第22話 負けました


俺は空高く飛び上がったダミアンを驚きとともに見上げていた。


魔法の弾丸をブラフに使い、彼女の死角に移動するところまではうまくいった。


俺がこの4日間で理論から実現までこぎつけた【氷魔法】――――その弾丸の雨は、両者の姿を覆い隠すほどに白煙を上げていたし、魔法を発動したまま移動するのも、意識は使うが不可能ではなかった。


あとは彼女の死角から魔法の弾丸を一発でも打ち込めば「一本取った」と言って差し支えないはずだと、そう思っていた。


だが俺が魔力を込めた瞬間――、その殺気を感知したのだろうか、彼女がその場から姿を消したのである。

それが上空だと気づいたのは数秒後、俺は慌てて照準を定め直さなければならなかった。


そんなこともできるのかと感心している場合ではない。落ち着け。彼女は空中、さしもの王都最高魔術師も自由には動けまい。

そう思って杖に魔力を込め直す。


「ね、念のため5発くらい。5つもあればどれかは当たってくれるだろ……。あ、あれっ!?」


バキッ


と言う音がしたかと思い右手を見れば、持っていた杖が中ほどで2つに折れてしまっている。

強く握りすぎたのか? いや、そうじゃない。折れている場所が違う。だとすれば、なぜ急に前触れもなく?


俺が狼狽えている間に、杖の先端が地面にポトリと落ちる。

すると浮かんでいた氷の塊も同じように支えを失い、ボトボトと地面に転がってしまった。


俺は杖に魔力を込め直してみるが、分散されてしまう感覚がある。


「な、なんで、急に折れたんだ?」


半ばパニックになりながら、落ちた先端を拾い上げようとしたところで――、目の前に人影が立っていることに気が付いた。


もちろん、ダミアン・ハートレイである。


彼女は俺を険しい表情で見下ろしながら右手をかざす。

掌が白く発光していた。


「………………」


「は、はは……」


俺は諦めの笑みを張り付け、両手を上げてこう言った。



「ま、負けました…………」



俺がそう言うと、ダミアンが俺に手を差し伸べてくる。

手を取って立ち上がると、わっという歓声が起こって驚いた。





「もう! ロニーちゃんったら、どうしてこんな大事なことを内緒にしてたのかしら! まんまと驚かされちゃったわ!」


満面の笑みのエリアが食卓に身を乗り出す勢いで言う。母は俺の返答を待つように対面の俺を見つめていた。


「えーと、す、すみませんでした……」


「なにを謝ってるの! 私は貴方を責めるつもりなんてないのよ、喜んでるの! 

ずっと貴方は出来る子だって信じていたんだもの! ねえあなた?」


エリアが上座に座るドーソンに目を配る。

するとドーソンが口に運びかけていたフォークを置き、俺を見た。


「……そうだな。あれには私も驚かされた」


「お父様には、特にご迷惑をおかけしてしまいました」


俺は父に頭を下げる。

何せ衆目の前で言い合いまでしたのである。もう頬の痛みは引いているが、試合後も父とはまだ言葉を交わしていなかった。


「いいや、謝らなければならないのは私の方だ。お前の話もろくに聞かず、カッとなって手を出してしまったことを許してほしい」


ドーソンの表情は打って変わって、穏やかで懐かしいものになっていた。


「と、とんでもありません」


「お前は本当によくやった。お前がしたのは王都最高魔術師殿が手放しで称賛するほどすごい事なのだ。魔法が使えることに驚いたのも事実だが、まさか未知の魔法を披露するとはな」


「もちろん私もよ、ロニー」


何年も向けられることのなかった両親からの温かな言葉に、俺は何と答えていいものか分からない。ここまで素直に反応を変えられると戸惑ってしまう。


驚いたのは、自分が想像以上に両親の言葉を嬉しいと感じている事だった。他者の無関心など別にどうだっていいと割り切っていたはずなのに、昔のロニーが顔を出して喜んでいるのかもしれない。

そのあたりは自分でもよく分からなかったが、

殴られた頬がまだかすかに痛みを発していることも確かだった。


「それにしてもあの魔法はなんだったの? 水魔法が氷になるだなんて聞いたこともないわ? あれをあなたが考えたというのは本当?」


「うん、本当だよ。魔法が使えるようになる前から、兄様は魔法について研究してたんだ」


エリアの質問に、俺の隣に座るヨハンが応える。


「まあすごい。ねえ、ロニーどうやってそんなことを思いついたの? 研究って一体どうやったのかしら、お母さんに教えてくれる?」


「どうやってと言われるとなかなか説明が難しいのですが……」


食事の席に座っている者だけでなく、使用人含め食堂中の視線が俺に集まるのでまいる。

俺の右斜め方向に座った紅い髪の女性も、ワインを片手にうんうんと頷きながら俺に語りかけてきた。


「私も非常に興味がある。私も知らない魔法という事は、少なくともこの国では使う者がいないという事だ。これは大発見なんだぞ、ロニー」


ナラザリオ邸食堂で執り行われる食事会の主賓たる、ダミアン・ハートレイその人である。元々はヨハンとの手合わせの後はすぐに帰る予定だったのだが、気が変わって一晩泊まっていくことにしたらしい。


