運び屋オークのパンデミック後のオタク生活
田中ざくれろ
第1話 運び屋オークの日常
〈オタク〉というのは因果なもので「趣味か? 恋愛か?」を選ぶ決断には、必ず趣味を選んでしまう生き物だ。
そんな〈オタク〉が幸せになれるのは自分の趣味に全く無関心な者を連れ合いに選ぶか、自分と同じ〈オタク〉と結婚するしかない。
〈オタク〉と〈オタク〉が結婚すれば、生まれる子供も往往にして〈オタク〉として育って、そんなわけでパンデミックがいまだ尾を引く二〇××年の新世紀の日本も血の濃い〈オタク〉がはびこっているのだった。
「よう、オーク。随分と高級なマスクをしているじゃねえか」
「ブヒ」
この辺りの治安を守っているヤクザのチンピラが車窓に手をかけて話しかけてくる。俺と同じ様にマスクを着けているが、こいつのは使い捨てじゃない、洗って再度利用可能だ。こんな奴が再使用可能マスクをつけてるのに、俺は前回の報酬のオマケとして付いてきたのをつけている。情けない。
世界は〈風の谷のナウシカ〉の様になっている。ただ腐海じゃなくて不快だ。マスクは感染防止にはあまり役立たないという意見はあるが、マスクの質やデザインは今では装着者の個性を主張するファッションになっている。
ともあれ、相手が再使用可能マスクを着けている以上、積み込んである量産の紙マスク一〇〇枚分じゃ、買収は難しいなと考え、俺はは窓から砂埃が入ってくるのを気にしながら、汚れた窓ガラスを全開にした。
二〇〇〇年代の日本の街並みを代表するゴーストタウンが広がっている。
軽油を補給するノズルを持ったモヒカン髪の少女が俺の豚みたいな顔を見て、そっぽを向く。
ああ、どうせ俺はデブオタだよ。
ブサオタだよ。
キモオタだよ。
腹も出てるし、防疫服の下は脂肪でパンパンに膨らんでるさ。
だけど筋トレは欠かした事がないから、贅肉の下の筋肉には自信がある。
ともかく愛想くらい売れよ。俺はこのガススタンドの常連なんだぜ。
カラフルな防疫服を着込んだモヒカン少女は俺を見ないまま、給油作業を行う。
ふん。非オタにこの俺の〈ファイアボール・チャーミング〉痛車のセンスのよさが解るか。
チンピラが給油はすんだと告げてくるので、俺は社会保証が著しく落ちた現金より、クラッカーによって暴落した電子通貨より価値がある、積み荷の一つの最新刊の漫画本三冊で支払う事にする。マイナンバーカードは使わない。
「おお! いいのかよ! 新品の〈ファイブスター物語〉の最新刊もかよ! しかも紙かよ! 面白すぎだぜ! ……まさか海賊版じゃねえだろうな」
「海賊版なんか扱ってたら、著作権警察に見つかりゃその場で銃殺だ。解ってんだろ〈クールジャパン法〉は」
〈クールジャパン法〉、知的財産著作物保護法は厳罰法だ。日本の漫画アニメ著作権文化はパンデミック前に海賊サイトの横行によって一度死にかけた。今では日本最高の財産の一つである〈オタク文化〉は国によって厳重に守られている。アニ漫ゲー特撮は日本最大の輸出資源だ。世界は〈オタク〉が動かしている。
クリエイターは貴重だ。パンデミック後にその数は総人口減少と相関して、その人数はメチャクチャ少なくなった。
いまだにパンデミックは、増えすぎた人口を減少させる国家とか秘密組織の生物兵器による陰謀だと信じている奴らがいるが、なら実行したその組織は物凄く大馬鹿だな。
人口は減ったが、それと比例してエリート層も知識人層も労働層も等しく皆、激減してしまった。
おかげ人類は文明維持にも復興にも必要な最低人口数を割ってしまった。もう人類が復興する力はない。一度は生態系ピラミッドの単独頂点に立った生物は、今は緩慢な滅亡に向かっている。
「いつもの通り、軽油満タンだぜ」
俺の勘が閃く。ネガティブ。こいつは嘘をついてはない。
「いつもの様に俺の所在を訪ねてくるヤツがいても絶対に知らすなよ」
チンピラに釘を刺し、俺は中指を立てるモヒカン娘に中指を立て返して、トラックを走らせた。
