第6話 祠
「――な、なんで!?」
すっかり外行きの服に着替え終えたヨハンが、玄関で大声を上げる。
ヨハンは玄関先に立つ人物と、横に立つ俺の顔を交互に伺った。
「ごきげんよう、ヨハン様。たまたま近くに寄る用事がございましたので、ご無礼かとは思いましたが挨拶に伺わせていただきました」
まるで人形の様な顔立ちの金髪の少女が、恭しくスカートのすそを持ち上げて言う。
「迷惑でしたでしょうか」
「め、め、迷惑という訳じゃないけど……!」
口でそう言っていても表情に全て出てしまってるぞ、と愕然と震える弟を横目で見る。
「ロニーお兄様もご機嫌麗しゅう」
少女は俺を見上げ、赤く小さな唇の端を持ち上げた。
「ええ、よくお越しになられました、フィオレット様。ヨハンも喜びに打ち震えているようです」
「あら、それはよかったですわ、うふふ」
「…………!」
ヨハンが俺の方を信じられないと言った風に見上げ、玄関の脇に押しやった。
(ちょっと、何でそんなこと言うのさ! 今何とか穏便に帰ってもらう方法を考えてたのに!)
(何を言っている。隣の領地の侯爵令嬢がわざわざお越しになっているんだ。お茶も出さずにお返しするわけにいくか)
(で、でも、今から丘に散歩に行こうって……!)
(散歩ならいつでもいける。だが、ここでフィオレット嬢の面目を潰しては、今後にかかわるんだぞ)
(知らないよそんなの!)
(馬鹿言うな、お前の許嫁じゃないか)
(ぐぅ……)
金髪のお人形のような美少女、フィオレット・グラスターク嬢は、ナラザリオ領と境界を伴にするグラスターク領侯爵令嬢である。
歳はヨハンの3つ上、15歳だ。
ナラザリオ家のヨハン、グラスターク家のフィオレットと言えば、領民が気の早い結婚話を噂するほどにお似合いの婚約者である。
12歳にして文武両道、神童を地で行くヨハンだが、それに勝るとも劣らない才色兼備な少女がフィオレットだ。
魔法の腕前は華麗かつ優美、侯爵令嬢としての嗜みを一通り身に着け終え、領民からも人気という非の打ちどころのないパーフェクト少女である。
昨年、両家の親同士の話し合いで二人の結婚が約束され、それ以来お互いの領地を定期的に行き来する間柄となっている。
――俺? 俺にはそんな大層なものはいない。だって相手がかわいそうじゃないか。
まあとにかく、領地間の結束を深めるという意味でも、この土地をさらに発展させていくためにも、無下にできるはずもない相手だ。
せっかく来てくれたのに玄関先で追い返すなど論外である。
「いかがされましたでしょう。もしご都合が悪かったのであれば、また日を改めますが――」
「いえいえ、とんでもありません。ぜひ昼食をご一緒されていくとよろしいでしょう。なあヨハン」
「あら、それはうれしゅうございますわ。よろしいのですか、ヨハン様」
「……も、勿論ですとも……」
「ほら、早く応接間へ案内しないか」
「うう、分かったよ……。じゃあ、フィオレット、こっちに……」
「ありがとうございます。お兄様はどこかへお出かけになられるのですか?」
「ええ、少し外に用事がありますし、二人のせっかくの食事を邪魔してもいけませんから」
「えぇっ!? ずるい!!」
異議を申し立てるヨハンを、俺は目線で黙らせる。
「…………」
「ぐっ」
「お邪魔なんでとんでもございませんが、ご用事であればお引止めするわけにもいきませんわ。もし帰るまでに間に合いましたら、また」
「ええ、どうぞごゆっくり」
俺は会釈をすると、ヨハンが口をへの字に曲げて唇を噛んでいるのを可笑しく思いながら、フィオレット嬢の横を抜けて玄関を出る。
「……ロニーお兄様」
そこへ、フィオレット嬢が呟くように俺の名を呼んだ。
「なんだか以前お会いした時と雰囲気が変わられましたでしょうか?」
その指摘に、ぎくり、と俺は思わず固まった。
「そ、そうですか?」
「今まではこのようにお話しすることもなかったように思いましたので……。いえ、失礼なことを申しました」
「そんな、とんでもないですよ」
数度しか顔を合わせたことがないにもかかわらず、二言三言で違和感に気付くとは、さすが噂の才女である。両親など、二週間たっても気付いていないというのに。
俺はこれ以上ここにとどまれば不信感を募らせるばかりだと思い、足早に屋敷を後にした。
〇
グラスターク家の馬車が門前に停めてあるのを横目に、敷地外へ出る。
すると、
「ロニー様」
またも俺を呼び止める声がある。しかし今度は男の声だった。
「?」
「どちらへ?」
振り返った先にいたのは執事のジェイルである。
一瞬何を聞かれているのか分からなかったが、少し経ってから行き先を聞かれていることに気付く。
「丘の、祠へ行こうかと」
「さようですか」
ジェイルはそうとだけ聞くと、会釈をすることも「お気をつけて」の一言もなく、屋敷の方向へと歩いて行った。
「? 今まで俺の出かける先など気にしたことなんてなかったはずだが……」
俺はジェイルの背中を見て首をかしげながらも、せっかくの気分転換に不要な考え事はよそうと思い直して、再び歩き出した。
〇
『精霊の祠』はナラザリオ邸から林道を抜けて、30分ほどなだらかな坂を上ったところにある。
小高い丘には膝丈ほどの草々が風になびき、端に立てば眼下にナラザリオ邸と、反対側に街並みが見下ろせる。
俺の横を、さわやかな春風が吹き抜けていった。
「怪我以前は何とも思わなかったが、前世のビルに囲まれた風景と比べると改めて素晴らしい景色だな。手つかずの自然のなんと青々しい事か……」
