第二章 幕間②


「ええええええええええええ、何でえええええええええっ!?」


ダミアン邸の中庭に、ルフリーネの甲高い叫び声が響く。

俺は間近から発せられたそれに、思わず顔を顰めながら弁明した。


「も、元々臨時講師という立場だったんだ。それが別の仕事が決まったから、続けるのが難しくなるっていう話で……」


「でもルフが一人前になるまで絶対に先生辞めないって約束したじゃん! 忘れたとは言わせませんぞ!」


「――――いや、した覚えないなあ!?」


「ローレン先生の薄情者ぉおお!!」


そう泣き叫びながら、がっしりと脚に抱きついてくるルフリーネ。

横に立ったダミアンを見ると、困ったように笑いながら説明を代わってくれた。


「という訳だ。4、5ヶ月という短い期間ではあったが、ローレン先生の参加する授業はこれで最後となる。皆、心残りのないように聞きたいことは聞いておくといいだろう」


そう言って見回した芝生に腰掛ける生徒は2人。

眼鏡をかけた少年レレルと、眠り姫アメリジットである。ルフリーネほどではないにしろ、2人も唐突な話に驚きの表情を浮かべていた。


アメリジットがゆるーりと手を挙げる。


「ローレン先生、お仕事が決まったって、王都じゃないどこか遠くに行っちゃうのかしらぁ」


「ん? ああいや、王都には残るぞ」


「王都のどこで働くのぉ?」


「えーっと……、王宮だな」


もはや隠すことでもないと考え、そう言うと、アメリジットとレレル、抱きついていたルフリーネも一様に目を丸くした。

レレルが顎をガクガクとさせながら尋ねた。


「ロ、ロ、ロ、ローレン先生、お、王宮に雇われる事になったんですか……!?」


「成り行き上そういう事になったんだ」


「すすす、すごいじゃないですか……! って、僕が先生にこんな言い方をするのは失礼ですよね、すみません。でも、そのなんと言うか、おめでとうございます……!

先生、僕の父親も王宮で働いているのでたまに行くんです。ひょっとしたらまた会えるかもしれませんか?」


レレルの親は王宮で文官をしているのだったか。

さすがに誰でも自由に出入りができる訳ではないだろうが、雇用者の家族であればある程度は融通が利くのかもしれない。

ともあれ、


「そりゃあ俺としては願ってもないが…………、どうなんでしょうダミアン様」


「王宮は広いが、同じ建物の中にいるのだから会う機会もあるだろう。あとは君の新しい仕事がどれくらい忙しくなるか次第といったところか」


「だそうだ。もし見かけたら、声をかけてくれ」


「は、はい……!!」


レレルが嬉しそうに激しく首を縦に振る。

と、そこで足元からも声が上がった。


「ルフもそこでお仕事するっ!!」


「ん? お仕事?」


「ローレン先生と一緒に働くのっ!」


「一緒に働くって……、お前何をするのかも分かってないだろ。

いずれにしろ、ルフリーネにはまだちょっと早い――――」


「おじいちゃんに言って、そこで働かせてもらえるように圧力をかける!!」


「ゴリゴリのコネ入社狙おうとすんな! 強かだな、本当に!」


俺は思わず笑いながら、「でも、もう少し大きくなったらあるかもしれないな」と言った。ルフリーネは俺の左足に組み付いたまま「絶対に働くもん。ルフが大人になって、ダミアン先生に負けないくらいナイスバディになってから…………」


最後の独り言の部分はよく聞き取れなかったが、現時点でも才能の片りんを覗かせているルフリーネである。あながちあり得なくもない気がする。


そんな2人をしばらく眺めていたアメリジットがまた手を挙げる。


「先生、私もお部屋に遊びに行ってもいいかしらぁ」


「構わないが…………、お昼寝部屋として使おうという魂胆なら協力しないぞ」


「ちょっとぉ。私そんなつもりで言ってないんだけどぉ。先生って私の事どういう風に見てるのかしらぁ」


俺が先に釘を刺すと、アメリジットは不満げにほほを膨らませて抗議した。

しかしフンと小さく鼻を鳴らした後「ダメかぁ」と呟いたのを、俺はしっかりと聞いていた。



――――パン、パン!



