第1話 プロローグ
鬱蒼と生い茂る森の中、睨み合いは続いていた。
前方には森狼が3匹。大型犬と中型犬の間ほどの体躯を持ち、体表に冷気を帯びているのか、その周囲にはわずかに白いモヤが漂っている。
対してこちらは俺の他に4人の男女。俺を含め3人が左手に盾、右手に剣を構えて横に並び、それぞれ1匹の森狼に正対している。そして残りの2人は、俺たちの後方に5メートルほど離れた場所で一回りほど小さい剣のみを構えている。
皆一様に緊張した面持ちで前方の魔獣たちを睨みつけつつ、時折、森狼の数十メートル後方にチラチラと視線を送っている。
早めに決着をつけたい。しかしそう上手くはいかず、結果こうして睨み合っているのだった。
右頬に一筋の汗が伝った。手で拭いたくなるのを堪え、敵の動きに意識を集中させる。
突如、カンカンと森狼たちの後方の木の陰から金属同士を打ち鳴らすような音が響いてくる。敵の攻撃開始の合図だ。
3匹の森狼たちが、一斉にこちらに距離を詰めてきた。
俺は盾で攻撃に備えると同時に、腰に備え付けてある小袋から発光石、衝撃を加えると内側から弾け、同時に一瞬だけ発光する石を取り出して、森狼たちの後方の一点に向かって投擲した。
直後、飛び掛かってくる森狼を盾で受けていなす。
一瞬、辺りが光に包まれた。
発光石が弾けた地点付近にある木の陰。そこに隠れていた2体の牛人、頭部が牛、胴体が人間の生物の姿を確認する。
「魔法頼む!」
すぐさまいくつもの拳大の氷塊が、木の陰にいた敵たちに向けて飛んでいく。
俺は怯みから立ち直った2体の牛人が移動を開始する姿を視界の端に捉えながらも、光に気を取られていた森狼に向けて攻撃を仕掛ける。ここで少なくとも1匹は仕留めておきたい。
首元目掛け渾身の力を込めた剣を振り下ろした。剣から伝わってくる強い衝撃と共に、くぐもった声を漏らしながら数メートル程吹き飛んでいく森狼の身体。
しかしながら手応えは今一つだった。森狼の首元が少しばかり赤く滲んではいるものの、明らかに致命傷には程遠い。
戦闘中も何度か感じた冷気から、その体表が魔力による強化がされているだろうとは考えていた。だがまさかここまで刃が通らないとは。
「マジかよ!」「嘘だろ!?」
俺と同時に攻撃を仕掛けていた他の2人も動揺している。他の2匹も同じような結果だったんだろう。
不意に、どこからともなくパシッパシッと音が聞こえた。次の瞬間、左肩に衝撃と鋭い痛みが走り、思わず小さく声が漏れる。
右隣から苦悶の声が響いてきた。チラリとそちらに視線を向けると、蹲っている仲間の姿が目に映る。
「みんな密集して矢に備えて!」
反射的に指示を出しつつ、呻き声の主の方へと少しずつ近寄りながら呼び掛ける。
「大丈夫か!」
体勢を立て直し、こちらに駆けて来ようとしている森狼3匹と、遠くから俺たちを狙う2体の牛人の矢に警戒をしながらも、横目で呻き声の主の状態の確認をする。
彼の右太腿には深く矢が突き刺さっていた。
他の3人も森狼を牽制しながら、負傷者を中心とした密集陣形を組むべく近寄ってくる。
動揺と緊張、そして焦燥感に満ちた表情。俺たちは完全に浮足立ってしまっていた。
バクバクと鳴り響く心臓。息苦しさを感じ、首を捩るように動かす。
自分の目算の甘さ加減に、苛立ちを抑えきれない。
これで状況は完全な劣勢となった。それでも俺はリーダーとして責任を果たさなければならない。もう2度と犠牲者を出さないためにも。
焦ってはいけない。落ち着き、思考を正常に。
一度深呼吸を挟み敵の追撃に備えるが、ふと違和感を覚えた。
なぜか敵の追撃がない。
