第161話 桜


「そうなんですよ。珍しい樹が生えていまして」


「へー」


「大きな樹で、綺麗な花が咲いているんです」


「見てみたい」


 診察室にて、ジスレアさんと雑談を続ける僕。

 話題は『世界樹様の迷宮』2-1エリアについてだ。


 以前ナナさんが作成した、森フィールドの2-1エリア。このエリアにナナさんが、桜っぽい樹を植えてくれたのである。


 ナナさんいわく――


『やはり元日本人として、桜を植えたいと思いました。桜は日本の心ですよマスター』


 ――とのことだそうだ。

 ……果たしてナナさんは元日本人なのだろうか? その辺り軽く疑問だったけれど、桜自体は良いものだった。

 実際に見に行ってみたのだけど、あれは良い。あれは良いものだ。


 というわけで、そんな桜の素晴らしさをジスレアさんに伝えてみたところ、ジスレアさんも興味をもってくれた。


「一緒に行こう。案内してくれる?」


「ええ、もちろん」


「じゃあ明日――あ、ダメだ。明日は隣村に行くんだった」


「隣村? ルクミーヌ村ですか?」


「ルクミーヌ村と、クレイス村」


 クレイス村――僕は行ったことがないのだけど、ここから南にあるという村の名前だ。

 ちなみにルクミーヌ村は、ここから東にある。


「明日は二つの村で診療してくる予定」


「なるほど」


 とても優秀な美人女医のジスレアさんは、ときどき他の村まで診療に行っているらしいのだ。


「明日中には帰ってくる」


「二つの村を一日で診療して戻ってくるんですか。ずいぶん忙しいですね」


「大丈夫、夕方には戻って来られると思う」


 さすがは超優秀な美人女医さんだ。

 ……というか、二つの村で診療して夕方には戻るとか、さすがに優秀すぎやしないだろうか?


「ダンジョンに行くなら明後日がいいかな。アレクは大丈夫?」


「ええ大丈夫です。では明後日、迎えにきますね?」


「うん」


 明後日はジスレアさんとお花見か、楽しみだ。


 お弁当とか持っていっても良いかもしれない。

 桜の樹の下で、レジャーシートでもいてお弁当。良いかもしれない。


 お弁当は母に頼んで……いや、お花見感を出すのならナナさんに頼んだ方がいいかな? ナナさんならそれっぽい料理を作ってくれそうな気がする。


 レジャーシートは……まぁ大ネズミの皮かな。

 レジャーシートにしては少し小さいかもしれないけど、何枚か敷けばいいだろう。無駄に数がある大ネズミの皮だ。


「明後日が楽しみです」


「うん」


「それじゃあ、今日はそろそろ帰りますね」


 思えばずいぶん話し込んでしまった。

 ジスレア診療所は時間超過によって延長料金を取られるなんてこともないけれど、そろそろ帰ろうか。


「じゃあアレク。また明後日」


「はい。それでは失礼しま――おぉぅ」


 ……ユグドラシルさんが、診察室のベッドで寝ている。


 ジスレアさんに挨拶をして、帰ろうかと椅子から腰を上げたところで、ベッドで寝ているユグドラシルさんに気が付いた。

 どうやら僕とジスレアさんが長いこと話し込んでいるうちに、ベッドで眠ってしまったらしい。


 そういえば一緒に来たんだっけ……。すっかりユグドラシルさんのことを忘れてしまっていた……。


「えーと……ユグドラシルさん、起きてください」


「む……むう……」


 僕はユグドラシルさんを起こすため、肩を軽く揺すった。


 寝かせたまま背負って帰ろうかとも一瞬考えたけれど、そこまで幼女扱いするのもどうなのか。

 それに眠ったまま僕におんぶされている姿を、他の村人に見られたくはないだろう。


「ユグドラシルさん起きてください。ユグドラシルさん」


「むー…………むっ?」


「おはようございます」


「……あ。いや……うむ。すまぬ、少しぼーっとしておったようじゃ」


「…………」


 見栄を張っているのかなんなのか、ユグドラシルさんはガッツリ熟睡していたことを誤魔化そうとしだした。


「……えぇと、そろそろ帰りましょう」


「うむ。それでその……用件は終わったのじゃろうか?」


「用件ですか……? ええまぁ話は終わりました」


「そうか、すまなかったのう」


「はぁ、いえ、大丈夫ですが?」


 用件とはなんだろう?

