竜虎相搏(11)
目の前に滑り込んできた馬車を前にして、イリスは呆然としていた。そこにいるはずのない顔を目にしたことで、イリスの頭は何かを噛んだように回転を止めてしまい、一向に働こうとしない。
「立ち上がれますか?」
手を伸ばしながら、そのように聞いてくるパロールに向かって、イリスは状況を理解できないまま、静かに頷いていた。ゆっくりとこちらからも手を伸ばし、パロールの手を掴んでみれば、そこには確かな温もりを感じる。幻覚ではないらしい。
「どうして、ここに……?」
イリスはようやくまとまった思考を頼りに、そのように疑問を吐いていた。それを聞いたパロールは懐に手を伸ばし、そこから見覚えのある手紙を取り出す。
「これが届いたので、駆けつけました」
「それって、先輩がライトさんに送った?」
「はい。これを受け取って、すぐにライトさんがサラディエに向かうと言い出しましたので、ウルカヌス王国の方にお話をしてみたところ、こちらのガイウスさんがすぐに馬車を出してくださって、ここまで駆けつけた次第です」
「そ、うだとしても、こんなに早く?」
「ライトさんがあまりに急かすもので、出せる限りの速度で来ました。どうなのかと思っていましたが、結果的には良かったようですね」
パロールの説明を聞きながら、イリスは馬車の方に目を向けていた。御者台にはガイウスが座り、後ろにある荷台からはパロールが出てきたが、ライトの姿はそこに見当たらない。代わりに荷台には大きな布がかけられ、巨大な膨らみがあるくらいだ。
「ライトさんはどこに? その下ですか?」
「ああ、いえ、ライトさんでしたら、途中で何かを見つけたそうで、慌てて馬車を降りていきました」
「えっ? 大丈夫なのですか?」
「一応、有事の際には身を守れるように手渡したものもあるので、彼でしたら大丈夫だと思いますよ」
御者台からガイウスがそのように答え、イリスは取り敢えず、納得することにする。ライトの様子も気にはなるが、今はそれ以上に解決しなければいけない問題が残っている。
そう思い、イリスが視線を移した先で、転がっていたモンスーンがゆっくりと身を起こしていた。
「あのドラゴンは?」
パロールがイリスに聞いてくる。イリスはアクシスを狙ったドラゴンが他にいて、そのドラゴンに付き従っているようだという判明した事実をパロールに伝えながら、崩落した瓦礫の山に目を向ける。
「そこに住んでいた子供もいるのですが、その子ももう少しで巻き込まれるところでした」
「その子はどこに?」
「タリアさんが森の奥へと避難させてくれています。取り敢えずは巻き込まれないと思いますが、そちらに魔術を向けられると分かりません」
そう言いながら、イリスはタリア達が入っていった森の奥を視線で示した。それを見たパロールとガイウスが気づいてくれたらしい。
「ということは、そちらに魔術が向かないように、あのドラゴンを止める必要があるということですね」
「そういうことですが……」
「騎士と並の魔術師では難しそうな相手ですね」
感想を漏らすように呟いたガイウスの言葉を聞いて、イリスは肯定するように頷いた。
実際の問題として、イリスやソフィア、エルというメンバーの中に、パロールとガイウスが加わったところで、この状況を打開できるとは到底思えない。それほどまでにモンスーンの魔術は大きく、その身体は強固だ。
そう思っていると、パロールが何かを思い出したように手を叩き、イリスの方を見てきた。
「そうだ、イリスさん! 保管の問題からどうするか悩んだ結果、これを持ってきたのですが……!」
そう言って、パロールが荷台の膨らんでいた布に手をかけて、その下に置いてあった物をイリスに見せてくる。
それはイリス達がウルカヌス王国に持ち込んだ物で、それがここにあると分かったことで、イリスの中に明確な希望が生まれていた。
「これは……ここで使えますか?」
「整備はしてあるので問題はないと思います。ですが、使用までには時間がかかるかもしれません」
