第163話 逃げる神樹ユグドラシル様


「ん……。んん……うん」


 陽の光が差し込む自室のベッドにて、ちゅんちゅんというスズメの鳴き声に起こされた僕。


「……ん? あれ?」


 昨日一緒にベッドで寝たはずのユグドラシルさんがいない。


「早いなユグドラシルさん、もう起きたんだ。『ダンジョンメニュー』」


 時計を見ると、まだ朝の六時前だ。

 わりと日の出とともに生活を始めるエルフの村だったりするけれど、さすがにまだ早い。


 部屋には姿が見えないけれど、今日はユグドラシルさんと一緒にレリーナちゃんの髪の毛を回収する予定だ。


 だからまぁ、家のどこかにはいるんだろう――



 ◇



「いないんだ……」


「用事ができたそうよ?」


「用事……」


 とりあえず起きて、スライムに感謝ささげてから手と顔を洗った。

 それから家の中をうろついてみたけれど、ユグドラシルさんはどこにも見つからない。


 そんなわけで母に聞いてみたところ……すでに帰ったらしい。


「用事があるのなら仕方ないけど……」


「ユグちゃんも神様だから忙しいのよ」


「……うん」


 それはどうだろう……。案外暇だと僕は思っているんだけど。


「何かユグちゃんに用?」


「んー。いや、別にいいんだけどね……」


 一緒にレリーナちゃんの髪の毛を集めるという、大事な用があるにはあったが……。


 それにしても、このタイミングで離脱りだつ……。

 もしかしてこれは――レリーナちゃんから逃げたのでは?


 ……いや、さすがにそれはないか。

 いくらなんでも十三歳の少女から神樹ユグドラシル様が逃げるなんて、そんなことはないだろう――



 ◇



「逃げてるじゃないか……」


 母との会話を切り上げて自室に戻ってきた僕は、部屋のテーブルに残された手紙――ユグドラシルさんからの書き置きに気が付いた。


 読んでみると――


『すまない。少し用事を思い出したので、帰ることになってしまった。今日はレリーナに会う予定だったと思うが、それにも付き合えない。アレク一人で行ってほしい。すまない』


 ――だそうだ。


「文章だと、『のじゃ』って言わないんだな……」


 とりあえず書き置きを読んで、一番最初に出た感想がこれだったりする。

 特徴的なあの口調がないと、だいぶ印象が変わるな……。


 さておき、この書き置きを読んだ感想としては、『やっぱりレリーナちゃんから逃げたんじゃないか?』ってことだ。

 簡素かんそな書き置きの中で、なんか二回も謝っているし、わざわざレリーナちゃんに言及げんきゅうしているし、そして『アレク一人で行ってほしい』の一文。


 ……やっぱり逃げたんじゃないだろうか?


「まぁレリーナちゃんとユグドラシルさんは相性が良くないから、気持ちはわかるけど……」


 確か、初対面でいきなりつかみかかったんだっけ? 苦手意識をもつのも仕方ないのかな。


 ふーむ。次回ユグドラシルさんが来るまでレリーナちゃんの回収は保留にしようかとも思ったけど…………なんだかまた逃げそうだね。

 それに、よくよく考えれば僕一人で行った方が、レリーナちゃんを無駄に刺激しないで済むだろう。


「それじゃあ一人で行ってこようか。なんだかんだ僕には甘いレリーナちゃんだし、案外簡単に回収できそうな気もする」


 僕には甘いし、基本的には優しいレリーナちゃんだ。問題ない。

 そう、レリーナちゃんは基本的には優しい。……僕が余計なことをしなければ、たぶん優しい。



 ◇



 一人でレリーナ宅を訪れた僕は、扉をノッカーでコンコンと叩いた。

 そして少し待っていると――


「おや、いらっしゃいませアレクシスさん」


「こんにちは」


 僕を出迎えてくれたのは、レリーナパパだった。


「レリーナちゃんはいますか?」


「申し訳ありません。ただいまレリーナは外出中でして……」


「あれ、そうなんですか」


 そうか、いないのか。どうしたものかな……中で待たせてもらおうか?

