第18話 ニセ彼氏

午後はなんだか仕事に集中できなかった。

とうとう元カレが私を探しにやってきた、という恐怖が頭から離れない。


今日も早番で4時あがり、本当は誰かと一緒に帰りたかったのだけど、いつもの女子会メンバーの小畑オバタ一美カズミは公休日、三笠ミカサ真紀子マキコ佐和子サワコもそれぞれ今日は忙しいはずだから、遅いだろう。

同じ早番の社員はあまり仲良くはない上に帰る方角が違うので、一人で帰るしかない。



「お先に失礼します、お疲れ様でした」



いつものように声をかけ、事務所を出てエレベーターに乗り込む。

途中の階から客が乗り込んでくるので緊張する。

元カレが乗り込んできたらどうしよう!

逃げ場がない。

それにしても、なんで今時客と従業員が同じエレベーター使わなきゃなんないんだろう、これだから古いビルは…なんて考えているうちに、一階に着いた。



——良かった、乗ってこなくて——



元カレが同じエレベーターに乗り込んでくるという最悪な事態を想定してしまったけど、なにごともなくホッとする。


このままエントランスへ向かう。

自然とインフォメーションが目に入る。

三笠ミカサ真紀子マキコが張り切って仕事していた。



「お疲れ様です」



応対していた客が立ち去ったタイミングで声をかける。



「おつかれ〜!今日早番なんだね?」



「はい、明日は公休日です」



「そうなんだ〜、またね〜!あとでLINEするね〜」



明日休みといってもすることがない。

とりあえず、幼なじみの陽子ヨウコちゃんに連絡してみようかと考えてはいるのだけど、子育てしながら働いているんだろうなと思うと、なかなかこちらからは連絡できずにいた。



いつものように客に紛れてビルを出た。

人が戻ってきてるとはいえコロナ前に比べたら客は少なく、ショップの袋を持たずにいる自分が他人から見れば店員かビル勤務者だと一目瞭然なんじゃなかろうか?と、気になってしまう。

そんなこと気にするほどのことじゃないのに、どうも私は他人の目を気にしすぎるとこがあるようだ。



最寄り駅へ向かって歩く。

まだ2月で寒く、吐く息が白い。



「よう」



ボンヤリ歩いていたら、突然声をかけられた。声の主は、グレーのダウンジャケットによれっとしたジーパンを履いた男…。



「ヒッ!」



男の顔を見た私は思わず小さな悲鳴をあげてしまう。

ヤバい!元カレだ!!

15年振りの再会、あの頃に比べ見た目の変化は感じられるものの面影はあり、すぐわかった。

逃げなきゃ!と思ったけど、足がすくんで動けない。



「相変わらずかわいいね、ミドリちゃん」



こんなセリフを言われてもちっとも嬉しくない、はっきり言ってキモい!



「あ、わっ、私、急ぐから!」



シカトしてとっとと逃げれば良かったかな…。



「やっぱりミドリが一番だよ、俺らって相性バッチリだったよな?」



や、相性バッチリって…なにを今さら?

…って、なに私の腕掴んでるのよ!!



「離して!」



なにこの人、すごいチカラ!振りほどけない!



「そうツレなくすんなって。あんときの俺、どうかしていたんだ」



どうかしていたもなにも…。

私という彼女がいながら出会い系サイトで女子中学生を漁っていたのは、どうかしていたって許せることではない。



「奥さんいるんでしょう?」



私はフェイスブックで見た情報を思い出していた。

投稿自体が少なくそれらしき写真は見当たらななかったものの、交際ステータスに既婚とあった。



「嬉しいね、俺のこと気にかけてくれたんだ」



いや、違う、勘違いもいいとこだ。



「気にかけるもなにも…ずっと音沙汰なかったのに15年ぶりに連絡きたら、誰だって何事かと思うでしょ?」



こう言うも、



「だからさ、やっぱりキミが理想だって気づいたのさ、中学生といっても通用しそうなその見た目、年齢的にも合法だし」



うわっ、なにキモいこと言ってんだ!

