第25話 葛城薫という男(前)
……暑い。
もうそれ以外に言葉が思い浮かばない。
ギラギラ照りつける真夏の太陽の下、俺は農作業に従事している。具体的に言うと、ひたすら手作業でネギを植えているのだ。普段運動をしないせいか、もう既に腰が悲鳴を上げている。だが文句を言ったら姉貴かお袋にぶっ飛ばされちまうからな。
ダラダラ流れる汗は止まる気配がない。おかげで下着がべったり肌に張り付いてしまい、不快なことこの上ないのである。
いきなり何でそんなことになっているのかというと、話は数時間前に遡る。……ってこのフレーズ、なんか前に一回使った気がするな。まあいいや。んなこと考えてる余裕ねーし今。……やばい、語彙が少なくなってる。作家失格だなこりゃ。
お盆休みに入ったので、俺は姉貴と義兄の彰彦さんと共に実家に帰省した。東京から新幹線で約1時間、そしてその後地元のローカル線に乗り換え、約1時間かけて最寄りの駅に着き、それから歩くこと30分でようやく実家に帰り着いた。……東京からたいして離れてないとはいえ、気温35度を超える酷暑の中の旅だったので、流石に疲れ果ててしまった。
「おかえりなさい、透ちゃん、慎ちゃん。彰彦さんもお久しぶりね。暑い中お疲れ様。さ、入って。麦茶用意するから」
汗だくの俺たちを迎え入れてくれたのは、俺と姉貴の母親、
「ああ、サンキュ……マジもう限界だわ俺」
「おーい、何ヘタレたこと言ってんだよ慎哉。男ならこれぐらいで弱音吐いてんじゃねーよ」
「性別とか関係ねーだろ……」
「男の方が一般的に体力あるだろっつー話だよ。あ、でもお前はそうでもないか。ヒョロっちいもんな」
帰るなり姉貴にいろいろ言われたが、俺は疲労
「透、その辺にしといてあげなよ。僕だって元は痩せぎすだったんだから」
「お義兄さん……」
俺のフォローに入ってくれた彰彦さんは、背が高く、結構爽やかなルックスをしている。今はそれなりに筋骨たくましい体つきだが、姉貴と出会った頃はガリガリだったのだという。そもそも二人が出会ったきっかけというのが、上京したてで右も左も分からなかった彰彦さんがチンピラに絡まれていたところを、姉貴に助けられたことらしい。で、彰彦さんが姉貴に一目惚れして、なんと初対面で交際を申し込んだそうだ。姉貴はその時「筋肉ない男は問題外だ」とか言って即行で断ったという。……いや、ひでえな姉貴。
しかし、姉貴を諦めきれなかった彰彦さんは、驚くべきことに筋トレを始めて、それなりの体格になったそうだ。それから改めて姉貴に交際を申し込んだところ、OKをもらえたという。普通惚れた相手のためにそこまでするか? と思ったが、まあその辺りの考え方は人それぞれだから、俺は別にとやかく言うつもりはない。
それにしても、まさか姉貴みたいな人と一緒になりたいとか言う人がいるなんて思わなかったな……。蓼食う虫も好き好きってことか。あ、でも別に俺は姉貴を
「あー、生き返る……」
暑さで火照った身体に、冷え切った麦茶が浸み渡っていく。やべぇ、超気持ちいい。もうこのまま今日はずっと扇風機の前に陣取ってたい。
……そんな俺の願いは、お袋の一言によって粉砕された。
「あ、そうだ。透ちゃんも慎ちゃんも、ちょっとお父さん手伝ってくれる? 今植え替え作業中だから」
俺の実家では、ネギとこんにゃくを栽培している。この時期はちょうど、ネギの植え替えをする時期にあたるのだ。植え替えをすることで、より柔らかくて美味いネギになるのである。
……しかしその作業は、機械を使わず、一本一本全部手作業で行わなくてはならないのだ。
「はあ!? 今やっとの事で帰ってきた人間にそういうことやらせんの!? お袋もなかなか鬼畜だよなあ! な、姉貴もそう思うだろ?」
「いや、別にここにいてもやることないし、あたしはやるよ」
「なっ、こ、この裏切り者……っ」
「人聞き悪りぃこと言ってんじゃねーよ」
俺と姉貴がギャーギャー言ってるのを見かねたのか、彰彦さんが、
「じゃあ僕がやるよ。慎哉くんは休んでて」
と提案した。
「あ、いやそんな、俺が休んでるわけには……」
「だろ? 慎哉。いいからさっさと立てやオラァ」
「はぁ……」
俺が重い腰を上げると、
「でも、僕も手伝うよ。人手は多いに越したことないだろうしさ。それに帰省のたびにやってるから」
と、また彰彦さんが言い出した。