昔は原油は「あと××年で尽き果てる」とか言われ続けていたが、探知と採取の技術発達によって採掘出来る原油層が次次と見つかり、結局、今も動燃車両は現役だ。
まあ、原油が尽きるより先に人類が滅びそうなんだが。機材を修理出来る技師は年年減っていくし。
ゴーストタウン内を走る。
高速に乗る。舗装はあちこちが破損して危ないが、それでも無人で走らせるなら高速に限る。無料だ
いつも車はトラックだけだ。数も少なく、特に今日は俺達以外に車は走っていない。
ICライセンスカードでもあるマイナンバーカードを、コンソールのハンドル脇のスリットにスラッシュさせてドライバーである俺を認識させる。それで自動操縦に切り替えられる。
無事にトラックは俺のカードに騙されてくれた。
俺は横浜市内へのオートモードに切り替えて、アポロキャップをかぶった毛の薄い頭を剥き出しにして、ハンドルから手を放し、アクセルもブレーキもフリーのままでシートに深く腰掛けた。
「何だ。オートクルーズに切り替えたの。ねえ、折角だから上でスる?」
運転席の天井からリンが小さなハッチを開けて顔を出し、声をかけきた。
五武倫。ぎょろッとした眼で美人じゃないし〈オタク〉じゃないが、俺とこの女は濃厚に仲がいい。結婚してるわけじゃない。ヤリ友だ。リンは全くスキモノだった。今のところ、一番身体の相性がいいのは俺という事になっている。一応、この運び屋家業の相棒というポジションにいる。
福島から出発したトラックは、ナビに従い横浜に向かっている。リンは二子玉川に待たせていたのを拾ってきていた。
さっきのスタンドは横浜の隣の封印都市・川崎の周辺域だ。マスクなしでは外に出られない。〈SARS2〉は今も完全に終息していない。防疫体制の整った川崎内部ならともかく、周辺域ではマスクと防疫服は欠かせない。
現在の日本は〈集会の自由〉はなくなった。何処でも二十人以上が集合するには自治体の事前許可がいる。
人間は今も〈クラスタ〉をとても恐れている。
ワクチンが実用になるまで、〈SARS2〉は人類絶滅の直接脅威だった。
毒性が弱い代わりに潜伏期の長いこのウイルスはステルス性と感染力に長け、あっという間にパンデミック。世界の日常を破綻させた。
しかし、最後に人類をここまで減少させたのはウイルス自体ではなく、それに便乗したテロと物資不足だった。
どれもネットのデマや風評被害から始まった。
銃器が一般市民に解禁されている国では物資不足のデマがパニックを引き起こし、速やかに内戦状態の混乱に陥った。
〈国家治安組織〉対〈市民〉対それに便乗した〈テロ組織〉。
日本では戦闘力を失くして役に立たなくなった〈国家治安組織〉よりも、国民を守る為に動いて役に立ったというのが任侠系の〈ヤクザ〉の統率だったというのは皮肉だ。
俺は窓の外を見やる。
灰色の機体が遠くに低く飛んでいた。
二機。ドローンか。
いや小さく見えるのは遠くだからだ。ヘリコプターだ。
一機はよく見る汎用ヘリ。
一機は、戦闘ヘリだ。自衛隊か。この土地には珍しい。
見ていると一定面積内を折り返し続けながら飛行している。捜索か。
どちらにせよ。奴らに俺の身元がばれるとヤバい。
「ねえねえ。積み荷は今日もヒマワリ?」
「ああ、そうだ。今日もヒマワリが3t来てる」
俺はニキビ症の肌に汗をかきながら、リンに答える。
ヒマワリは福島の土壌の放射能を今日も吸収してくれている。震災後に広まった様様な放射能情報の中でヒマワリは数少ないアタリだった。
しかし、ヒマワリは放射能を吸収してくれるが浄化はしない。除染に使われたヒマワリはやはり何処かへ捨てるしかない。
横浜はその除染ヒマワリを買い取ってくれる数少ないNGOがいた。
集められたヒマワリは海路で種子島まで運ばれて、ロケットで宇宙へ捨てられる計画だというが、その実行の真偽を確かめる術は俺にはない。
ただNGOの連中は素直にそれを全員が信じていた。ネガティブだ。
