目がキョロキョロしている。


「ここは紅蓮の館……だよな」

「そうね。あってるわ」

 ジェイクの言葉にシャロンは頷く。たしかにこの家は“紅蓮の館”と呼ばれている。黒に近い赤い屋根の色が名前の由来らしい。

「じゃあ、じゃあ、魔女の図書館ってこと?」

 頬を上気させたジェイクに、シャロンは再度頷く。


 実際屋敷にはあらゆる「本」が収められている。だが普通の人には、見てもそれとは分からない。館の中はすっきりとした調度品で、質素だが品よくまとめられているようにしか見えないのだ。

 だが少年は「すごいな」と目を輝かせたあと、シャロンをじっと見た。


「じゃあ、君は……んー、紅蓮の魔女?」

 初めて聞く呼称にシャロンは目を丸くしたが、どうやら館の名前と魔女をジェイクが勝手に掛け合わせてみたようだ。魔女にそのような法則でもあったのだろうか?

 今度調べてみようと思いつつ、シャロンが「そう見える?」と聞き返すと、ジェイクはプルプルと首を振った。

「見えないから聞いたんだ。髪は白いし、眼は黒。紅蓮の要素がどこにもない。どちらかと言えば……白き、魔女?」

 どうも彼は、シャロンが魔女だと確信しているらしい。

 まじまじとシャロンの顔を見ながらそう言う少年に、シャロンは苦笑した。


 確かにシャロン自身に、強烈な赤を思わせる要素はかけらもない。

 目は黒ではなく実際は青灰色で、髪は艶やかなプラチナブロンドなのだ。ミネルバによれば、大人になれば色も濃くなって綺麗な金髪になるらしい。

 たださすがに白髪では年寄りのようだと思う。女の子としては、それは非常に面白くない。


「館の名前は屋根の色が理由らしいから仕方がないわね。でもせめて髪は白金はくきんと言って。大人になったらもっときれいな金髪になる予定だし、これでもけっこう自慢なんだから」

「あ、ああ、それはすまない」

 三つ編みをつまみ上げて見せるシャロンに、ジェイクは素直に頭を下げた。それを見て、少しだけ頬を膨らませていたシャロンは微笑んだ。

「別にいいわ。子ども相手に怒るつもりなんてないもの」

「子どもって、君はぼくより年下だろう? ぼくはもう十歳だぞ」

「あら、男の子の十歳はまだ子どもよ。でも女の子の十歳は、もう大人なの」

「なんだよ、ぼくと同い年? ちびのくせに生意気な女の子だな」

「その生意気な女の子の作ったご飯を、たーんと食べたくせに威張るなんて、ずいぶんな怒りん坊さんね」

 シャロンが大げさに目をぐるりと回して見せると、ジェイクはグッと口をつぐんだ。

「えっと、ご飯はおいしかった。ありがとう」

 その素直な反応にシャロンはニパッと笑って見せる。誰かに自分の作ったものを褒められるのは、存外嬉しいものだと思った。

「どういたしまして」


   ◆


 実際シャロンと出会ったとき、ジェイクは迷子だった。

 リュージュの森の狩場ではぐれ、馬からも落ちてしまった。その馬も勝手にどこかに行ってしまい途方に暮れてたところ、この館を見つけたのだ。噂で森に今、魔女の館があることは知っていた。気まぐれに移動している館は英知と繁栄の象徴ともうわさされ、館がいる間は、その土地に平和が訪れると言われている。

 特にこのラゴンでは、その館に特別な意味を持っていたのだ。


 だがその館に入ることが出来るのは選ばれたごくわずかの者だけで、けっしてたどり着けないから森の奥に入ってはいけない。ジェイクは大人たちから口を酸っぱくしてそう言われていた。

 もし自分がたどり着いて、しかも中に入ったと言ったら、みんなはどんな顔をするだろう。しかもそこには、いないと思われていた魔女がいて、しかもそれがあの“白き魔女”みたいだったなんて言ったら、きっとみんな驚くだろうな。


「ぼくは選ばれたものなのかな」

 興奮する気持ちを隠しても隠し切れないジェイクに、シャロンは大まじめな顔をした。

「ここは、傷ついたり迷子になった動物もくるのよ」

 ようは、お前は迷子だから偶然たどり着いたというわけだ。その容赦のなさにジェイクは「チェッ、わかってるよ」と唇を尖らせる。


 その後、シャロンは町に行くついでに森の出口までジェイクを送っていった。

 また会えるかと聞かれ、曖昧に言葉を濁す。たぶん、もう彼は館にたどり着けないだろうから。

 ただ、自分に会ったこと、館のことは絶対誰にも言ってはいけないことだけ約束をさせた。一瞬残念そうな目をしたジェイクだが、口元を引き結んでしっかり頷く。

「わかった。じゃあ、ぼくたちもう友だちだ!」

「友だち?」

 知ってはいるが初めて耳にした言葉に、シャロンが目をぱちくりさせて首をかしげる。ジェイクは一瞬彼女をからめとるような眼差しをし、次の瞬間にっこり笑った。

「うん。秘密を共有するのは家族か親友だけだろう? だから友だち!」

「ああ、うん、そうかもね」


 あまりに目を輝かせながらそう言うジェイクに、シャロンはつい頷いてしまう。

 友だちや親友なんて、物語の中にだけいるものだと思っていた。その言葉に、笑顔に、胸の奥にポッと何か色づいたのは気のせいだろうか。


「またね、シャロン!」

 手を振って森を出るジェイクに手を振り返し、その姿が見えなくなった途端なぜか寂しくなる。

「またねだって。そんなこと、もうないのに……」

 人は普通、館に来ることはできないのだから。


 にぎやかな市場で野菜と香辛料を交換したけど、いつもなら楽しいのに、今日はちっとも楽しくなかった。きれいなボタンを見ても心が弾まなかった。市場でおしゃべりする気にもなれないのに、なぜか無性に寂しかった。


 だがその二日後――。

「シャロン、来たよ!」


 ジェイクは当たり前のような顔をして館に顔を出したのだ。

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