「彰彦、つくづく思うが、お前やっぱいい奴だな」
「ホント? えへへ、嬉しいなぁ」
姉貴、そんなこと言って、彰彦さんのこと、普段からいいように使ってんじゃねーのか? と思うのだが、本人は幸せそうだからあえて何も言わないでおこう。
……で、冒頭の場面に戻るのである。
彰彦さんは慣れた手つきで、次々ネギを植えていった。なんだかんだ帰省するたびに手伝ってもらっているので、非常に申し訳ないのだが、彰彦さんは嬉々としてやっているようだ。この作業のどこがそんなに楽しいんだか。
「彰彦さん、精が出るな。毎年助かるよ。うちのせがれとは大違いだ」
「親父ー! 聞こえてるぞー」
俺と姉貴の親父、
長時間にわたってひたすらネギを植えているうちに、なんかちょっと気分が悪くなってきたので、俺はひとまず撤退することにした。この炎天下だしな、熱中症になりかけてるのかもしれない。あと、ネギの匂いを嗅ぎすぎたのかもしれないな。
「親父ー、姉貴ー、お義兄さーん。悪いけど、俺ちょっと休むわ。なんか気持ち悪くなってきたから……」
広大なネギ畑の中心で、俺は声を張り上げた。とはいえ全然本調子じゃないから、あまり大きな声は出せなかったのだが。
「……勝手にしろ」
親父は相変わらずの塩対応だ。
「うん、分かったー。大丈夫ー? 無理しないでねー」
彰彦さんは普通に優しい。この人が義理の兄でホントに良かったと思う。
「なんだぁ、もうバテたのかぁ? 農家の息子が聞いて呆れるなー」
「透、こればっかりはしょうがないでしょ? 体調悪くなったら元も子もないんだからさ」
「まあそーなんだけどさー。慎哉ー、良くなったらすぐ戻って来いよー」
姉貴はなんか文句を言っていたが、とりあえず了解は取れたようなので、俺はそそくさと引き上げた。だが、別に仮病を使ったわけではないと改めて主張しておく。
その辺の木陰で休みつつ、なんとなく周りを見渡していた俺は、信じられない光景を見て、硬直してしまった。
見知った顔が、こちらに向かって駆けてくるのが見えたのである。
「更級さーん、お疲れ様でーす」
「かっ……葛城さん!?」
自分の目で見た物が信じられなかったので、俺は目をこすった。が、どうやら見間違いではないらしい。ただ、葛城さんはいつもの燕尾服ではなくて、作業着のような服を着ており、薄汚れた長靴を履いていた。なんか絶妙にダサい格好なのだが、イケメンなのでそれなりに絵になっているのが憎らしい。
「な、なんでこんなところにいらっしゃるんですか!?」
「いやあ、我々死神も本当はお盆休み期間中なんですがね。でも俺はちょっと早めに切り上げてきたんです。そうしたら、橘様にあなたを手伝えと申し付けられまして」
「え、橘が……? なんで?」
橘は今回一緒に来ていない。なんか仕事が忙しいとか言って、ここしばらく俺の前に姿を見せていないのだ。というか、死神にもお盆休みってあるんだ……。橘のことだから、どうせ年中無休で部下たちをこき使ってんじゃないのかと思ってたが、どうやらそうでもないらしい。
「あの、どうしてここが分かったんですか?」
「橘様に教えていただいたのです。ここが更級さんのご実家なんですね。随分と広い土地をお持ちで」
「いや、まあほぼ畑なんですけどね。田舎ですし、これぐらいは珍しくないですよ」
じゃあ、橘はなんで俺の実家を知ってるのかということに関しては、今となっては大した問題じゃないと思ったので、人間のことなんて何でもお見通しなんだろうな、とかいう適当な推測で片付けることにした。
「俺も手伝いますよ。お忙しいのでしょう?」
「いえ、流石に葛城さんにそんなことしていただくわけには……」
「仕事がないと何だか落ち着かなくて。いけませんか?」
「えっと、別に駄目なわけじゃないんですけど……」
「ああ……手が震えてきてしまいました。あの、本当に、どうか俺に仕事をください。でないと俺は……」
「どうなるっていうんですか!?」
何それ、完全に仕事依存症ってか中毒じゃん! 何、アンタ仕事ないと禁断症状出ちゃうの!? よっぽどの社畜なんだなアンタ! それやべーよ、早くなんとかしたほうがいいよ絶対!
社畜の末路ともいうべき状態になっている葛城さんを放っておけなくて、とりあえず俺は彼に手伝いを頼むことにした。
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