第11話 実忠、とうとう貰えた藤壷からの心のこもった文に感動しつつもこの事態ゆえと嘆く
蔵人を太政大臣家の人々は皆よく知っていた。
その昔が正頼邸に住み着いて、兵衛の君を仲立ちに藤壷に文を渡していた時にはこの蔵人を使いにしていたのだ。
蔵人は実忠が身近に使っている侍に、
「これを『確かに実忠様に』とのことなんだ! そう御方が仰有られたのだぞ!」
そう言って渡す。すると受け取った相手も驚く。
「いやもう、実忠様は非常に嘆き悲しんでいるので、この御文を見せれば、少しはお気持ちも慰められるだろうな」
と、喜び、実忠には無言でこの文を渡した。実忠のことである。見ればすぐに判るだろう、と思ってのことだった。
「……何処からだ?」
「さて。人から渡してくれ、と託されただけなので」
実忠は何だろう、と思いつつ開けてみ――― 息が止まるほど驚いた。藤壷の筆跡が確かにそこにあったのだ。それに気付いた彼の目からは、知らず、涙がぽろぽろと流れていた。文を全部見る間もなく、もう泣きに泣きじゃくる始末だった。
そんな弟を見て民部卿実正は不思議に思い、その手の文を見た。
「藤壷の御方からか。ちょっと見せてごらん」
「すみません、涙で目が曇って見えないのです。世に親が居ない程不幸はないものだと思っていたのですが、その親がいらっしゃらなくても、そのおかげでしょうか、嬉しいものです…… ここ数年、死ぬ程に思っていても、見向きもなさらなかったのに」
そう言ってまた泣く。
それを姉である昭陽殿の君が見て苦々しく思う。
「そう言っても間男が女から文を貰ったということに過ぎないではないか。こんな不貞な女にまた二つとなく思い騒ぐとは……」
実正はそれを聞いて、「何てことを言うのだ」と妹の口ぶりに腹が立って爪弾きなどをする。
一方の実忠は早速返事を書く。
「大層大層珍しいことですが、これ以上ない程のことに喜びは限りない程です。今日は少しここ数年の心地に戻った思いで慰められるようで、
―――袂を濡らす涙の川で溺れ死んだことでしょう。もし袂に今日の御文がなかったななら……―――
全てを捨てて思い嘆いた折りには貴女様が文を下さるという、そんな機会もなかったものを、こんな大事があったからこそと思いますので、一方では辛いことです。滅多に里にはおいでにならない貴女様のことですから。まもなく忌みが明けましたら、お伺いして、今日のお礼も喜びもお伝えにあがりたいと思います。いつもの様につれなく扱って下さいませ。今はただ『狭しというなる道』一つです」
と、大層濃い鈍色の紙に書いて、大層素晴らしい八重山吹の花につける。
この使いにどんな被物をしようか、と思い巡らせたすえ、兵衛の君がかつて返してきた黄金の入った箱の一つを鈍色の紙に包んでその上にこう書いた。
「―――この箱はあなたにあげよう。私にとっては今日訊ねてきてくれた人よりありがたいものはないのだから―――
永き心とか」
書き終わると「この使いは誰だ?」と周囲に問いかける。
「童名を『これはた』と言っていた者が、今は東宮の蔵人をなさっております。その者が参上致しました」
「これはたは昔私と親しかったものだ、とあの方がお思いになってお遣わしになったのだろう。ここにそっと立ち寄る様に、と言ってくれ」
とはいえ、彼等が居る土殿は簀子もなく、蔀を隔てる場所もないので、せめてもと物越しに対面する。
「たいそう素晴らしく嬉しいお使いに来てくれたものだが、ご覧の通り喪に服して人にも会わないで籠もっているから、お目にはかからない。こっそり妹の兵衛の君からあの方へ、そっとお伝えくださる様に申させてくれ。
『この消息文の中では気も動転しているために充分申し上げてはおりません。近いうちに必ず参上致します。私のことを心配して下さった父上もいらっしゃいませんから、今は山の奥深くにでも入ってしまおうかと思っていたのですが、申し上げておきたい人のことなどもありますので、ぜひお願い致します。以前の様につれなくなさいますな』と申したと伝えてほしい」
と泣く泣く言う。
「普通なら今着ている衣を渡すところだが、喪中でそれもできない。だから被物の代わりにこれをあげよう。これは私が修行し続けて得た仏舎利だと思って欲しい。山ごもりはいつまで続くは判らないし、生死のの程もわからない自分なので」
「そうですか。でも自分みたいなものでは、いただいたものも失くして無駄にしてしまうことでしょう。こんな、恐れ多いことです」
「私の死後の形見にでもして欲しい」
そう言ってまた実忠は中に引っ込んでいったが、午前の食事を多く取りそろえても、口にもせずただひたすら泣き続けたという。
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