第五章 魔王と魔王、そこらじゅうで派手にやってる 【第四節 援軍到来】


          ☆


 厚みのある緑のベールは、兵の往来のさまたげになる反面、その動きをうまく隠してもくれる。潤沢な物資によって装備を整え、満を持して本拠地を出たザブーム軍は、日が傾き始めた頃、深い森の中で“友軍”と合流した。

「ずいぶんとまあ……ものものしいいでたちであるな」

 林立する木々の向こうから近づいてくる漆黒の一団を見て、ザブームは自慢の髭を撫でつけた。

「聞こえましたわよ、ザブームどの?」

 蛮族たちを率いてやってきた女は、ザブームの呟きに目を細めて一礼した。

「我らが大王、グラジオ・ドゥクス・ザグレウスの命により参上……“蛇の目”のジャニヤーと申します」

 その名の通り、蛇のような目をした妖艶な美女だった。その瞳といい、びっしりと刺青におおわれた青みがかった肌といい、純粋なニンゲンとは思えない。おそらくレプタリアンの血が混じっているのだろう。いかにも女呪術師といった風体のジャニヤーは、身長五メートルのジャイアントを前にしても臆した様子を見せず、むしろ不敵に笑っている。

 そんなジャニヤーとその背後の蛮族たちを見やり、ザブームはうなずいた。

「ザグレウス陛下のお心遣いに感謝する。吾輩がジャマリエール・グリエバルトを倒した暁には、陛下と手を取り合い、ともに覇道を歩むことをお約束しようではないか」

「おやまあ、威勢のよろしいこと……」

 ひゅるりと赤い舌を覗かせ、ジャニヤーは目を細めた。

 現在グラジオ・ドゥクス・ザグレウスは、西方で複数の魔王たちを相手に戦いを繰り広げているという。そんな状況の中、ザグレウスがザブームの援軍要請に応じたのは、おそらくグリエバルト魔王国のいきおいをくじくためだろう。周辺の魔王たちを平らげたザグレウスが次に狙うとすれば、それは自国の東に位置するグリエバルト魔王国しかないからである。

 おそらくザグレウスは、ザブームが勝つなどとは思っていないに違いない。それでも援軍を送って後押ししてやれば、グリエバルト魔王国の勢力を適度に削いでくれるかもしれない――そう考えているであろうことは、ジャニヤーの慇懃無礼な態度を見ていれば想像がつく。

 しかし、ザブームは特に腹を立てたりしなかった。ほかの魔王たちから警戒され、敵視されるくらいなら、あなどられているほうがはるかにいい。名より実を取る、ザブームはそういう計算ができる男だった。

「いずれにせよ、ザグレウス陛下の助力が得られたのは望外の喜びだよ。貴国の兵はつとに精強だと聞いているからね」

 抜け目なくザグレウスの兵たちを観察しながら、ザブームはうなずいた。“剣の魔王”を名乗るだけあって、ザグレウスの魔王国では強さこそが美徳とされている。国民の大半は頑強な肉体と苛烈な闘争心を持つバーバリアンたちで、乱世に突入するよりはるか以前から、戦いに備えて自国の軍を強化してきた。そのやり方は、仲間同士で殺し合うかのような過酷なものだったと聞いている。

 実際、ジャニヤーの背後に控えている蛮族の兵士たちは、じきに戦が始まるというのにまったく浮足立ったところがなく、その落ち着きぶりは異様なほどだった。

 節くれ立った杖を手に、ジャニヤーはいった。

「大王のご命令により、わたしが率いる部隊はザブームどのの指示にしたがって戦いましょう。……ですが、あまりに勝ち目がないようであれば、さっさと戻ってこいとも申しつけられております」

「これは心外……吾輩は勝ち目のない戦いなど挑まんよ。すでにいくつも策をめぐらせている」

「ならばよろしいのですけど……何しろ、ジャマリエールのもとには魔王のように強い勇者とやらがいると、そう聞きしましたので」

「勇者ハルドールの噂はすでに帰国にまでおよんでいたか」

 ザブームは懐から一枚の紙を取り出し、指先でつまんでジャニヤーに差し出した。

「……これは?」

「勇者の似顔絵だ」

「…………」

 ジャニヤーは勇者の似顔絵に見入り、困惑の表情を浮かべた。

「……子供にしか見えませんけど?」

「まさにその通り、かの勇者はどうやら子供であるらしい。――が、外見とその強さがかならずしも比例はしないということは、ジャニヤーどのならお判りかと思うがね?」

「……ええ」

 すぐにまたあの不敵な微笑みを取り戻したジャニヤーは、似顔絵を小さく折りたたんでドレスの胸もとに押し込んだ。


          ☆


 デルビル商会は、初代の頃にはすでにランマドーラ城への出入りを許されていた。ドン・デルビルもまた、将来の三代目として、父に連れられて一〇代の頃から城に出入りし、ジャマリエール・グリエバルトと謁見したことも一度や二度ではない。