パロールの説明を受けて、イリスは時間がかかるなら、と自分の中で芽生えた考えを捨てるかどうか迷い始める。
その様子に気づいたのか、ガイウスが御者台からゆっくりと立ち上がり、携えていた剣を握っていた。
「時間を稼ぐくらいでいいのなら、お手伝いしますよ。いくらドラゴンと雖も、足を引っ張るくらいなら私でも可能かと」
「そうですね。王女殿下やエルさんにも協力をお願いできれば、時間を稼ぐくらいなら可能だと思います」
ガイウスとパロールにそう言われ、イリスは迷いながら、荷台に載せられた物を見やった。
「確実に当てますので、時間稼ぎの方をお願いしてもよろしいですか?」
覚悟を決めたイリスがそう伝えると、パロールとガイウスは大きく頷き、イリスを馬車の上に引っ張ってきた。
「そのまま安全な場所まで移動してください。パロール様は殿下達への伝達をお願いいたします」
そう伝えながら、ガイウスとパロールが馬車から降りて、イリスを乗せた馬車が広場の端に向かって走り出した。そこでイリスは手綱を引いて馬を止めると、荷台の方に移動して、そこに置かれていた物を手に取る。
その間、馬車から飛び降りたガイウスはモンスーンに駆け寄り、パロールはソフィアとエルの近くまで移動していた。
二人はモンスーンに飛びかかるとガイウスと、傍に駆け寄ってきたパロールを見て、驚いているようだ。
「どうして、ここに?」
「説明は後でしますから、今は取り敢えず、あれをご覧ください」
そう言ったパロールが離れた位置に立つイリスを指差し、そちらに目を向けたソフィアとエルが事情を即座に把握してくれたようだった。
「あれを使うってこと? あのドラゴンを止めたらいいの?」
「使用可能になるまで少し時間がかかるので、それまでの足止めと、確実に狙える隙を作りたいのですが……?」
「そういうことね」
ソフィアがエルの方にちらりと目を向け、了解したと言わんばかりにエルは首肯する。
「なら、ここで油を売っている暇はないわね」
状況を把握し、時間稼ぎを了承したことを知らせるように、ソフィアが術式を作り上げていた。それに続いてエルも術式を展開し、その様子に感激しながら、パロールもモンスーンに術式を向けていく。
飛びかかったガイウスはイリスがそうだったように、モンスーンの硬さに苦戦していた。単純に斬りかかっただけでは意味がないと悟ったのか、攻撃の対象を身体から足の関節などの鱗で覆われていない部分に変え、そちらへ攻撃を向けていく。位置や踏み込みの影響から、大きなダメージを与えられてはいないが、少しずつモンスーンの動きを制限する程度のダメージは蓄積しているように見えた。
「痛ぁい!? 何をするんだぁ!?」
モンスーンが術式を展開し、足元のガイウスを追い払うように魔術を放つ。それを察したガイウスは咄嗟に剣を持ち上げて、ガードを固めようとするが、吹き抜ける突風の勢いには逆らえず、大きく離れるように後退していた。
その隙を狙って、モンスーンが更に術式を展開しようとする。
だが、それを許さないと言わんばかりに、術式の準備を済ませていたソフィア達が一斉に魔術を放って、モンスーンに襲いかかった。ソフィアやエルの放った炎と、パロールの放った風が合わさって、渦巻いた炎が大きく膨れ上がりながら、モンスーンの身体を襲っていく。
「熱ぅい!?」
術式を展開しようとしていたモンスーンがそれを取りやめて、大きく身を捩りながら浮かび上がった。そのまま翼を広げながら、空へと逃げようとするモンスーンを前にして、ソフィア達が焦りの表情を浮かべる。
「空に逃げられたら、不味いわよ!?」
「翼を集中しましょう! 翼さえ機能しなければ落ちてくるはずです!」
エルの指示を受けて、ソフィアとパロールはモンスーンの翼を狙うように術式を展開していた。三人の術式が揃い、再び炎と風が今度はモンスーンの翼を狙って放たれる。
が、それを予知していたようにモンスーンも飛び上がりながら、自身の前に術式を生み出し、そこから一気に突風を放っていた。
向かっていた炎とそれに合わさった風は、モンスーンの放った突風と正面からぶつかって、一気に掻き乱されるように空中で消えていく。