そこで、不意に手を叩く音が聞こえる。

全員の視線がダミアンに注がれた。


「さて――、もうよいかな? それでは、最後の授業を始める。今日集まった君たちは幸運だ。これから見せるのは、他ではおよそ目にできないような高度な魔法だ。

君たちが歩む魔術の道の先に何があるか、それを少しでも感じてくれれば嬉しい」


そう言って、ダミアンは俺に小さく合図を送る。

俺は頷き返して、いまだ抱きついていたルフリーネをはがし、中庭の端へと移動する。

俺とダミアンは中庭の両端から、ちょうど向かい合う形となった。

生徒たちも何が始まるのか、何となく察したのだろう。それぞれの目に別種の輝きが宿ったのが見える。


願わくば、カイルにもこの場にいてほしかった。

俺はそう思うが言葉にはしない。

カイルがダネルをここに連れてきた時点で、彼はもうこの教室の生徒ではいられないという覚悟を決めていたはずなのだ。

そして俺はそれを汲んだ。それはいわば、男と男の取り決めでもあった。


俺は、袖口の杖に魔力を注ぎ込んだ。





聖堂に着き、案内されたのは要人専用の昇降機。

ギギギギギという鈍い歯車の音を立てながら、昇降機は途中で止まる様子もなく、ぐんぐんと昇っていく。


カイルは最上階へ足を踏み入れた事がない。

しかし何があるかは知っていた。教皇の私室である。

何故、このタイミングで1人呼び出されるのか。それが分からずカイルは首を傾げる。



ダミアン邸で久しぶりの魔術教室が執り行われていた頃――――、

カイル・フーゴーは自室で一人、時間を持て余していた。


ドイルの身柄が確保されて数週間が経ったが、いまだ帰ってくる様子はない。

王都では日増しに精霊教会への非難の声が高まっているようだ。

精霊教会が何をしていたのか、徐々に人々に知れ渡り始めたからである。


カイルは、いずれ自分に対しても厳しい取り調べが行われるはずだと覚悟しつつ、じっとその日を待っていた。

しかし待てど暮らせど、お呼びがかからない。

審問会場のど真ん中で、あれだけ声高に罪を白状したのだ。

お咎めなしなんてことはあり得ないと思う。

王宮側にもなにか段取りや事情があるのだろうか。ドイルたちの取り調べに手間取っているのだろうか。そんな事はカイルに分かるはずもない。


しかし、気を張り続けるにしても人には限度がある。

カイルは今やどこか他人事のように、ため息混じりで王都の騒ぎを眺めていた。


そこへ不意に、精霊教会本部に足を運ぶようにというお達しがあった。それは『カイル・フーゴー殿へ』という名指しの書面であり、最後にはものものしい精霊教会の判が押されていた。

カイルは「ついに来たか」と思った。そしてすぐに、なぜ王宮からではなく精霊教会から呼び出しがかかるのだろうかと疑問に思った。

しかし、呼ばれたからには行かねばなるまい。カイルは使用人の用意した馬車に乗り、急ぎ聖堂へと向かったのだった。



「……どうぞ、お入りください」


見慣れない教会員が扉を開け、中へ入るように促す。

カイルは緊張の面持ちで、教皇の私室の扉をくぐった。すると出迎えるように中から聞こえたのは、聞き馴染みのある声だった。


「――――急に呼び出してごめんね」


「!」


中に立っていたのは、部屋の主たるネロ・モロゴロスではなく、見慣れた顔の幼馴染だった。


「ダ、ダネル……! お前かよ…………」


家を出た瞬間からずっと張っていた気が一挙に緩み、カイルは思わずよろけそうになる。

そんなカイルの反応を見て、ダネルは意外そうな表情をした。


「え、あれ? 知らずに来たの? 届けてもらった手紙に書いてあったでしょ?」


「書いてねえよ……。こんな所に呼び出すから、俺はてっきり審問会での事を責められるもんだと……」


「そ、そうだったんだ。僕はただカイルと話がしたいってお願いしただけだったんだけど……。なんか、ごめん」


「いや、別にいいけどよ…………」


「まあとりあえず座って」


2人の少年はぎこちなくソファに腰掛け、向かい合った。

ダネルが扉近くの教会員に目配せをすると、教会員は恭しく礼をしてから「近くに控えておりますので、何か御用向きの際はお声がけください」と言い残して、静かに扉を閉めた。

