第六章 剣と盾、不壊なるもの 【第四節 魔斧マラギギ】

「先ほどから派手にやっていたのはきみか……なるほど、確かにこれは単なるエルフではなさそうだ」

「したり顔をするんじゃないよ」

「く、クロちゃん! ひとりで先に行かないでっていってるでしょ!?」

「あんたは下がってたっていいんだよ、シロ?」

 褐色の美女の後ろから、青白い肌の金髪の美女が駆けてくる。その風体からして、傭兵たちの生き残りから聞いていた、ブルームレイクを守った三人組のうちのふたりで間違いない。

「クロにシロ……とは、芸のない名だ。せっかくの美貌も興覚めではないかね?」

「黙ってなよ」

 クロがここまで引きずってきた兵士たちをザブームに向かって投げつけた。

「ふん」

 ザブームはふたたび斧を振るい、即席の砲弾と化した配下の兵士たちを無造作に叩き落とした。しっかりとした鎧をまとったオークなら体重は二〇〇キロ近いはずだが、それをああもたやすく投げるとは、ますますエルフとは思えない。

「一応聞こうか。かの小娘を見かぎって」

「お断りだよ」

 ザブームの口上をさっさとさえぎり、クロはいった。

「別にわたしだってあんな小娘の配下になったつもりはないけどね、とりあえず、あんたをブッ倒すことで利害は一致してるんだ」

「そ、それに……さすがにじゃじゃさまのお城のほうが待遇よさそうだし……ねえ?」

 クロの背後に隠れたまま、シロがかぼそい声でつけ足した。

「それでは仕方がない。――吾輩の軍門に下るつもりがないのであれば、消えていただくほかはないな」

 ザブームは斧を肩にかつぎ、戦車を曳く二頭のケルベロスに手綱を打った。

「シロ!」

「う、うんっ!」

 轟音を立てて走り出した戦車をかわし、ふたりの美女が左右に跳躍した。その遅滞のない動きだけを見ても、彼女たちの強さが窺い知れる。ザブーム配下の兵士たちでは相手になるまい。

「がっ!?」

「ぶご、ぉ……!」

 戦車の突進を避けそこねたザブーム軍の兵士たちが、ニンゲンの身長よりも大きな車輪に引っかけられ、悲鳴とともに吹っ飛んでいく。

「不甲斐ない……吾輩の配下ならばうまく避けたまえ!」

 たとえ味方を何十人巻き込むことになったとしても、手綱をゆるめるつもりはない。人一倍理性的な紳士であることを自任しているザブームでも、やはり闘争を好むジャイアントの血は抑えがたかった。

「ジャマリエールを血祭りにあげる前の景気づけだ! 美女が流す血はさぞや美しいだろうね!」

 戦車から大きく身を乗り出し、ザブームは片手で斧を振りかぶった。

「……その品のない番犬ごと焼き尽くしてやるよ」

 左手を前に、右の拳を腰の後ろに引きつけるように構えたクロが、不敵な微笑みとともに呟く。しかしザブームは、その笑顔がすぐにこわばるということを知っていた。

「――!?」

 ザブームに向かって右の拳を繰り出したクロは、はっと目を見開いた。

「な、ど、どうして――」

「クロちゃん!」

「くっ……!」

 突っ込んでくるケルベロスの戦車をかわしざま、クロは地面に身を転がした。

「諸君、いっせいにかかれ! 尻込みする者は吾輩の斧で成敗するのみ!」

「う、ううっ……!」

「うおおおお!」

 ザブームに対する畏怖に駆られて、兵士たちがクロへと襲いかかる。だが、彼らがこれまでのように黒焦げにされることはなかった。

「これは……!?」

 炎の魔法で敵を薙ぎ払おうとしたのか、クロは両手を大きく振るったが、そこから出たのは大量の火の粉くらいのもので、とても武装した兵士たちの群れを焼き尽くすにはほど遠い。その事実に、クロがふたたび目を丸くしていた。