我ながら爺臭い感想を抱きながら、丘の中腹にある石の祠を目指した。
祠に足を運ぶのも案外久しぶり、昨年の収穫祭以来かもしれない。
祠と言っても神社にあるような木で組まれた屋根付きのそれではない。
大きな岩をくりぬいて作られた、小さな洞窟の様な造りになっている。
まるで丘の上に巨大な隕石でも落ちてきたかのように縦長の大岩が地面に刺さり、人一人が入れるかどうかという入り口から、狭い通路が中へ通じている。
奥行きもわずかばかり、2メートル程度のものだ。
狭く短い通路を進んだ先にあるのは、台座に置かれた青色の水晶だった。
「半分吹きさらしにもかかわらずこの水晶は汚れ一つない。これもまた謎だ。いや、みんなに言わせればこれこそ精霊様の御業なわけか」
この世界においては『精霊』という存在が人々の生活の基盤部分に深く根差している。魔法を人間に与えたのは精霊、世界に光が差し風が吹くのも精霊のおかげ、ひいては世界があるのも精霊のおかげである、と。
「だが俺は今、『精霊なんていない』という仮定で研究を進めている。精霊様からすれば、さぞ不信心な奴が来たって感じだろうが――」
俺は腰を曲げ、水晶の前に膝立ちになった。水晶は人の頭ほどの大きさがある。
前世で知っているどの鉱石とも違う輝きを放っているそれは、現金に換算すると何千万するのかと皮算用してしまうほどに美しい。
そもそもこれだけ大きくきれいな結晶が掘り起こされただけでも奇跡と言える。人々が神秘性を感じてしまうのもさもありなんである。
祠の中には台座と水晶以外何もない。
看板が立っているわけでもないし、精霊の由緒の説明文もない。簡素と言ってしまえばそれまでかもしれない。
しかしそれでもやはり、この祠の存在は特別なのだ。
「これが今に至るまで盗まれずに残っている事もまた、人々の信仰心の表れか。
……ん?」
ふと、水晶の中で何かが動いたように見えた。
顔を近づけると、それが気泡の様なごく細かい粒である事が分かる。
気泡が結晶の中に残ることはよくあることだ。ここまで青く透明な鉱石を俺は寡聞にして知らないが、やはり地中や洞窟内から採掘されたものなのだろう……。
――――いや待てよ。これ、ちょっとおかしくないか?
気泡が残ってしまう事自体は不思議ではない。しかしそれは空気の泡の形がたまたま中に取り残されただけだ。
しかしこの水晶の中の気泡は、水晶の中を大きくゆっくりと円を描いて動いているように見える。中の空洞に水分が残っているというにも違和感がある。
仮にこれが水を入れるためのガラス容器だとしても、気泡がこんな重力に逆らった動きをするはずがない。
思わず水晶を手に取った。
誰かに見られればさぞ咎められそうな行いだが、それよりも知的好奇心が勝ってしまったのだ。俺が水晶を手に取っても、気泡はやはり一定の指向性を持って回転を続けている。
ここは水の精霊の祠だ。
とすればこの水晶にはもしかして『水』そして『魔力』が籠められているのではないか。故にヨハンの魔法と同様に、球の中を魔力が回転をしていて――。
俺は脳の中にある『魔法物理学基礎』の紙の束を頭の中でめくった。
それは確かに、魔法について取りまとめるうえで疑問に思っていた事でもある。
――何故、水は手のひらの上に浮くのだろう。
そして、どうして回転しながら球状を保っていられるのだろう、という疑問だ。
手も触れていないのに、水は勝手に重力に逆らった動きをする。
そうだ、重力に逆らっているという事は、そこには別の指向性が働いているという事ではないか。例えるならば無重力空間に浮く水滴のように、である。
足元へ向かう重力が働かなければ、水滴に限らず物体は宙にとどまり、指でつつけば回転する。それに似た現象が、ヨハンの掌の上、もしくは水晶の中で起きているのではないか。
ヨハンが魔法を発動した時、水が現れるよりも先にまず魔法の光が起こった。
水が出現する仕組みは不明だが、あの手のひらの上が無重力空間になっていたと考えれば、水が浮き、回転して球の形をしていた事には説明がつく。
そしてそれを確認するのは難しくない。
水が出現する前に、別の物体を空間に混入させればいい。葉っぱでも砂粒でもなんでもいいだろう。とにかくそのまま落ちればこの仮説は誤り、浮けば無重力と言う部分は証明される。加えて重要なのは、それが水魔法のみの現象なのかどうかという点だ。もしこの仮説が正しければ、他の属性の魔法を解く足がかりになるかもしれない。つまり魔法とは、手のひらの上に無重力空間を生み出し、指向性を持たせる性質があると――、
「さっきから、なにブツブツ言ってんの……? いい加減ちょっと怖いんだけどマジ……」
「――は?」
「え?」
声が聞こえた気がした。
瞬間、俺はすっかりトリップしてしまっていた思考から現実へ舞い戻り、自分が今祠の中にいることを思い出す。
手に持っている水晶に気付き、慌ててそれを元に戻したところで……、やはり今誰かの声がしなかったかと思い直した。
振り返る。
しかしそこに人影はない。
「……びっくりした、一瞬ボクの声が聞こえたのかと思ったぜ」
「え?」
「え?」
やはり声がする。
俺は声がした方向に顔を向けた。
やはりそこに人影はない。
だが代わりに、小さな蛇のような意味の分からない生物が、そこには浮いていた。
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