第4話 プラクティス
陽が西に大きく傾く中、馬車や人が往来する喧騒が窓の外からざわざわと聞こえる。目を覚まして気恥ずかしそうに照れるフィル様の身体を拭いて、サラ奥様の用意した夜会用のスーツを着せ付ける。
上質な漆黒の生地で仕立てられて、フィル様の細身の体にピッタリ合う、無駄のない中性的なシルエットを持つ瀟洒なスーツと草花をモチーフにした華やかなデザインの装飾具が互いにその存在を引き立て合う。サラ奥様らしい美意識の装いがフィル様の容姿を更に際立たせている。
「お美しい。よくお似合いですよ。ご主人様」
「そう? いつも通り、普通の格好だけど」
姿見を見ながら、腕を回し身体を捻り、首を傾げる。
「いいえ、この装いを普通だと思われるのは、ご主人様が奥様のご子息だからです。これならボールルームでも注目の的ですね」
「うう、そんなこと言われると、緊張しちゃうよ」
「そこは私の方が注目されますから、ご安心下さい」
興味津々の視線を受けながらスーツケースからドレスとアクセサリーを出してチェストの上に並べる。
「もしかして、ルーシーも母様のドレスを着るの?」
「はい、素敵なドレスをご用意いただきました」
「わぁ! 早く着て見せて」
ドレスを広げて見せると、フィル様が笑顔の花を咲かせる。
「ふふ、では、すぐに着替えますから、後ろを向いていてくださいませ」
ベッドの向かい側に座っているフィル様の背中を見ながら仕事着を脱いでいると、衣擦れの音にそわそわしだす。その様子を微笑ましく見ながら、朝に試着した深い青のドレスに身体を通し、ヒールに履き替える。
「ご主人様、背中のリボン、結んでいただけますか?」
待ちわびたように振り向くフィル様の頬が少し赤らみ、照れながら私の後ろに回ってリボンを結び、帽子も被せてくれる。
「凄く綺麗……」
「ありがとうございます」
私のドレス姿をじっくり観察しながら正面に回り、目を細めてうっとりと言うフィル様が跪き、手を差し伸べる。
「お姫様、僕と踊っていただけませんか?」
「はい、よろこんで。私の王子様」
差し出された手を取ると、手の甲に軽く口づけしてから立ち上がり、優しくリビングまでエスコートしてくれる。向かい合って目を合わせると、フィル様は少し顔を赤らめて身体を寄せ、右手を背中に添えて更に近づく。私もそれに従ってフィル様の肩に手を添え、腰を密着させる。
「いくよ…… いち、に、さん、いち、に、さん、いち、に、さん……」
まずは基本動作を一つ一つ確認して、少しづつステップを組み合わせていく。歩幅もタイミングもぴったりで、両手と体の動き、息遣いを感じて、フィル様に操られて自然に身体が動くよう。
「ご主人様、お上手ですね」
「ルーシーも上手。気持ちが伝わってくるみたい。思い通りに踊れるのって楽しいね」
「ダンスはスクールで習われたのですか?」
「うん、スクールで習って友だちとよく練習してた。いつも女の子役ばっかりさせられてたけど……」
「ふふ、ご主人様はお顔立ちが可愛らしいですから、きっと大人気だったでしょうね。私は逆で、カレッジでは男の子役ばかりしていました。お陰様で経験だけは人一倍積むことができましたので、悪いことばかりでもありませんでしたが」
「あはは、僕と一緒だ。寄ってたかって代わる代わる誘ってくるから大変だったよ」
いつしか会話も途切れ、軽快に三拍子を刻むステップの音と衣擦れだけが、西日の射し込むホテルの客室にかすかに響き、二人きりのダンスは日が沈み始めるまで続く。
フィル様は私の手を引いてソファに座らせ、身体を寄せて隣に座り、お互いの体温を感じ合いながら別れて過ごした三年間の出来事を語り合った。
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