カイルはそれを見て、思わず苦笑する。


「……大変そうだな、なんか」


「大変、なのかな? なんか腫れ物扱いのされ方が変わっただけって感じだけど」


「教皇が引退して、お前が跡を継ぐって聞いたぞ」


「あはは……」


カイルにそう言われて、ダネルは困ったように笑った。


「僕自身、正直よく分かんないんだ。遠回しにそんな話もされたけどさ、名前も知らないような相手に急に言われても現実感ないんだよね。

…………カイルも、僕が精霊教会の教皇になるなんて馬鹿げてると思うだろ?」


カイルは僅かに背後を振り返った後に、口をへの字に曲げて頷く。


「たしかに最初に聞いた時は、馬鹿げてるとは思ったよ。大人は結局、お前を担ぎ上げて自分たちの思い通りに動かしたいだけじゃねえか。魔法に目覚めたっていうお前の話がちょうどよかっただけだ。つまるところ、誰でもいいんだろ」


「まあ、ぶっちゃけたらそういう事なんだろうね。

――――じゃあさカイル、いっそ替わってみる?」


ダネルはいたずらげに笑みを浮かべてそんな提案をした。本心ではないだろうが、全くの冗談でもないように見える。

対するカイルは露骨に顔をしかめた。


「勘弁してくれ……。俺は俺で大変なんだよ。まだお咎めはないけど、多分もうすぐ王宮だか憲兵団だかに呼ばれるはずだ。なんか妙に時間かかってるみてえだが――――」


カイルがそう不思議そうに言うのを見て、ダネルはキョトンとした顔で言った。


「? ドイルさんがカイルの分も、っていう話になったって聞いたけど?」


「――――あ? 父様が、なんだって……?」


カイルは初めて聞く話に思わず身を乗り出す。ダネルはそれを見て、言ってはまずかったのかと口元をおさえた。しかし言ってしまったものは仕方ない。


「そ、そうか、カイルは知らなかったんだ。

ドイル司教はカイルの窃盗の罪も自分が償うって申し出たそうなんだよ。

だから、きっとカイルにお咎めが行くことはない……、と思う」


「と、父様が俺の分の罪もだと? んな馬鹿な……。

だって、俺は父様にあんなひどい事を言ったんだぞ」


カイルは思わず顔を伏せ、帰りの遅い父のことを思った。


父は自分に裏切られたと思っているはずだと。失望し、怒っているはずだと。

勘当されてもおかしくないほどのことをしたと、そう思っていた。

だからカイルにとって、その話はあまりにも意外だった。


ダネルはそんな友人に、少し同情するような目線を向ける。


「お祖父様もね、実はまだ帰ってこないんだ。

どこでどんな取り調べが行われてるのか。お祖父様が今なにを考えているのかは、僕も分からない。…………確かなのは、精霊教会が間違ったことをしてたって事だけだよ。

お祖父様やドイルさんはその代償を支払ってる。教皇と司教という立場だから。そういう事だろ?」


「――――いや、それは分かってる。でも、間違ったことをしたっていうなら俺もそうだ。俺はお前を助けようとするばかりにローレンを殺しかけた。代償だっつうなら、俺も支払うべきじゃねえのか……!?」


カイルは思わず立ち上がって、声を荒げる。2人きりの部屋にその声は虚しく響いた。

ダネルはそんな友人を否定するでもなく、責めるでもなく、しばらくじっと見上げていた。


「…………あれから、世間知らずなりに色々と考えてみたんだ。自分のこととか、カイルのこととか、お祖父様やドイルさん、教会の人たちのこと、あとはこの国の人たちのこと。

それで改めて分かったのは、何をするにも今の僕たちはあんまりにも無力だってことだよ。

僕はカイルやローレンさんのおかげであの部屋から出る事はできた。念願の魔法が使えるようにもなった。……でも、だからこそ余計に感じるんだ。僕らはまだ子供で、大人たちの決定に従うしかない。自分たちじゃまだ何も決められない。

カイルが自分の罪を償うべきかどうか――――、それを決めるのも結局は大人なんだよ」


「…………!」


カイルは思わず言葉を失う。


それはダネルの言葉が、残酷だが真実を突いていると理解したからだった。

自身の無力さ――、それは今回の騒動でカイルが痛いほどに思い知った事実だった。


「あれからローレンさんとダミアンさんには会ったの?」


「……いや、会ってねえ」


「僕も会ってない。僕が今聖堂を出るのは、色々とまずいって言われちゃった。

せっかく魔法が使えるようになったのに、いまだに僕は自分の足でどこにも行けてないんだ」


「…………」


「会いたいね。あの人達なら、僕らがどうするべきなのか、正しい答えを教えてくれそうな気がする」


「…………ああ、そうだな」


カイルはそう小さく同意を示してから、立ち上がって窓際に歩み寄った。

そこからは貴族地区と、荘厳に聳える王宮までもがよく見えた。


カイルはそこで大きく息を吐き、自分の頬をパンと叩いた。


「でも……、それを聞くのはズルなんだろうな」


「ズル?」


「あの2人はお人好しで優しかったけど、悩んでもないうちから正解を教えてくれるような、甘い教え方じゃなかったから。自分たちで考えろって、そう言われるだろうな」


カイルは振り返り、窓を背にしながらダネルを見る。


「……お前の言う通りだと思う。俺らは今、大人たちが何かしら結論を出すのを待つしかないんだ。俺もこの何週間か、部屋でおとなしくしてるしかなかった。それは俺らがまだ子供で、なんの力も無いからなんだ」