 がしかし、今宵はいつになく緊張している。

 それがなぜなのかはデルビルにも判らない。ただ、この食卓に着いた時から胸騒ぎが止まらないのである。

「……あまり食が進まぬようじゃな、三代目?」

「え? あ、ああ、いえ、そのようなことは――」

 会食の場に陪席していたクロシュ・ハクバードが、フォークを持つ手が止まっているデルビルを一瞥して呟いた。

「ならばよいが」

 巨大な細長いテーブルをはさんで、あちらにはジャマリエールとクロシュばあさん、それにユリエンネ卿の三人。対してこちら側に座っているのはドン・デルビルひとりだけという状況は、決して居心地がいいものではない。この国で最高のはずの美味が並んでいるというのに、ろくに味が判らなかった。

 それでもデルビルは努めて平静をよそおい、ワインのグラスに手を伸ばした。

「……乱世と呼ばれる時代に突入したというのに、この国の豊かさは揺るぎませんな」

 上等なワインの味わいが、デルビルの焦燥をわずかにやわらげてくれる。デルビルが女遊びの次に好きなものが酒だった。

「それについてはおぬしら御用商人のはたらきがあってこそ……特におぬしのところは我が国とのつき合いも古い。今後とも頼りにしておるぞ?」

 がつがつと料理をかき込んでいるジャマリエールに代わり、クロシュがデルビルに声をかける。とっくにこの国に見切りをつけていることなどおくびにも出さず、デルビルは愛想よく笑ってみせた。

「もったいないお言葉……こちらこそ長くご贔屓いただき、ありがとうございます」

「そこでじゃな」

 クロシュが軽く手を打つと、テーブルのそばに控えていたメイドたちが、深々と一礼して食堂から出ていった。あとに残ったのは着席しているデルビルたち四人のみ――これは何か内密の話があるのかと、デルビルは居住まいを正した。

「……折り入っておぬしに頼みたいことがある」

「それはもう、わたくしどもでお役に立てるのなら何なりとおっしゃってください。我が商会が用立てられぬものなどございませんので」

「頼もしいお言葉です」

 ユリエンネ卿がフォークを置き、口もとをそっとぬぐった。

「――ですが、頼みたいことというのはデルビル商会に対してではなく、あなた個人に対してなのです」

「は? わたくしに……ですか?」

「その通りじゃ」

「それはどういう――?」

「おぬしには、まだ子供がおらなんだはずじゃな?」

「え? ああ……そ、そうですが、それが何か?」

「すまぬが、おぬしには会長職を引退してもらいたい」

「……は?」

「じゃから、おぬしには今夜かぎりでデルビル商会の会長を辞めてもらいたい」

「四代目の会長については、我々のほうですでに目星をつけてありますので、商売のほうは心配ありません」

 クロシュばあさんとユリエンネ卿は、まるで茶飲み話でもするかのようなおだやかさでそう語った。しかし、その内容は――少なくともドン・デルビルにとっては――はいはいとスルーできるようなものではない。デルビルは思わず腰を浮かせ、ようやく生え揃ってきた髭を震わせた。

「そっ、それはいったい……ど、どういうことですか!?」

「今いった通りじゃ。おぬしにはデルビル商会の運営のすべてから手を引いて隠居してもらう。命までは取るまい。まがりなりにも、おぬしたちは三代にわたって我が国の発展に貢献してくれたでな」

「我々がなぜこのような決断をくださねばならなかったか――お心当たりがおありでしょう?」

 ユリエンネ卿の冷ややかなまなざしが、頭に血が昇りかけたデルビルに冷水を浴びせかけた。

「我が国は商人どもに忠誠心を求めはせぬ……が、それはあくまで最低限の義理を通せばの話じゃ。おぬしらが我が国に見切りをつけ、他国に本拠地を移すというのであれば黙って見送りもしたじゃろう」

「しかし、あなたがたは我々を見かぎっただけでなく、我が国に仇なそうとした」

「――――」

 いったん赤くなったデルビルの顔が急激に青ざめ、そして今度は大量の汗の珠がにじみ出てきた。

                                ――つづく

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