まあ、福島の放射能なんて皆が信じているデマほど実害はなくて、現在も他国の主要都市に比しても全く問題がないくらいだ。福島程度の放射能を恐れるなら、世界人類は日日浴びている自然由来の放射線の恐怖を怯えなければならないだろう。
風評被害を広めようとする歪んだジャーナリズムの方がよっぽど脅威だ。ポジティブだ。
まあ、人類の滅び際にこんな事を考えていても仕方がないが、除染ヒマワリの運搬は俺の定期収入だ。後は不定期に運ぶ様様な荷物の運搬。主に通販の物。
「ねえねえ」
シよう、とリンは俺の肩を指で突いている。
彼女の気持ちはネガティブ。全く本能に忠実な奴だ。
ならスるか。
オートモードの運転席の天井上にある仮眠用簡易寝室ののベッドに、俺はリンと一緒に引きこもろうとした。
だが、この瞬間。
俺達のトラックの眼の前に、一人の女が飛び出したのを俺の眼が捉えていた。
馬鹿な。高速道路に人間だと。
急ブレーキが自動でかかる。
ハンドルが切られる。かわせるか。間一髪かわした。
大きなトランクケースを持った女を避けたトラックは、下へ降りる出口に向かおうとする車両を導く中央分離帯へと突っ込んだ。かわしきれない。運転席の中と外でエアバッグが広がる。
内部のエアバッグはフロントガラスに突っ込もうとしていた俺とリンの身体を受け止めた。
ボンネットとバンパーから膨らんだ対人用エアバッグは、中央分離帯の端にある分岐路の壁にツッコんだトラックの衝撃を出来る限り受け止めた。
それでも車体前面はひしゃげる。フロントガラスは砕ける。
オートクルーズのまま、トラックは事故を起こした。
トラックを止めようとしていたらしい女は、その位置のまま、道路に座り込んでいた。
トランクにしがみついた女は〈ガイア教〉の尼僧服だった。「地球の生態系など自然システムはまるで一つの生命体として振る舞っているかの様だ」という〈ガイア仮説〉を「地球は生きている生命体であり神だ」と捻じ曲げて信じる狂信者達だ。
萎んでいくエアバッグに包まれたまま、俺は警察に自動通報しようとするオートクルーズシステムを強制終了させる。警察を呼ばれると身元を徹底的に洗われる。やばい。
ともかく俺はリンの無事を確認した後、トラックの運転席を出て「やい、てめえ! トラックの前に飛び出しやがって! 死にてえのか!」とテンプレな叫び声をあげる。
ごめんなさい! ごめんなさい!と丸眼鏡の尼僧は泣きそうな顔で俺に向かって叫んだ。
近づくと黒紫の尼僧服はふくよかな身体のラインを浮かび上がらせるワンピースだと気づく。ラバー素材の様な服は幼げな顔とミスマッチで、スカートは路面に座った脚にまとわりついている。
ロザリオとしてぶら下げた青い円盤は大きな胸に乗っている。
うん。いい女だ。ブヒ。
彼女が持つでかいトランクはしゃがみこんだ彼女の頭の位置と同じ大きさ。
「ヒッチハイクするつもりだったのか」
俺は太い腕を胸の前でこまねく。このトラックの修理費用を出せる人間とは思えない。彼女の持っているトランクの中身次第かもしれないが、と俺の心の悪い部分が囁く。
俺の質問に彼女は縦に首を振った。ネガティブ。怒る俺を怖がっている。
トランクにはやたらでかい物理的に頑丈そうな錠前が左右に一つずつついていた。興味を持つな、という方が無理だ。
「何よ、アンタ」とリン。「こんな所でヒッチハイクだなんて馬鹿じゃない」
リンが怒る声を背に聞きながら、俺はトラックを調べた。
ひしゃげ、フロントガラスは全損。走れそうにない。
作動したエアバッグを新品に替えるだけでも金がかかるというのに。
やれやれ。闇営業のJAFもどきを呼ぶか。金さえ払えば、俺の身元にはノータッチで修理をすませてくれる奴を。金がかかるが、仕方がない。この場で修理してくれるのはそんな奴しかいない。
この尼僧が現金やクレジットカードを持っているとは思いにくい。保険に入っているとはもっと思いにくい。彼女にどうやって修理費を払わせる? 身体か。そのトランクの中身か。