ダネルは頷きもせず目を見返している。

しばらく目線を交わしたあと、カイルはニヤッと片頬を持ち上げた。


「今は――――、な」


「!」


ダネルは驚いた表情になり、その後すぐに頬を緩めた。


「そうだね。あのね、カイル。僕はこうも思ったんだ。

お祖父様が間違ってしまったのは、すぐ近くに間違いを正してくれるような誰かがいなかったからだ。ひょっとしたら本当に寂しかったのは、お祖父様だったかもしれないって。

でも僕にはカイルがいるし、カイルには僕がいる。それってすごいラッキーな事だと思う」


「……ああ、お前が間違ったら俺が引っ叩いてやるよ」


「うん。その代わりカイルがまた悪いことしたら僕が引っ叩くからね。あ、とりあえず今一回いっとく? そしたらカイルもすっきりするかも」


「いや、それはなんかムカつくからいい」


2人は声をあげて笑い合った。

その光景自体が、1人でうじうじと悩んでいる事の馬鹿馬鹿しさを表しているようにも見えた。


今や精霊教会の信用はガタ落ちで、人々は盲目的な信仰から目を覚ましつつある。

ダネルが奇跡を体現して見せたとはいえ、結局は精霊教会という組織の傀儡に過ぎないことも、人々は気づいているだろう。


しかし精霊教会聖堂の最上階で今――、少年たちは確かに前向きな未来を思い描いている。それもまた、揺るぎない真実だった。





夜――――、ダミアン邸。

俺とダミアンは食堂で、向かい合いながら夕食をとっている。


「いやあ、今日も今日とて美味しいですね」


「…………」


「あ、改めてこんな美味しい料理を当たり前に食べられるということは、有難いものだなあと思います。ほ、ほらこの鶏肉のソテーなんて絶品ですよ。いやあ美味しいなあ。幸せだなあ。ねえ、ダミアン様?」


「…………」


「あ、ワイングラスが空じゃないですか。おかわり注ぎましょうか?」


「…………」


「ええっと…………」


そう呼びかけても、ダミアンはテーブルの向かい側から不機嫌そうな目線を返してくるだけだ。俺は溜息をついて、横のマドレーヌに助けを求めた。


「どうしたもんでしょう、マドレーヌさん。授業の終わりからずっと口を聞いてくれないんです」


「機嫌が治るまで放っておくのがよろしいと思いますわ。あんまり構うと余計に長引きますもの。

……まったく。そもそも、授業でお二人の魔術試合を見学させようと言い出したのはダミアン様なのでしょう? それで試合に負けたからといって拗ねているのでは、教師失格ですわね」


「い、いや、負けたと言っても中庭で行った模擬的なもので、お互い全力ではなかったんです。たまたま今日は、俺が勝ったように見えたというだけで……」


「まあ、模擬試合と言っても、生徒の前で負け姿を晒したというのはダミアン様のプライドが許さないのでしょう。まがりなりにもこれまでは負け知らずの天才魔術師で通って来ましたから。

しかし、ナラザリオでの手合わせの時点でローレン様には辛勝だったことを思えば、まともにやればどちらに軍配が上がるかは自明ではありませんの? それとも生徒の前でならいい格好をさせてもらえると、内心高を括っていたのでしょうか。

ローレン様の最後の授業なのですから、華を持たせて差し上げたくらいに余裕ある大人の態度を見せていただきたいものですが、いつまで経っても根っこの部分は変わらないというか、お子ちゃまというか。成長するのは胸ばかりで、精神年齢は――――…………」