 とりあえずジスレアさんとも楽しくお喋りできたし、お花見の約束もできた。僕はもう満足なのだけど?


「そういうわけで、失礼しますジスレアさん」


「うん」


「邪魔したのー」


「うん……はい」


 幼女姿のユグドラシルさんに手を振りながら『うん』と答えてから、神様なのを思い出したのか、『はい』と言い直したジスレアさん。

 そんなジスレアさんへの挨拶も終わり、僕らは診療所を後にした――



 ◇



「でじゃ、アレク」


「はい?」


 診療所を出てすぐに、ユグドラシルさんが話しかけてきた。


「わしが少し気をそらしている間のことじゃが……」


「はぁ」


 あそこまで深い眠りについた状態を、『少し気をそらしている間』と言うユグドラシルさん。いや、別にいいけど。


「無事に終わったのじゃな?」


「はい。明後日お花見に行くことになりました」


 明後日はジスレアさんとダンジョンでお花見。その約束を、無事に取り付けることができた。


「……何の話じゃ?」


「最近ダンジョンに珍しい樹が生えたんです。というか生やしたんです」


「ほう? 珍しい樹とな? ――いや、そうではなく、髪の毛はどうなったのじゃ?」


「髪の毛? ――あ」


「あ?」


 そうだった。ここへは髪の毛の回収に来たんだった……。


「その……うっかり」


「うっかり?」


「うっかり忘れてしまいました……」


 確か、話を切り出すタイミングを見計らっていたんだ……。

 くし作戦決行のタイミングを計りながら話をしていて……良い感じで話が盛り上がって――それで、なんかうっかり。


「何をしておるのじゃお主は……」


「すみません……」


「突然金を払ったかと思ったら、何やら延々えんえんと世間話を始めて、結果本来の目的を忘れるとは……」


「すみません……」


 返す言葉もない……。本来の目的を忘れたまま、突然お金を払って延々と世間話を楽しんでしまった……。


「どうするのじゃ? もう一度戻って回収してくるか?」


「いや、それは……」


 それはどうなんだろう……。

 良い感じで『明後日迎えに来ます』なんて言いながら別れたのに、のこのこ戻って『ちょっと髪の毛をとかしたく』なんてのは……。


「ちょっと格好悪いので戻りたくないです……」


「今更何を言っておるのじゃお主は……」


「今更……」


 今更とは、どういう意味だろうか……。


 そりゃまぁ僕はお世辞にも格好良いとは――いや、顔は格好良いって評判だったはずなんだけど?

 ……内面かな? やっぱり内面がアレなのかな?


「せっかくここまで来たのじゃ、戻るぞ」


「え、戻るんですか?」


「ほれ、戻るぞ」


「えぇ……」


 ユグドラシルさんが僕の背中をグイグイ押してくる。

 どうやらユグドラシルさんは、今日中にジスレアさんの髪の毛を回収することに決めたようだ。


 協力をお願いしている立場の僕としては、そこまで全力で回収作業に取り組んでくれることはありがたい。ありがたいけど、今から戻るのか……。そうか、戻るのか……。


「今度はいきなり金を払うでないぞ?」


「いや、それは大丈夫ですが……」


「『今度は左足がこむら返りを起こした』などと、お主は言いそうじゃ」


「言いませんよ……」


 それだと僕は、『せっかく治してもらったのに、診療所を出て数分で再びこむら返った男』になってしまう。


「それから、今度は突然世間話を始めるでないぞ?」


「始めませんって……」


「『最近暖かくなりましたねー』などと、またお主は季節の話題から始めそうじゃ。無難ぶなんで当たりさわりのない話題から……」


「始めませんって……。というか、僕の会話にダメ出しするのはやめてほしいんですけど……」


 そこは別にいいじゃないか、季節の話題から始めるのは別に……。

 会話の取っ掛かりに、無難なテーマを選択するのは、別に悪いことじゃないと思うんだ……。





 next chapter:ギラついた目で虎視眈々こしたんたん

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