俺がJAFもどきの修理車両を呼ぼうと、防疫服のポケットからいつもは電源オフのスマホを出した時、頭上から凄まじい騒音が降ってきた。日が翳る。
見上げれば、さっき見た自衛隊の汎用ヘリがこの事故現場の俺達の頭上でホバリングしていた。
チッ! やべえ。俺が一番関わりたくない奴じゃないか。
気がつくと戦闘ヘリが高速道路から離れた近くの空中で、俺達と同じ高さの水平位置でホバリングしていた。
縦に平たい機体の機首にあるガトリング砲が俺達に向けられている。
俺は試しに右に歩いてみた。
その動作に合わせて、ガトリング砲の銃身がスムーズに首を向ける。
標的は俺だ。照準固定されている。逃げられない。
汎用ヘリは高速道路に降り立ち、うるさいローターを止めた。中から灰色の戦闘ジャケットを着た自衛隊員達を七名吐き出した。全員高機能そうな軍用マスクで顔の半分を覆っていた。
「事故った様だね。警察には通報したのかい」なんか芝居がかった声が鼻につく隊長格を先頭に近づいてくる。「〈運び屋〉かね。その〈ガイア教徒〉は私達の関係者だ。民間人に速やかな協力をお願いしたいから、速やかに引き渡してほしい」
ネガティブ。速やか、って二回言ったぞ。こいつ、インテリぶった声を出すが、そんなに頭はよくなさそうだ。
「協力を願うんだったら、戦闘ヘリの照準を俺から外してもらおうか」
「おお。それは失礼した」
隊長はヘッドセットのマイクに「照準をフリーにしろ」と呟いた。
「彼女とトランクを渡してもらおう」
「渡すも何も俺は巻き込まれ事故をしただけでね。関係者じゃない。あんたが彼女の関係者なら修理費用を払ってもらいたいくらいでね」
「ふむ。協力的なら修理費用くらいもってやってもいいがね……何だ?」
ゴーグルのついたヘルメットをかぶっていた自衛隊員の一人が、隊長に近づいて、耳打ちする様に何事かを吹き込んだ。ほお、と隊長の口が言葉を吐く。
やばい。こいつはゴーグルのカメラで俺の顔をデータベースと照合したな。
「……マイナンバーカードは持っているかね」
隊長は俺に命令口調でカードの提出義務を勧告した。
日本政府発行のマイナンバーカードは身分証明から戸籍、日本での買い物支払い、車両運転ライセンス、犯罪歴、納税記録等が全てが一体化されている。
俺は周囲でアサルトライフルが俺に狙いをつけているのを見つつ、防疫服からカードを出した。
隊長はそれを受け取り、腰のベルトにポシェットの様についているPCデバイスにそれをスラッシュした。
警告音。自衛隊の最新機材には俺のカードの真贋はあっという間にバレてしまった。
「偽造マイナンバーカード所持使用。立派な重犯罪者だな。それにお前は大久義雄情報一士だな」
やっぱり俺の正確なデータは照合されていた。
「五年前の〈尖閣諸島防衛作戦〉で行方をくらませた」
「俺は全滅寸前の負け戦から独自撤退しただけだ」俺は両手を挙げて降伏意思を示しながら道に唾を吐いた。「無能な上官を殴り倒してな」
「自衛隊から脱走してな。だとすると、逮捕せざるを得ないな。そのトランクも回収しろ」
「オ~ク~……」
俺と同じ様に手を挙げているリンが心細そうな声を出す。
すまん、リン。今の俺はお前に何もしてやれない。
〈ガイア教〉の尼僧は銃と腕力で無理やりトランクから引き剥がされた。
一瞬、証拠隠滅だと言って自衛隊員がリンを銃で撃ち殺す展開を覚悟したが、幸いそうはならず、俺とリンと尼僧と、そしてトランクは銃を向けられたまま、ヘリに乗せられた。
バイバイ。俺の痛トラック。多分、俺はもうお前を修理出来ない。あばよ。俺の大事な積み荷。
「じたばたしなけければ、速やかにここに帰ってこれるさ」
原出と呼ばれた隊長は路上の事故現場を見送る俺にそう言った。芝居がかっている。ポジティブ。
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