「――――さすがにもうその辺りでよいだろう!?」


マドレーヌがその毒舌を冴え渡らせはじめたところで、耐えかねるようにダミアンが机を叩き立ち上がった。

既に若干涙目である。


「あ、喋った」


「喋りましたわね」


「べ、別に私は生徒の前で負けたからと言って拗ねている訳じゃ無い! 少し悔しくて落ち込んでいただけだ!!」


「ダミアン様、何もフォローできてませんわよ。拗ねた理由を詳細に説明しているだけです」


「うるさいなあ!! うるさいうるさい!! ああもう、腹が減った!! ローレンもマドレーヌの言うことなど聞かずに早く食べたまえ!! ぅあむっ!!」


ダミアンはもはや取り繕うこともせずに、目の前の肉の塊を一口に頬張る。

とりあえずダンマリモードは終わったようなので俺は安堵した。


「しかしダミアン様、決して広く無い中庭で行った模擬戦なんです。別に勝敗にこだわる必要はないでしょう。現に生徒たちには大好評だったじゃないですか」


「…………君の最後の授業が、最高の幕引きとなったことは素直に嬉しく思っているよ。あのアメリジットさえ、君の光魔法を見て感動をしていたくらいだ。君が去っても、これまで以上に熱心に授業に臨んでくれることだろう。

しかし、ということはだ! 彼らの中では永遠に、私は君に魔術で負けたままになるんだよ! それに模擬試合と言ってもお互い同じハンデを抱えて行われたものだと考えれば、あれは確かに負けだった。我々は教師同士、負けたことを悔しく思うのは普通のことじゃないのか? 君も君だ。変に気を使って傷を抉らないでほしいものだよ!」


「そ、そうですか? ええと――――」


「普通悔しくても、いい大人は拗ねて口を聞かないなんてことはしませんのよ」


「マドレーヌは本当にうるさい!! お前が話に入ると大体私が劣勢になるんだ! 下がっていろ!!」


ダミアンはマドレーヌに肩を怒らせながら叫ぶ。

しかしマドレーヌはまるで堪えていない様子で、小さく舌を出す始末だ。

俺はすっかり見慣れたその光景に思わず笑ってしまう。


「……では、この一勝はいただいておくことにします。

俺とダミアン様の戦績は一勝一敗ということで」


「ああ、それでようやく対等だよ。君は既に優秀な魔術師だ。

王宮からのお墨付きも得て、もはやどこに出しても恥ずかしくない、一人前のな」


「はい。ありがとうございます」


俺が素直に返事したのを受けて、ダミアンは頷きながらグラスにワインを注ぐ。


「……王宮で働き始めるのは、いつからだったか」


「ええと、来週からですね」


「ヨルク殿から貴族地区の西に新居を貰ったのだろう。引っ越しもせねばなるまい」 


「言っても何も持たずに王都に来ていた訳ですから、大した荷物はありません。机やベッドは元々ダミアン様の物でしたし、新しい家具を買い揃えるだけのお金も溜まっていますから」


「そうか、それならよいが。

…………しかし、寂しくなるな」


ダミアンは目線をすっかり日の落ちた窓の外へと向け、ワインをぐいっとあおる。

その横顔からは心底寂しいと思ってくれているのだろうことが窺えた。


「はい、本当にダミアン様にはお世話になりました……。

しかし会えなくなる訳じゃありません。歩いて十数分の距離ですし、何よりダミアン様も王宮にはよく顔を出されるでしょう?」


「それでも、当たり前に会えていたものが会えなくなるのは寂しいものだよ。

私としては親戚という設定なのだからこの屋敷から通えばいいとも思うが、君が自立していくことが嬉しいのも事実だ。だからなんというか……、複雑だな」


「複雑……。そうですね、俺もちょうどそんな感じです」


俺とダミアンはそう頷き合い、そして笑みを交わした。


「とりあえず、君の部屋はしばらくあのままにしておく。寂しくなったらいつでも訪ねてくるといい。……遠慮することはないからな。本当に、寂しくなったらいつでも来るんだぞ」


「ええ、それは勿論。またお食事もご一緒したいですし」


「絶対だからな。少しでも寂しくなったら、すぐに来なさい。分かったな?」


「わ、分かりましたから……」


「分かっているならいいんだ」


ダミアンはしつこく念を押し、俺が頷いたのを見て満足そうにワインを口に運ぶ。

飲むペースが早いのではないかと俺は少し心配になったが、今日ばかりは止めないことにした。最初の不機嫌さもどこへ行ったものやら、いつの間にかすっかり上機嫌だ。

そんなダミアンを、俺は俺で微笑ましく眺める。


そこから先はいつも通りの雰囲気に戻り、ここ数ヶ月の思い出話に話が咲いたり、魔術教室の生徒たちの将来について語り合ったり、ややお酒の入ったダミアンがまたマドレーヌに嗜められる光景などがありながら、


ダミアン邸の夜は賑やかに更けていった――――。





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