先程までの俺たちは完全に隙だらけだったはず。再び射撃地点の移動でもしているのだろうか。
非常にありがたい。この隙に状況を好転させる。
怪我人の治療は、まずは後回しだ。さすがにあれだけで死ぬことはまずないし、あれだけのけがを治癒魔術で治療している時間もない。
それならば敵戦力を削ぐために力を注ぐ。
森狼たちは相変わらず木々の間を素早く動き回りながら、俺たちに襲い掛かってくる。
突進に続けて鋭く尖った牙や爪での攻撃。しかしながらそれだけでは別段脅威ではない。
あの赤く染まった部分。森狼に与えた小さな切り傷が、今の奴らの弱点だ。そこに渾身の一撃を加えられれば、今度こそ致命打となるだろう。
今一度気合を入れ直し、森狼の攻撃に備える。確実に仕留めるためには、多少の怪我は覚悟してでも敵を拘束する必要がある。
そう算段をたて、飛び掛かってくる森狼を見据えた次の瞬間、森狼の体がまるで見えない力で横から引っ張られているかのように、近くにあった木に体の側面から突っ込んだ。
苦しそうに呻きもがく森狼の身体には、何か棒状のものが突き刺さってその身体を木に縫い付けている。
「…は?」
俺は思わず今の棒が飛んできたであろう咆哮へ顔を向ける。視界に映る、木々を軽い身のこなしで避けながら疾駆してくる1つの影。
その影は一瞬にして俺の目の前を通り過ぎ、後衛2人と盾でひたすら防御に徹していた1人の仲間の3人がかりで応戦していた1匹の森狼に肉薄する。
そのまま右手で森狼の首元を掴み、腰から抜いた短剣を突き立てて抉る。
必死にもがく森狼。バタバタと四肢を動かし、時にその鋭い爪を突き立てるも、影は一切動じずにただ森狼が力尽きる時を静かに待っていた。
「ボーっとしてないで助けてくれよ!」
俺はハッとしてもう1人の盾持ちの仲間を援護しに走る。2人がかりならばあまり無理をしなくてもいいだろう。
難なく残りの1匹を倒し、仲間たちの状態を確認する。
太腿に矢を受けた者以外に、目立った傷を負った者はいない。そしてその唯一の人間も既に治癒魔術による治療を受け始めていた。
先程、いとも容易く2匹の森狼を仕留めた男がこちらに近寄ってくる。
「近くにいた弓使い2体はこっちで処理しておいた。他のメンバーは?」
「7、8体を引き連れて今も逃げている最中だと思う。向こうの方に行ったはず」
俺はそう言って、途中で別れたもう1つの班が逃げて行った方向を指さす。
「…そうか。俺の班ももうすぐ合流するはずだから、とりあえずここで待っててくれ。俺は先に行ってる」
「あ、ああ、わかった」
彼はそう言い残すと、木に突き刺さり森狼をぶら下げていたもの、長さ約3メートルの槍を引き抜き、森の中へと消えていく。
さすがだな…。
俺たちが苦戦した敵をああもあっさりと仕留め、休む間もなくまた仲間の援護に向かっていく。そもそも彼は今の戦闘の前にも敵と交戦していたはずだ。しかしそれでも、彼の表情からは一切疲れというものが感じられなかった。
彼はどうしてあそこまで強いのだろうか。
近くの木々の陰から微かに話し声が聞こえてくる。先程彼が言っていた彼の班のメンバーが到着したのだろう。
俺たちもすぐにもう1つの班の応援に向かいたい。しかしまだ怪我人の治療が済んでおらず、また、ここにいるメンバーは後衛を任されている人間がほとんどであるため、人員をいくらか残しておこうにも心許なかった。
いくらかの逡巡の後、俺は怪我人が動けるようになるまで回復させてから、全員で応援に向かうのが最善だろうと、一時待機する判断を下した。
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