「……ちっ」

 クロはすぐさまひらいていたてのひらを拳の形に変え、兵士たちの攻撃をかわして反撃に転じた。

「何だってのさ、いったい――」

「く、クロちゃぁん!」

 両手に持った剣を無茶苦茶に振り回しながら、シロがクロのほうへ駆けてきた。

「わ、わたしたちの力が封じられちゃってる!」

「は?」

「ふ、封じられてるっていうか、極端に低く押さえつけられてるっていうか……わたしもぜんぜんいつもの力が出せないのよう!」

「そんな……いや、そうか――」

 クロは我が手を見つめて唇を噛んだ。

「ふふふふ……やはり吾輩の見立て通りか!」

 戦車をターンさせて戻ってきたザブームは、戸惑う美女たちを見て確信した。

「ニンゲンでもエルフでもなく、しかし常人離れした腕力や魔法を駆使するきみらは、おそらく何者かによって作られた魔法生物だろう?」

「――――」

 兵士たちに包囲されたクロたちが、無言でザブームを睨みつける。

「であるならば、もはやきみたちに勝ち目などない! 吾輩に、この魔斧マラギギがあるかぎり!」

 ザブームが手にしていた斧をかかげる。その刃は先刻から低い唸りをあげていた。

「このマラギギの前ではあらゆる魔法が減衰する! ……つまり、魔法生物であるきみたちの力そのものも減衰する!」

「な、何……?」

「考えてもみたまえ、魔王の大半はなにがしかの魔法を使うのだよ? 魔法を持たない吾輩が、魔法を使う強敵たちとの戦いのために、何の備えも用意せずにいるはずがあるまい?」

「あるまいっていわれても……しょ、初対面だし――っ!」

 クロとぴったり背中合わせの位置に立ったシロは、槍で突きかかってきた兵士を、持っていた剣でひっぱたいた。

「ぶぐえ!」

「……え?」

 無様な悲鳴をあげて仰向けに倒れる兵士を見て、シロが声を震わせた。

「ホントならもっと派手に飛んでくのに……ま、また力が弱くなってる! どうしよう、クロちゃん!?」

「わたしに聞かないでよ……」

「ふん……さすがにここまでか」

 おそらく彼女たちの力は、マラギギの魔法減衰効果をもってしても、完全に消し去ることはできないのだろう。しかし、ここまで抑制できるのであれば、もはやザブームの敵ではない。

「これ以上無駄に犠牲を増やすこともあるまい」

 ザブームは兵士たちに包囲の輪を広げるように指示した。いくらマラギギによって力を抑えられたとはいえ、それでも雑兵たちで簡単に仕留められる相手ではない。兵士たちはただクロたちを逃がさないよう包囲させるだけにとどめ、あとはザブームみずから手を下すつもりだった。

「効果を発揮したマラギギの前ですらこうして戦える魔法生物か。我が手駒としてとどめ置きたい気持ちはあるのだが……どうやら最後まで抵抗するつもりのようだ」

「最後まで抵抗するつもりっていうか、戦いはまだこれからだと思うけどね」

 そう呟くクロの表情を見れば、彼女たちに降伏の意志などないことが判る。ザブームは目を細め、手を伸ばしてケルベロスたちの頭を撫でた。

「…………」

 ザブームの無言の指示で、二頭のケルベロスがおのおの三つずつの口をかぱっと開いた。そこから吐き出されるのは地獄の業火――たとえあの美女たちが鋼鉄でできていたとしても、ものの一〇秒ともたずに溶けて消え去るだろう。いわんや、生身の身体であれば一瞬で消し炭に変わる。

「やれ」

 次の瞬間、ザブームの視界が炎の照り返しで赤く染まった。

「おわ……!」

「あつっ!?」

 遠巻きにしていた兵士たちが、魔獣の吐く火炎の熱さにたまらず飛びのいた。

「……今にして思えば、どうにかして生け捕りにして、どこかに売り飛ばすのでもよかったかもしれんな。ただ焼き殺すよりはそのほうがはるかに有益だった」

 直視するのも難しい、熱くまばゆい炎を前にして、ザブームは悠然と髭を撫でた。

「女性を売り飛ばすとは感心しないな」

「――――」

 聞き慣れないその声に、ザブームの表情が固まった。

「……何者だ?」

「どうもこの世界には、ペットをちゃんとしつけられない飼い主が多いらしい。深刻な社会問題だね」

 どこか笑いを含んだその言葉とともに、灼熱の炎の壁の向こうから立て続けに数本の槍が飛んできた。

「ぬ……!?」

 炎を突き抜けて飛来した六本の槍が、無防備にさらされていたケルベロスたちの六つの口の奥に突き刺さり、さらに首の後ろへと貫通していた。炎を吐く代わりに今度は派手に血を吐き、二頭の巨獣が前のめりに崩れ落ちる。ザブームは驚きに息を呑み、はっと視線を転じた。

「可哀相だけど殺処分させてもらったよ。この戦場で何百人の兵士をその爪にかけたか知らないけどさ」

 炎が消え去り、血と金属が溶ける異臭が混じった煙が夜風に押し流されたそこに、左手をかかげた少年が立っていた。

「……貴公が噂の勇者――だな?」

「あんたたちにとってはどうせろくでもない噂なんだろ?」

 そういって、勇者ハルドールは軽くウインクした。

                                ――つづく

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