第一章 夢のように楽しいお話 その1

「……とうとうこのマンガも戦闘力を数値で表現し始めたか……。パワーインフレが始まる予兆だな」

 とあるコンビニ店内の雑誌コーナーで週刊少年漫画を立ち読みしていた男が、独り言を呟く。

 その日発売した漫画雑誌を、買いもせずに立ち読みで済ませる。しかも早朝に。

 コンビニの店員にしてみれば、迷惑ではないにしても、全くありがたくない客だ。

 漫画を立ち読みしていた男は、真新しい背広を着ていた。

 長身痩躯の身体に、黒い背広姿は中々様になっていたが、その服装で朝っぱらから漫画雑誌を立ち読みし続ける姿は滑稽にも思えた。

 背広姿の男は、トイレの清掃をしていた店長と、レジの前に立っているバイト店員の少女から冷たい視線を浴びながらも、黙々と漫画を読んでいた。

 そんな三人しかいなかった早朝のコンビニ店内に、それは突然現れた。

「オラ! 強盗だ! この袋に金を入れろ!」

 自分で自分の事を強盗だと名乗った覆面姿の男が店内に入ってきたのだ。

 突然の事態に、レジの前に立っていた少女は悲鳴を上げた。

「さっさと金を袋に入れろ!」

 覆面姿のコンビニ強盗は、声を荒らげながらレジの近くにあったカウンター席──店内で飲食する為に設置されたそれを素手で破壊して見せる。

 人間離れした筋力だった。

 店員の少女は震えながら、強盗に渡された袋にレジの中にある金を入れ、トイレ掃除をしていた店長は、いつまで経ってもトイレから出てこない。

 漫画を立ち読みしていた背広姿の男は、

「む! この作者また休載かよ……。大御所だからって休みすぎじゃねえの……。続きはいつ読めるんだか」

 強盗が入ってきた事にノーリアクションのまま、立ち読みを続行していた。

 恐るべき厚かましさである。

 目当ての漫画を全て読み終えたのか、背広姿の男は読んでいた雑誌を元の位置に戻し、コンビニの出口に向かって歩く。

 そんな時、レジの金を震えながら袋に入れていた少女から、袋を乱暴にふんだくったコンビニ強盗がコンビニから出ようとしたところで、背広姿の男と鉢合わせした。

「どけ! 邪魔だ!」

 コンビニ強盗は腕を振り上げ、背広姿の男に殴りかかる。しかし、

「グベ!」

 逆に背広姿の男にあっさりと殴り飛ばされてしまった。

 そう。殴り飛ばされたのだ。

 背広姿の男は強盗に見向きもせず、裏拳を軽く当てただけのように見えるが、コンビニ強盗はコンビニの出入口付近から、店の奥にまで吹っ飛んでしまった。

 下顎を思い切り殴られたコンビニ強盗は、失神したのか、ピクリとも動かなくなる。

「あ、あの……ありがとう……ございます」

 レジの前に立っていた少女はコンビニ強盗を撃退してくれた男に、礼の言葉をかけた。

 しかし、背広姿の男は何故かキョトンとしながら、

「……? いや、何も買ってないから、そういう事言わなくてもいいよ」

 なんて事を言い、コンビニから出て行った。


  *


「先輩~。こっちですよ~。こっちこっち~」

 セーラー服に身を包んだ少女が、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、背広姿の男を手招きする。