その契機が俺とのあの手合わせだったことは明白。彼女は今や、知的好奇心のこもった熱視線を俺に送ってきていた。


「しかも君は私を負かす寸前までいったんだ。自分で言うのもなんだが大快挙だぞ」


「あれがダミアン様の全力でないことなど、この場にいる全員が存じていますよ。終始、俺に怪我をさせないように立ち振る舞ってもおられたでしょう。実戦の場だとしたら瞬殺です」


「さあて、どうかな。結果は近しいものになっていたと私は思うがね」


「そんなおだてに乗せられるほど、俺は子供じゃありません」


「はっはっは、確かに君は子供らしくはないな。だが私が君の実力を認めたのは事実だ。どれだけ私が油断をしていたとしても、最後の事故さえなければ君はさっきの試合で一本を取っていた。

過度な謙遜はむしろ無礼に当たるぞ? かといってあまり触れ回れると、私の評判が危ういんだがな」


ダミアンはそうほほ笑んでワインを飲み干した。

酒気で僅かに赤みがかった彼女は、昼間の凛とした美しさとは別の魅力を宿している。


「そうそう兄様、あの枝はどうして急に折れちゃったの?」


ヨハンがやや小声で俺に尋ねてきた。


「あれがなければ本当に兄様が勝ってたんじゃないかって、僕も思うんだけど」


「んん、試合の勝ち負けはさておき、あの場面であれが折れてしまった理由はまだ分からん。だが少なくとも物理的な原因で折れたのではなさそうなんだ」


「じゃあ魔力を注ぎすぎて壊れちゃったとか」


「消去法的にもその可能性が一番高いだろうな。しかし何か対策を講じなければ、今後には差し支えるからな。原因は詳しく突き留めておく必要がある」


「また検証と実験だね?」


「分かってきたなヨハン。そう言えば言いそびれてたが、水魔法の温度を上げるあれには感心した。あれは自分で思いついたんだろう」


「へへ、ちょっと兄様にも秘密で練習したんだ。氷魔法は先を越されちゃったけど」


ヨハンが照れくさそうに笑う。俺は弟の頭をぐしぐしと撫でた。


「そうだヨハン。君にも約束を守ってもらわないといけないな? 一応私はロニーから一本を取っただろう? ――あ、すまない、ワインのお代わりを頼めるかな? ありがとう」


俺たちのやり取りを見ていたダミアンが思い出したように言う。


「うん、約束は守るよ。兄様のに比べたら別に大したことじゃないと思うけど」


「なんだなんだ、君たち兄弟はそろって随分と謙遜をするものだな。まったく、王都のプライドだけ高いやつらに多少見習ってほしいくらいだ」


ダミアンはそう口をとがらせて、またワインをあおった。

食事が始まってから随分とペースが速いが、優秀な魔術師は酒にも強いものなのだなと俺は妙なところに感心した。


「そうです、ダミアン様。せっかくですから王都の話を息子たちに聞かせてやっていただけませんか」


エリアがパンと手を叩いて言った。


「王都の話ですか? 権威をかさに着たどうしようもない連中の巣窟ですがね……。ああ、そういえば先日――――」


ダミアンを招いた家族そろっての食事会は、なごやかで和気あいあいとした雰囲気のまま、夜を深めていったのだった。





食事の席が終わり、片付けも終わって皆が寝始めた時分、私は主人の部屋をノックした。

少しの間の後、低い返事がある。


「入れ」


「失礼いたします、旦那様」


部屋に入ると主人がこちらに背を向けるように窓際に立っていた。

窓の外は夜、部屋の中には机の上のランプが灯るのみで明るいとは言えない。私は入ってすぐ扉の横に立ち、オレンジ色に背を照らされる主人を静かに見つめた。


「遅くなって申し訳ありませんでした。片付けが長引きまして」


「……ダミアン殿はどうされた」


「用意したお部屋で、もうお休みになられているはずです」


「そうか」


主人は窓の向こうに目をやったまま、短く小さく頷いた。

表情はここからでは見えないが、呼び出された要件については大体理解していた。


「……どうされますか。正直想定外なことだと思いますが」


「想定外か。ああ、そうだな。全く想定外だ。

逆にお前は、ジェイルはどうすればいいと思う」


「私、ですか?」


主人が自分に意見を求めるのは珍しい。

表には出ないが、彼の内心の動揺を表しているのかもしれないと思った。


「私は旦那様のご意見に従うのみでございます。今までの通りに」


「お前はそう言うだろうな」


そこで主人がわずかにこちらへ振り返る。

わずかな光量ではその表情の機微まで読み取ることは出来ないが、そこにはあきらめと呼ぶべき感情が確かによぎったように見えた。


主人は私をしばらく見つめた後に、呟くように言う。



「予定は変えられない。もうナイフは振り下ろされてしまったのだ。後戻りはできない」


「……かしこまりました」



私は一礼をした後、部屋を後にした。

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