 ……あ、この際レリーナちゃんの部屋で待たせてもらって、その間に髪の毛を拾うというのはどうだろう?


 ――どうだろうもなにも、変態だわな。


 不在時に部屋へ上がり込んで、こっそり髪の毛を拾って持って帰るのは変態だわ……。


 とりあえずそれはやめておこう……。間違いなく変態だし、そもそも拾った髪がレリーナちゃんの物かどうか、判別するのは難しそうだ。

 レリーナちゃんの髪は銀色なんだけど、レリーナパパもレリーナママも銀髪なので、もしかしたら間違えるかもしれない。


「うーん。いつ頃帰って来るかわかりますか?」


「そうですね……実は先程出かけたばかりなのですよ、アレクシスさんと入れ違いでした。ですので、しばらくは帰ってこないかと」


「そうですか……」


 じゃあ仕方ないな。出直そう。


「とはいえ、せっかくいらしたのです。ぜひお寄りください」


「えーと……」


 レリーナちゃんがいない以上、あんまり用事もないんだけど……。


「まぁまぁ、お茶の一杯くらい」


「そうですか、ではお言葉に甘えて……」


 というわけで、ノーと言えないエルフの僕はレリーナ宅にお邪魔することにした。


「お邪魔します」


「どうぞどうぞ」


 僕はレリーナ宅に上がらせてもらい、そのままリビングまで誘導された。


「ではお茶の準備をしてきます。少々お待ちください」


「いえ、お構いなくー」


 レリーナパパがお茶の準備をするのか、レリーナママもいないのかな?


 レリーナパパがお茶を用意してくれている間、僕はレリーナ宅のリビングにて、おとなしく待つ。

 普段からしょっちゅう来ているレリーナ宅なので、借りてきた猫のようにはならないけど、おとなしく待つ。


「お待たせしました」


「ありがとうございます」


「いえいえ、どうぞ」


 勧められるまま、お茶を一口飲む。


「本日は申し訳ありません。レリーナは今日、ジスレアさんの診療所に行くそうで――」


「――ブッ!」


「おおっ!?」


 思わず、いただいたお茶を吹き出してしまった……。


「ゲホッゲホッ……す、すみません」


「い、いえ」


 とりあえず急いでマジックバッグからタオルを取り出し、お茶を吹き出してしまったテーブルを拭く。


「あ、あの、何故ジスレアさんのところへ?」


「安心してください。別に怪我や病気といったことでもないのです」


「…………」


 逆に不安になるわ……。

 それなら、何故レリーナちゃんはジスレアさんのところへ行ったんだ?


 僕は昨日、ギラついた目でジスレアさんの髪をくしでとかして、彼女とお花見の約束をした。


 ――その翌日に、怪我でも病気でもないのにジスレアさんのもとへ向かうレリーナちゃん。

 ……偶然だろうか?


「娘を心配していただき、ありがとうございますアレクシスさん」


「はぁ……」


 どちらかというと、心配しているのは娘さんではなくてジスレアさんなんだけど……。


「えぇと、では何故レリーナちゃんはジスレアさんのところへ出かけたのでしょう?」


「さぁ、出かける準備をしていたので、どこへ行くのかと聞いたところ、『ジスレア診療所』と言われました。体調が悪いのか聞いたら、『別に大丈夫』と」


「そうですか……」


 つまり理由は聞いていないのか。どうしたものか、ジスレアさんは大丈夫だろうか……。


「――あ、だけど今日ジスレアさんは、隣村へ診療に行くって言っていましたけど?」


「おや、そうなのですか?」


「はい」


 そういえばそうだった。ジスレアさんは今日、メイユ村にいないんだった。

 隣村に退避しているので、ジスレアさんは無事だ。


 ……結果的に、ユグドラシルさんもジスレアさんも、レリーナちゃんから逃げているね。


「では、ジスレアさんは不在ですかね?」


「はい。たぶんもう隣村に向かった後なんじゃないかと」


「そうですか。それならレリーナもすぐに戻ってくるかもしれませんね」


 すぐに戻ってくるのか……。何故かジスレア診療所へ突撃したレリーナちゃんが、すぐに戻ってくる――

 なんか僕もちょっと逃げたくなってきたね……。





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