 手招きされていた背広姿の男……かみながカムイは苦笑した。

 大学を卒業し、教員免許を取得し、今まさに新任教師として赴任する校舎を訪れようという時に、知人から手招きされる事があるとは思わなかったのだ。

「……背伸びたな。ユキ」

「え~。背じゃなくて胸の話をしてくださいよ胸の。男子なんだから女子の胸以外の一体どこを見るというんですか」

「……」

 カムイにユキと呼ばれたのは、むろゆきひめはカムイの後輩に当たる十六歳の少女。

 しかし、カムイが高校生だった頃、雪姫はまだ小学生だったくらい年齢差がある。

 それだけ年齢差があったのに面識があったのは、お互い特殊な環境下にいた所為だが、二人にとって今それはどうでもいい話だった。

 重要なのは、これからカムイが教師として赴任する学校に、雪姫は生徒として通学しているという事だ。

 学業にせよ、仕事にせよ、初めての事は緊張する。

 教師として新しい校舎に入る時に、知り合いが一人でもいるというのは単純に嬉しかった。

 カムイは雪姫と並んで歩き、校舎に足を踏み入れる。

 教師としての第一歩だった。

「しっかし先輩もアホですねえ。他にどんな仕事でも出来るのに、何でよりにもよって『異能教師』とか目指したんです? 最悪の仕事ですよ」

「うるさい。ほっとけ……と言いたいところだが、否定出来ないな。我ながらヤバい仕事だとは思うけど……実際の所、どうだこの学校。ヤバい生徒が多いか?」

 不安そうに呟くカムイの眼を見て、雪姫はニヤリと笑いかける。

「ヤバい生徒が多いんじゃありません。ヤバい生徒しかいませんよ? だって生徒全員が異能者なんですから」

 二人は雑談をしながら校舎を歩く。

 異能者にしか足を踏み入れる事の許されない校舎を、二人で歩き続ける。


 何故なら彼らも異能者なのだから。


 ──この現代社会には、ごくまれに異能を持つ者が生まれるようになった。

 異能者の誕生は、新世界の夜明けとも、人類にとってのターニングポイントとも呼ばれ、世界を激変させたが、その変化は決して歓迎されるようなものではなかった。

 政府は、異能を犯罪に用いる異能犯罪者が現れると同時に、それを専門に扱う異能警察の設立を余儀なくされた。

 異能を悪用する異能者と、異能者を忌避する人間の衝突は、世界を混乱させた。

 しかし、それ以上に大きな問題が、世界各地で学級崩壊を引き起こす異能学生が続出した事だ。

 周囲の人間よりも圧倒的に高い身体能力と固有能力を持った異能学生は、ほぼ例外なく学校内で問題を起こし、学級崩壊を招いた。

 異能学生の暴走を放置する事は、社会崩壊を招きかねない。

 そこで日本政府は両親や教師の手におえない異能学生を一ヶ所に集め、管理、教育する為の施設を作った。

 東京湾に浮かぶ巨大人工学園島タルタロスである。


 とりあえず人工島とか学園都市とか作って異能者とか魔法使いとか化物とか一ヶ所に集めちゃいましょうという、マンガやアニメの世界ではおなじみの事をやる羽目になった。

 その後、異能を隠し、人間社会に紛れ込むという選択をした異能者を除いた異能学生が約四万人集められ、無数の学園と学生寮が建設された学園島タルタロスは、世界で最も異能者の人口密度が高い異常都市になったわけだが、学生の数に対して、教師が圧倒的に足りない。

 というより、教師の中でタルタロスに赴任したがる者が皆無だった。

 ごくまれに赴任する者がいたとしても、すぐに退職した。

 結果、人工島タルタロスは世界で最も異能を用いた犯罪が多い無法地帯になってしまう。


 そういう事実を、当事者の一人として痛感している雪姫は、

「先輩って、ひょっとしてドMなんですか? 困難とか苦痛が強ければ強い程興奮するタイプなんですか?」

 なんて事を、自分の先輩に対して思うわけだ。

「そんなわけないだろ。自分なりに目標があるんだよ目標が」

「ふうん。まあ、私は先輩と一緒にいられるの嬉しいですけどね」

「……一応、先輩じゃなくて先生って呼べよ」

「あ、そうですね。解りました。先生~」

 敬礼の真似ごとをしながら自分を『先生』と呼ぶ雪姫を見て、カムイは気を引き締める。

 緊張はしているが、それ以上にワクワクもしていた。

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