第30話 旧友のちラーメン

 公園から少し歩いたところに、天々てんてん食堂という名の町中華がある。昔から、家で食事をする気になれない時によく利用させてもらう、お財布に優しい馴染みの店だ。


「いらっしゃいませー……って、あれ、悠くんに、心愛ちゃんじゃーん!!!! いらっしゃーい!!!!」


 こぢんまりとした店内に入った瞬間、チャイナ服を着た店員が少しなまりの混ざったイントネーションでそう言ってきた。


 白みのかかったロングヘアーは、心愛の髪によく似た絹糸のような美しさ。その髪の上には、猫耳のような髪飾りがついている。


「天々、ひさしぶり」


「テンちゃん、こんばんは」


 満面の笑みと元気な挨拶で出迎えてくれた女の子の名前は、鳳玲ほうれい天々てんてん。この店が実家の同級生で、小学時代から付き合いがある中国出身の女の子だ。店の名は彼女の名からきており、店主である彼女の親が親バカを発動して付けてしまったものだとか。


 高校は別になってしまったから、俺はこの店に訪れた時くらいしか付き合いがないが、心愛は今でも交流が深いらしい。


「悠くんひさしぶり!!!! もう十年振りくらい???? 心愛ちゃんは……んー、二十年振りくらい????」


「いや、今年に入った後も店に来てるが」


「私は先週PINEメッセージアプリで話しましたね」


「うんうんっ、そうだった。まあまあ、ゆっくりしていってくださいな。悠くんは中華そばと半チャーのセット、心愛ちゃんはもやしラーメンでいいよね」


「構わないが、この店は勝手に人のメニューを決めるのか?」


「でも、今日頼むのはそれじゃん? というか、それしか頼んでるところ、天々は見たところない」


「……あれ、そうだっけ?」


「悠は自分のことに感心が薄すぎです。テンちゃん、私のメニューももやしラーメンで大丈夫ですよ」


「了解。店長、ラー半チャーセットと、もやし入ったー!」


 天々が厨房に引っ込んでいく。


 俺と心愛はカウンター席に腰を掛けて、やがて天々が運んできたお冷やを受け取った。


「んでんで、心愛ちゃーん。悠くんは、カラオケに連れて行った????」


 ――ぶううううううう!


 心愛が派手に、噴水のようにお冷やを噴き出す。


 水飛沫みずしぶきが隣の俺まで飛んできて服にかかった。


「おい心愛、なにやってんだ!」


「だ、だってテンちゃんが……ちょっと、テンちゃん、こっちに来て」


「ほにゅ?」


 天々を連れて店の奥に行く。


 俺をカラオケに誘うって……どういうことだ?


 先日のカラオケでは、あまり積極的ではなさそうな態度だった気がするが……実は内心、そうではなかったとでもいうのだろうか。


 本当は、心愛は以前から俺とカラオケに行きたがっていた……? 仮にそうだったとして、どうして俺に嘘をつく必要があるのだろう。


 心愛と天々が戻ってくる。心愛は顔を赤らめ恥ずかしそうな顔で、天々は少しバツの悪そうな顔をしていた。


「ごめんね、悠くん。さっきのは天々の誤解で、記憶違いだったみたい。なにも聞かなかったことにして忘れて」


「うん? お、おう」


 なんだかよくわからないが、心愛の様子から察するに、俺には知られたくなかった話ということか。もっとも、このように言われてしまった時点でバレバレなのだが。


「……歌を、聴かせたかったんです。テンちゃんにも練習を手伝ってもらってたんですよ。教えてもらってたんです」


 と、俺からそれ以上詮索するまでもなく、心愛が説明を始めた。


「そういえば、天々は歌が上手かったな。でも、急にどうして歌を?」


「意味なんてありません、なんとなくですよ。いきなり歌が上手くなってたらびっくりするんじゃないかって思っただけです」


「そりゃまあ、びっくりしたが」


 思わず聞き惚れてしまったくらいだし。


 なんてことを言うと、今赤くなっている心愛の頬は、さらに赤く濃く染まって言葉を失ってしまうだろうか。それとも不機嫌そうに、怒られてしまうだろうか。


 いずれにせよ、素直に感想を言うと気まずくなってしまうような気がしたので、その言葉は飲みこんでおく。


「…………」


「…………」


 飲みこんだところで、やはりどこか気まずいのだけど。


「お待たせしましたー。中華そばと半チャーのセット、心愛ちゃんは……もやし!」


 そんな空気に割って入るようにして、天々がメニューを届けてくれる。助かった――と一瞬思ったが、この空気の発端も天々だったか。


 二人、ラーメンを受け取って箸を伸ばす。


 口をつけて、お互いラーメンをすすった。


「やっぱり、ここのラーメンは美味いな。安価ながら丁寧な味のスープに、小麦の風味が強い細麺がしっかり馴染んでいる。硬めで濃い味付けのチャーシューも俺の好みだ」


「なに食レポを始めてるんですか」


「美味しいもの食べると元気になるなって。心愛はどうだ?」


「わざわざ聞かれなくてもなってますよ。さっきから、ずっと」


 言葉は冷たいが、心愛の表情にはふっとやわらかい笑みが浮かぶ。気まずい雰囲気を崩そうとしての食レポだったが、どうやら上手くいったらしい。


「ま、元気が出たならよかった。んじゃ、これが終わったら決戦だな」


「決戦?」


「心愛のお母さんとのだよ」


「え? えっと、なにをしようとしているんでしょう」


 心愛が不思議そうに聞くが、そんなの決まっていた。


 逃げるようにしてマンションから出てきたとはいえ、心愛と母親の問題を解決しないことには状況はどうにもならないのだ。


 心愛の家の問題とはいえ、俺はそれを知ってしまったし……あと、心愛は気にするなと何度も言ってきたが、事の発端は心愛が俺に勉強を教えて、自分の勉強がおろそかになってしまったことに起因している。


 ぶっちゃけ、気にするなと言う方が無理だ。


「要はここに残りたいってことだろう? 俺も説得を手伝う。上手くいくかはわからないけどさ」


「いや、でも悠は関係ないじゃないですか」


「あるさ。だって、心愛が母親に連れて行かれたら俺が困るからな」


「え? きゅ、急になにを!」


「飯をつくってもらえなくなるし、料理を教えてもらえなくなるだろ? それが困るって話だ」


「……あ、あ~……誤解するような言い方はやめてくださいよ、まったく!」


 なにを誤解してたんだよ、って言葉も飲みこむ。


「まあ、一人より二人だ。それに、俺でしかやれない説得みたいなのもある気がしてるしな」


「悠にしかできない説得?」


「まあ、な」


 上手くいくかはわからないけど。


 でも、俺なら少しだけ、心愛のお母さんの心に寄り添える気がしていた。


「心愛、先にひとつ聞いておきたいんだけど、心愛のお母さんの性格が冷たくなったのって、お父さんが亡くなってからだよな」


「……あってます」


 ――心愛のお母さんもまた、恋人を失った人間だからだ。

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