クトゥルー神話の形式 1 形式化の意味

 前回は「クトゥルー神話の成立と定義」について書きましたが、今回から書く予定なのは《形式》についてです。

 ですが、まずはじめに定義や形式にといったものを考えることに意味はあるのか、ということを書いておきたいと思います。

 理屈など抜きに好きに書けばいいじゃないかと、そう思われる方もいるかもしれません。

 それに対しては、「自分は理屈を考えるのが好きなのでそれを書いている」とりあえずはそう答えることもできます。

 しかしそれだけではなくて、あるジャンルの定義や形式にこだわることには意味があるし、それは他の人にも役立つはずだと思うので、その考えを書きます。


 小説には二種類ある。文学賞がそうなっているように〈純文学〉と〈エンターテイメント〉ですね。これを自分なりに言いかえると〈自由な文学〉と〈ジャンル小説〉となります。

 〈自由な文学〉というのは、その名のとおり、何でも好きに書けばいいというやり方です。それで、人を感動させたり、世の役に立つようなものが書けるならそれでいいのだと。ただ好きなように書いて、それがいい作品となるためにはそれなりの才能が必要です。才能のない人が書いた純文学とか、何のためにあるのかよくわかりませんよね。

 〈ジャンル小説〉では、各ジャンルごとにそれぞれ〈ガジェット〉や〈形式〉があって、その組み合わせで作品が書かれる。つまりここでは〈ガジェット〉や〈形式〉の共有が行われているのです。

 そのことによって〈自由な文学〉では天才的な個人が求められるのに対して、〈ジャンル小説〉ではそのジャンル作家の集団によってアイディアが形成されていくこととなります。そこに〈ジャンル小説〉の強みや面白さがあると言えるのではないでしょうか。だからこそある小説ジャンルを愛好するならば、そのジャンル作品を構成する〈ガジェット〉や〈形式〉、範囲や方向性の指針となる〈定義〉などについて積極的に語るべきだと思うのです。


 余談ですが、もう一つ大きなカテゴリーとして〈ライトノベル〉というのもあります。ここは、ある時ともかく〈ライトノベル〉という新たなフィールドが区切られ出現した。その内部で〈自由な文学〉と〈ジャンル小説〉への分裂が進行中であるというのが今の状態だと思います。それで活気がある。(このカクヨムなど小説投稿サイトのジャンル分けが、今一上手くいってないように見えるのも、このことと関係があるのでは)


 《クトゥルー神話》もちょっと変わった〈ジャンル小説〉の一つです。なので、〈ガジェット〉と〈形式〉の組み合わせで作品が書けます。〈ガジェット〉にあたる《神々》や《魔道書》などについての情報は、ガイド本やウェブサイトなどにたくさんあります。ですが〈形式〉つまりストーリーの定型、パターンに関してはあまり見かけないように思います。

 そこで私がいろいろ作品を読んで分析した結果をここに書きたいと思うわけです。


 では――

 《クトゥルー神話》の定型的な形式は、六つあります。

 具体的な例は次回からとして、ここでは予告編的にざっくりと概要を。


  ・猟犬型 ―― 猟犬のような存在に追われる

  ・神殿型 ―― 神殿のような場所へ導かれる

  ・血族型 ―― 自分の真の祖先を知る

  ・実現型 ―― 幻想と思われたものが実在する

  ・召喚型 ―― 異界の存在の召喚を阻止する

  ・暗示型 ―― 暗示を残して知人が失踪する


 という感じです。むろんこれらの型にあてはまらない作品もありますが、主要な作品は一応カバーできてるのではないかと思っています。つづきは次回へ。

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