7.自称反帝国組織の一員マリエアリカ
夜時間マイナス8を時計が指した時、彼はベッドへと入った。
二週間以上居る訳だから、時差にはそれなりに馴染んでいる。もともとさほど眠らなくても大丈夫な体質ではあるが、休息をとれる時にはとっておきたい、と思うのだ。だから活動を始める時間から逆算して睡眠をとる。
それにしても。彼はなかなか身体が眠りにつかないことにやや苛立っていた。その気になれば、眠りに入るのはたやすいはずなのに。
熱いからだ、と彼は内心つぶやく。
この宿は、空調が良く効いている訳ではない。夜時間の真ん中を越えてもなかなか下がらない気温に、肌の火照りがなかなか取れない。あの白い服を脱いで、元々の服に替えたら、てきめんに紫外線が肌を焼いた。元々白い肌が、軽く赤くなっていて、熱を持っている。
せめて風が吹いていればな。
窓は開けていた。無防備なこと極まりない。
ただ彼に言わせれば、物取りだろうが強盗だろうが、来る時には窓でも壁でも壊して来るのだ。気休めの様に窓を閉じていたところで、大した変わりはないのだ、と。
それでも、静かな夜に、彼がうとうととし出した頃だった。
とん、と窓のところで音がした。
彼は薄目を開けて窓の方を見た。身体は動かさない。眠っているふりをする。
遠くの常夜灯だけが、この部屋に漂うぼんやりとした光源である。しかし侵入者のシルエットを映し出すには、それで充分だった。
ふわ、と何かが揺れた。カーテンか、と彼は一瞬思ったが、それはどうやら違うらしい。
足音を忍ばせ、侵入者は次第に彼の方へと近づいてくる。物取りだろうか。
そっと、侵入者は彼の脱ぎ捨てた服へと手を差し入れた―――その時だった。
彼はその手をぐっ、と掴んだ。途端、細い悲鳴の様な声が上がる。
掴んだ手首は、細い。
空いた方の手で、彼はスタンドライトを掴んでスイッチを入れた。急な光に、彼は目を細めた。あ、と女の声が上がった。
「君は……」
視界に赤が広がった。あの時窓から飛び出してきた女は、いきなりの光に目を伏せている。
「離して……」
Gは光量を少し落とし、ベッドサイドにライトを置いた。だがその手をすぐに離す気はなかった。
「どういうつもりだ? 場合によっては官憲に突き出すよ」
口調は穏やかに、しかし彼はきっぱりと断言する。女はその場にくたくた、と崩れ落ちる様に座り込んだ。
「ごめんなさい…… あの、お金が必要だったの」
赤いヴェールが、はらりと床に落ちる。衣装のままだ。あの時のまま、何処かにずっと潜んででもいたのだろうか。
「それで、わざわざ観光客の宿を選んで?」
女――― イアサムの話ではマリエアリカという名だった――― は、黙ってうなづいた。
Gは落ちたヴェールを拾うと、彼女の手首を縛る。きつくなりすぎない様に、しかし身動きはとれないように。彼女は顔を軽くしかめる。Gはその時始めて彼女の顔をまじまじと見た。なるほど、美人だ。
やや濃いめの肌に、濃いくっきりとした眉、その下の黒い二重の大きな目。通った鼻筋、珊瑚色の唇。身体の線は、踊り子の衣装では露わになっている。やせすぎず太ってもいず、すんなりとした体つき。
彼にしてみれば、女性にしては起伏が少ないな、と思えたが、気になる程ではない。好きずきの問題だ。
なるほど何度も騒ぎを起こす割には、わざわざ連れ戻される訳だ。彼は納得する。
「……あいにく俺はそんなに親切じゃないから、このまま君を君の店まで今すぐ突きだしてもいいんだけど」
反射的に彼女は顔を上げると、大きく横に振った。
「あいにく俺もただの旅行者でね。無用な騒動に巻き込まれたくないの」
「ごめんなさいごめんなさい! ……でもそこを、あの、許して……」
女が自分の弱さを武器にして泣き落としにかかるのを、彼は好まない。そんなものを何度も使うと価値が無くなってしまうのだ。
「理由によっては見逃してやってもいいよ」
少しばかり意地悪な気持ちになって、彼は甘い、低い声でそうつぶやく。マリエアリカははっ、と息を呑む。
「……理由を…… 言わなくてはいけませんか?」
「何も無しで、自分のふところを狙おうとした奴を、女だからって言って見逃すと思ってるのかい? だったらずいぶんとなめてるんじゃないの?」
そうですね、と彼女は肩を落とす。
「けれど、言っても判っていただけるかどうか……」
おや、と彼は思う。
「言わなくちゃ、判るかどうかも判らないだろ?」
彼女は顔を上げた。
「……で、でも…… 私がここで口にしたと知れたら…… それはそれで……」
おや、と彼は思う。どうやら彼女は何かを恐れている様だ。
「何、もしかして、君は誰かに命令されて、そんなことをしたっていうの?」
「……え」
「今それ、君自分で白状したようなものじゃない」
あ、と彼女は手で口をふさいだ。
「……ああ…… いけませんね。いつもそうなんです。大事なこと、隠そう隠そうと思うと、いつもこうで……」
「ごたくはいいから」
何となく彼は苛々としてきた。何でこう綺麗な子が、うだうだと話を長引かせるのだろう。外見と中身は関係ない、と思いつつ、彼はふとそんなことを考えてしまう。
「あの…… 実は私、反帝国組織の一員なのです」
「は」
さすがに彼もその言葉には面食らった。
もっとも、その組織が彼の属する「MM」ではないことは確かである。かの組織の構成員には、皮膚下にそれと認識するものが埋め込まれている。
「……あ、やっぱり信じてくださらない……」
「信じる信じないって君ね」
彼はだんだん呆れ始めていた。
「……でも、これで今日、あの、集まりの時に必要な資金を持っていかないと、私除名されるものですから……」
「だったらどうしてそんな所に居る訳?」
「それは」
彼女はそれまでうつむき加減だった顔を上げた。
「……あの、知り合いが、参加しているものですから」
「知り合い?」
「古い友達なんです。……彼女が居るから」
「それってね……」
さすがにGは頭を抱えた。そんな理由で参加してしまえるものなのか。
「……君ねえ、それがどれだけ危険なことか、知ってる?」
「知ってます」
あっさりと彼女は言う。
「でも、私にとって、彼女はとても大切だから、その彼女がそうしようというなら」
「君には自分ってものが無いのかい?」
「別に、要りません」
は。
彼はいい加減この女を窓から放り出したくなった。
しかし、言い方も態度も違うが、よく似た傾向の奴は知っている。一緒くたにするのは悪いが、あの連絡員も、盟主のためなら何でもするだろう。
そういう体質の者は、その現れ方や対象の差異はあれ、存在するのだ。いちいち目くじらを立てていては、身体がもたない。
「もういいよ、行って」
彼は疲れ切ったように窓を指した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます