竜虎相搏(9)
かつて家だった瓦礫の山を目にして、イリスは呆然と座り込んだ。守りたかったものが、守ろうとしたものが、呆気なく崩れ去ってしまった光景に、騎士としてのイリスの誇りは崩れ、圧倒的な無力感に苛まれていた。
「ちょっとぉ!? 邪魔ぁ!?」
そこでモンスーンが大きく身体を揺さ振った。身体に飛びかかったイリスを振り払うような動きに、呆然としていたイリスは抵抗することができず、地面に叩きつけるように振り落とされてしまう。
地面に身体を強く打ちつけて、イリスは思わず声を上げながら、その場に蹲った。痛みがイリスの中に生まれた無力感を強めていき、イリスはその場から、どんどんと動けなくなる。
「あれぇ? どうしたのぉ? 一緒に行きたくなったぁ?」
動かないイリスを見下ろし、モンスーンが不思議そうに呟いた。魔術による風でイリス達を攻撃しようとしただけでなく、そこに立っていた家を倒壊させた直後だが、そのことを全く気にしていないような声色に、イリスは信じられない気持ちになる。
この地で竜であるアクシスと出逢い、そこと僅かばかりの交流を持ったことでイリスは勘違いしそうになっていたが、ドラゴンはあくまでドラゴンだ。自分達とは種族の違う存在で、それ故に考えの全てを理解できるものではない。
その当然とも言える事実をそこで実感し、イリスはそれまで感じなかった恐怖を覚えた。こちらを見つめるモンスーンの目を見つめ返すと、そこに二つの暗闇が浮かんでいるように見える。感情も考えも覗き得ない暗闇に見つめられ、今のイリスには成す術がない。
怖い。無力感が恐怖を増大させ、イリスの中にその感情だけを置いていく。痛みと共に恐怖がイリスの身体を掴んで、イリスは更に動き出せなくなる。
「なら、一緒に行こうかぁ」
最初からそうしようとしていたことをここで実行するようにモンスーンが手を伸ばしてきた。イリスは掴まれそうになり、僅かに身体を動かそうとするが、恐怖と痛みに支配され、身体は命令を聞いてくれない。
捕まると思ったイリスが思わず目を瞑り、身を屈めた直後、瞼の向こう側から声が聞こえ、続いて何かが破裂するような音がした。
「早く逃げて!?」
それはソフィアの声だった。ゆっくりと目を開ければ、こちらに手を伸ばそうとしたモンスーンに向かって魔術が放たれ、モンスーンをその場に食い止めている。
「熱いぃ!? 何するんだぁ!?」
モンスーンがまとわりついた炎を大きく身体を動かすことで振り払い、信じられないという様子でソフィアやエルを見つめて、再び術式を展開し始めた。
モンスーンがどれくらいの出力で魔術を放とうとしているのか分からない。さっきと同等の威力なら、ソフィアとエルにも対処はできないだろう。
そう思っていたが、浮かんだ術式は三枚で止まり、イリスがほっと安堵したのも束の間、その枚数を見たソフィアとエルの表情が僅かに曇る。
そもそも、さっき四枚の術式が重なる様子を見たことから、それと比較して、さっきよりは弱い一撃だと安心したところがあるが、実際は三枚ですら、並の魔術師からすると脅威でしかない。
それを証明するように、現代最高の魔術師と呼ばれるエアリエル王国のエルは、有事の際に三式魔術を常に使用している。それなら、対象を確実に制圧できるという確信があっての行動だろう。
そのことを思えば、モンスーンが生み出そうとしている三式魔術は明確な脅威でしかなかった。ソフィアとエルで防げるか分からない以上、その場に留まることは得策ではない。
「逃げ……て、ください……!?」
イリスが身を起こしながら叫ぶが、その声を聞いた二人はちらりと視線を寄越すだけで、その場から動き出す気配がなかった。
どうして動かないのかとイリスが疑問に思い、モンスーンの組み上げていく術式に焦りを覚える中、ソフィアとエルはその場で掌を突き出し、これから訪れるであろう風に対抗しようと、その場で自分達も術式を作り上げていく。
「何をして……逃げ……逃げてくださ……!?」
そう言いかけたイリスに向かって、ソフィアが否定するようにかぶりを振った。僅かに視線を動かし、イリスから目を逸らすと、さっきまで家が立っていた瓦礫の山に目を向けている。
何を見ているのだろうかと思ったイリスが同じように目線を動かし、そこに存在する瓦礫の山を見てから、その奥に広がる薙ぎ払われた高木に目を向けた。
そこでソフィアが何を考えているのか、イリスはようやく理解して、広場の中を見回した。ソフィアとエルがここから動くには、どのような移動をしないといけないか想像し、その際に考えられるモンスーンの狙いの移動を予想する。
振り落とされたイリスの位置も相俟って、ソフィアとエルが移動する先は限られており、その先に移動しようとすると、モンスーンの狙いは広場の中を突っ切るように変更することになる。
その途中、森の奥へとタリア達が消えていった場所を絶対通過することになり、そこで魔術が発動された場合、どこまでどのように被害が広がるかは想像もできなかった。
タリア達を巻き込まないためには、ここで自分達が受け切るしかない。そう覚悟を決めたことが分かったイリスは、その場でゆっくりと身を起こし、離れた位置に転がった自身の剣を手に取る。
身体の痛みや恐怖を言い訳にはできない。騎士として、自分もここは動かなければならない。その思いから、イリスは握った剣を構えようとする。
その時、モンスーンの前で重なった術式から、一気に突風が吹き抜けた。風は辺りに散らばりながら、吹き出した勢いのまま、ソフィアとエルに向かっていく。
イリスは最初に吹き出した風の勢いに押され、身構えかけた姿勢を大きく崩し、その場に片膝を突いてしまっていた。咄嗟に動き出せなくなったことに失敗したと悟り、焦りを表情に浮かべながら、視線をソフィアとエルに向ける。
そこで二人は揃って魔術を放っていた。互いに放った炎を掛け合わせて、目の前で壁のように分厚くしている。さっきモンスーンの風を一時的に受け止めた壁とは違い、そこには重厚さと何より、しっかりとしたソフィアとエルの準備がある。
あの壁なら、とイリスが思った瞬間、モンスーンの風が正面から二人の作り上げた炎の壁にぶつかった。風が炎を大きく掻き混ぜて、境界線を強く揺らめかせている。ソフィアとエルの表情がほとんど同時に苦しくなり、二人は掲げた掌を支えるようにもう片方の腕で掴んでいた。
見れば、モンスーンの風が少しずつではあるが、二人の作り上げた炎の壁を押し込もうとしていた。二人は必死に抵抗しようとしているようだが、モンスーンの風の勢いは収まらない。
やがて、そこが限界と悟ったのか、エルが隣に立つソフィアを見つめて、咄嗟に身体でソフィアを押し出していた。無防備だったソフィアはそのまま押され、エルから離れるように倒れ込んでいく。
「師匠!?」
そのことにソフィアが驚きを見せる中、二人の力で作り上げていた炎の壁は弱まり、一気にモンスーンの風が突き破ろうとした。そのことが分かり切っていたエルが風に耐えるために身構えようとしている。
それらの様子をただただ眺め続けるわけもなく、イリスはエルがソフィアを押し出す直前、既に走り出していた。モンスーンに飛びかかりながら剣を構え、一気に振り下ろしていく。
それがちょうど炎の壁を風が突き破るタイミングと噛み合っていた。イリスの剣によってモンスーンの身体は大きく揺れ、風の軌道がエルやソフィアから離れて、上空へと向かっていく。
「た、すかった……?」
その結果に呆然とソフィアが呟いて、安堵したように胸を撫で下ろす。覚悟を決めていたらしいエルも、流石に助かったことにはホッとした様子で、その場に崩れるように座り込んだ。
一方、イリスは必死だった。モンスーンの鱗は未だイリスの剣を通してくれない。その強固さに弾かれながら、何とかモンスーンの動きを食い止めようとする。
だが、そのことにモンスーンはもう怒りを見せなかった。イリスが剣を構え、大きく振り上げた直後、モンスーンの腕が伸びて、イリスの身体をがっしりと掴んできた。
「やっと捕まえたぁ!」
「なっ……!?」
油断していたと思った時には遅く、イリスの身体はモンスーンの腕の中に固定されてしまう。逃れられないと気づいたイリスは必死に身を捩るが、どう足掻いてもモンスーンの力は弱まらない。
「これで連れていけるぅ」
「やめ……!? 放して……!?」
「と思ったけど、やめたぁ」
そこで唐突にモンスーンがそう言った瞬間、イリスを掴む腕の力が急速に強まり始めた。
「痛っ……!? 潰れ……!?」
「君には怒ったから、ここで殺していくことにしたぁ」
あっけらかんとそう言って、どんどんと力を強めていくモンスーンの腕の中、イリスは次第に呼吸も儘ならなくなり、視界が明滅し始める。
「やっ……!? たっ……!?」
僅かに口から音を零しながら、イリスは必死に藻掻こうとする。そのことに気づいたソフィアとエルが慌てて助けようと魔術の準備を始めたが、それでは間に合わないほどの速度で、モンスーンの力は強まっていた。
潰されて死ぬ。そう思ったイリスの意識が吹き飛びそうになる。
その直前、モンスーンに叩きつけるように突風が吹きつけて、モンスーンの体勢が大きく崩れた。腕の中にいたイリスも解放され、その場にぼとんと落とされる。
辛うじて助かった意識を頼りに、肺の中から押し出された酸素を取り戻すように息を吸い込み、イリスは大きく咳き込む。何とか助かったと思う一方で、何が起きたのかと疑問に思った。
そこで声が飛び込んでくる。
「大丈夫ですか!?」
同時にイリスの目の前で車輪の転がる音が響き渡り、顔を上げれば、そこには馬車が止まっていた。
「イリスさん!? 大丈夫ですか!?」
その声に導かれるように顔を上げて、イリスは月明かりに照らされた馬車の上から、こちらを見つめる心配そうな表情に気づく。
「パロール……様……?」
そこにはパロールと手綱を握ったガイウスの姿があった。
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