「しまった……!? 防がれた……!?」
「このままじゃ逃げられる……!?」
パロール達が大きな焦りを覚える中、モンスーンの近くの高木が不意に大きく揺れて、そこから何かが飛び出した。それはモンスーンの足に掴みかかると、そのまま跳ね上がるように飛び乗って、大きく背の方まで駆け上っていく。
やがて、そこで飛びかかるように跳躍し、無防備な翼に向かって、大きく剣を突き立てた。
それはいつの間にか身を起こしていたガイウスだった。
「痛ぁあああああい!?」
翼を傷つけられ、バランスを崩したモンスーンが絶叫しながら落下する。ガイウスも同様にバランスを崩し、背中から落ちそうになるが、その前に近くの高木に飛びついて、何とか避難していた。
モンスーンの身体が落ちる。痛みに悶えるように僅かに身体を動かしながら、何とか身を起こそうとしている。
その前にイリスは立っていた。荷台に乗っていた物を両手で構えて、イリスはまっすぐにモンスーンを睨みつける。
その手にある物はイリスの身の丈ほどの大きさを誇る大剣だった。
ただし、ただの大剣ではなく、その柄には大きな容器がつけられ、刃には独特で複雑な模様が施されていた。容器の中には普段、イリスの見たことのない液体が溜まり、刃に施された模様はいくつかの模様が重なっているようにも見える。
数えれば、模様は四つ重なっているようだ。
イリスの握るこれこそが、ウルカヌス王国との魔術交流のためにエアリエル王国が持ち込んだ物で、世界中で現在、エアリエル王国しか所持してない物、小型の魔導兵器だった。
十七年前、魔王の誕生を予言した一件から、塞ぎ込んでいたパロールだったが、ベルの来訪を起因とした一連の出来事をきっかけに前を向くことを決めて、最初に手をつけた研究が術式の小型化だった。
通常、術式は大きければ大きいほどに効果が強くなり、それ故に魔導兵器は巨大なものとなるのだが、その小型化が成功すれば、日常生活のあらゆる場面で使用される魔術が豊かなものとなり、人々を支えるだろうと考えての研究だった。
その研究が一定の成果を出し、複雑さを取り払った魔術であれば、小さな術式でも再現できるようになっていた。
その成果がギルバートの元に持ち込まれ、試験的に開発された物が現在、イリスが持っている小型の魔導兵器だった。
それをイリスはモンスーンに構える。柄の部分についている容器には、魔力の混ざった液体が入っており、それが刃全体に染み渡るために時間が必要だったが、その時間も十分に稼げた。モンスーンは倒れ、周囲に人はいない。
この状況なら確実に当てられると思い、イリスは大剣を大きく振り被る。大剣に施された魔術の効果は知っている。大剣の振り方も、この時のために覚えた。
今こそ、訓練の成果を見せる時だ。その思いを胸に、イリスは構えた大剣を大きく振り下ろした。
その瞬間、大剣が大きく発光し、そこに描かれていた術式が触れた空気を取り込んだ。空気は刃の中を通過し、イリスが描いた軌道に沿って、一気に切っ先から放たれる。
「がっ!? ああっ!?」
森全体が揺れているのかと勘違いするほどの大気の震動の後、その声が僅かに耳元に届いた。イリスは全身で受ける衝撃から必死で耐えながら、ようやく落ちついた身体を僅かに起こし、前方に目を向ける。
そこで胴体部分に大きな傷をつけて、倒れているモンスーンの姿を見た。イリスの振った大剣が取り込んだ風は、イリスの振った軌道のまま巨大な刃となって、切っ先から一気に放たれたようだ。
それがモンスーンの強固な鎧すら貫いて、モンスーンの身体を切りつけた。
「やった……」
倒れたモンスーンの姿に、無事に止められたことと助かったことを実感し、安堵したイリスはその場に倒れ込んでいた。全身を襲う疲労にゆっくりと目を瞑る中、耳に届いた声は喜ぶパロール達のもので、イリスは静かに微笑んだ。
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