それにアラフォーにもなって中学生でも通用する見た目だなんて言われて、地味に傷つくんですけど…。



「奥さんどんな人だか知りませんけど、好きで結婚したのでしょう?」



こいつのことだから、うんと年下と結婚したんだろうな。



「ああ、あれね。いいんだアイツは、最近めっきり劣化しちまったし、キミのために別れるよ」



いや、私のために別れなくてもいいから!



「私にその気ないんで、結構です!それに、年をとるのは当たり前でしょう?そういうあなただって、すっかりおじさんじゃない」



目の前にいる元カレは15年前に比べすっかり老けこんでいた。

頭頂部がわずかに薄くなり、お腹の出っ張りが目立つ。

元々イケメンではなかったけれど、すっかりキモいおっさんになっていた。

自分のこと棚に上げ奥さんのこと劣化しただなんて、どの口が言うんだろう?



「いいんだ男は。君はあのときとちっとも変わらないね」



何言ってるんだ、コイツ…。



「私だってあれから老けてますから!じゃ、急ぐんで」



そう言って無理矢理腕を振り解こうとしたけど、相変わらずガッチリつかんで離さない。



「離して!」



このときの私は必死で、人前で恥ずかしいとか考えずに大声をあげた。



「いや、もう離さないよ」



離さないよって…。

15年以上も音沙汰なかったのに、なんで今ごろ!?

わけがわからない。

ガッチリとつかまれた左腕が痛くてたまらなかったけど、なんとか振り解こうとがんばる。

なんてバカヂカラなの!?

と、そのとき、



「すみません、オレの彼女になんか用っすか?」



聞いたことのある声と思ったら、太田原オオタワラ

お昼休憩時に彼氏ってことにしていいよ、と言われたときは遠慮したいと思ったけれど、今このタイミングで現れてくれて救世主だ。

元カレは「えっ、マジか」と小さくつぶやき、即座に手を振り解く。



ミドリ、行こう」



太田原オオタワラはそう言って私の左肩を抱き寄せた。

思ってもいない相手にこんなことされるのはイヤなんだけど、今はそんなこと気にしてられない。



「じゃ、そういうことなんで…」



とりあえず、乗ってみることに。

元カレの表情が醜く歪んでいき、



「んだよ、このビッチが!チビブスのクセに、もうオトコいんのかよ!」



ひどい捨てゼリフを吐かれた。

チビブスは自覚あるからいいとして、ビッチだなんて今まで言われたことない、なんかムカつく。

と、そのとき太田原オオタワラは私から離れ、次の瞬間元カレの襟首を掴んでいた。



「オレの彼女をバカにしやがって、謝ってもらおうか!」



元カレはあまり身長が高くはないが、やや肥満体(って、自分とつきあってた時は太っていなかったけど)、ヒョロ長い太田原オオタワラが重たそうな元カレの襟首掴んだのには驚いた。



「ひぃぃ、ごめんなさぁぁい」



元カレは情けない声で謝る。

こんなのとつきあっていたなんて…。

そして、よりによって太田原オオタワラに知られてしまうなんて…なんだけど、今は感謝の気持ちしかない。

本来ならここで太田原オオタワラに「もうやめて」と言うべきなんだろうけど、交際期間中にされたことや今になって一方的にやって来られて怖い思いをしたのもあり、傍観を決め込んだ。



「もう二度と近寄らないと今すぐここで誓ってもらおうか」



「ち、ちかいます!」



「今回は許してやる。今後もしまた接近してくるようなことがあれば、ただじゃ置かないからな!」



そう言って襟首を振り解いた。

これが本当に彼氏だったら、頼もしく感じるのだろうな…。

元カレがそそくさと立ち去るのを見送ってから、私は頭を下げ礼を告げた。



「あの、ありがとうございます」



「礼はいいって。じゃ、行こうか」



太田原オオタワラはそう言って私の右手を取った。



「へっ?あの、もう彼氏のフリしてくれなくても…」



ここで太田原オオタワラは私の手を強引に引っ張り、自分のほうへと寄せた。

そして、小声でこう囁いた。



『もしかしたらまだアイツが見てるかもしれないでしょ?このまま茶房ロータスへ行こう。家まで送るから』



元カレがどこかでまだ見てるかもしれない…。この恐怖から逃れるため、太田原オオタワラの提案を受け入れることにした。










































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