竜虎相搏(7)

 広場を駆け回るイリスを見つめて、モンスーンが口を開いた。その前に三枚の術式が浮かび上がって、重なったかと思えば、そこから一気に高木すら薙ぎ払う風が吹き出してくる。


 それらの様子を背中越しに確認していたイリスは風が吹き出す直前、風の軌道から逃れるように横跳びしていた。跳んだイリスから少し離れたところを突風が吹き抜けていく。その様子を確認しながら、イリスは跳んだ先で転がるように着地する。


 すぐに体勢を整えて、モンスーンがまだ動き出さないことを確認してから、再びイリスは広場の中を走り始めた。


「いい加減に止まれぇ!」


 モンスーンが苛立ちを爆発させながら、間延びしながらも怒りの伝わってくる声を発した。それを聞いたイリスが律義に止まるはずもなく、イリスはモンスーンの攻撃を誘導するように広場の中を移動していく。


 ふと見れば、イリスがこうして時間稼ぎをしている間に、タリアがミカやアレックス、トーマスを連れて、ミカ達の住む家から無事に離れようとしていた。広場にいると巻き込まれる可能性がある上、ミカがいつ飛び出すか分からない。高木の隙間に入っていく姿を見つけて、イリスは安堵しながら、その方向に攻撃が向かないように注意する必要があると考える。


 取り敢えず、これでタリア達の安全は確保された。後はできるだけ抵抗し、モンスーンを止めたいところだが、それがイリス達にできることなのかは分からない。


 アスマ達が帰ってくるまで待ちたいところではあるが、アクシスにも魔の手が迫っている可能性がある手前、ここで急ぐに越したことはない。できることは実行したいとは考えるが、その内容を今のイリスに考えられるだけの余裕はなかった。


 モンスーンが再び術式を作り上げて、その矛先をイリスに向けてくる。手応えのない挑発だったが、少々効き過ぎたみたいだと若干後悔しながら、イリスは苦笑を浮かべる。


 そこに別方向から浮かぶ術式があった。ソフィアとエルの前に浮かぶもので、それぞれ二枚の術式を重ね合わせて、その矛先をモンスーンに向けている。


 やがて、モンスーンが魔術を発動させる合図のように大きく息を吐き出そうとする。その直前になって、ソフィアとエルは一斉に魔力を込めて、術式から盛大に炎が吹き出した。森へと燃え移らないくらいの火力で、焙るようにモンスーンの身体を炎が襲っている。


「熱い、暑い、アツぅい!?」


 モンスーンが炎の熱さに身悶えするように翼を広げて、広場から僅かに身体を浮かした。それによって風の放出が回避され、イリスは攻撃されずに済んだのだが、立ち止まったイリスはそれとは違う問題に焦りを覚えていた。


 もしも、ここでモンスーンがこのまま飛び立ってしまったら、生み出せる魔術の射程の関係上、モンスーンから一方的に攻撃を受ける可能性が出てくる。それを防ぎ続けたり、回避し続けたりすることは広場の中を駆け回るだけでは足りない。


 このまま飛び立たせてはいけない。そうソフィアとエルも考えたようで、二人は急いで魔術を生み出そうとしていたが、二人の魔術はエアリエル王国のエルほどに素早く展開できるわけではない。


 間に合わない。そのことを直感的に悟ったイリスは駆け出し、翼を開いて浮かび上がるモンスーンに飛びかかっていた。その身体に掴みかかり、掲げた剣を振り下ろしていく。白い鱗に覆われた身体は強固なもので、どこに剣をぶつけても一切の手応えがなかったが、モンスーンにはそれなりに響いていたようだ。


「チクチクしないでぇ!」


 抗議するようにモンスーンが叫び、イリスを振り払うように大きく身を捩った。振り回されたイリスは吹き飛ばされそうになり、慌てて掴む力を強める。


 そこにソフィアの声が飛び込んでくる。


「離れて!」


 そう言われたことに気づいたイリスがモンスーンから離れるように飛び降りた。瞬間、ソフィアとエルの前に浮かぶ術式から炎が吹き出し、モンスーンの両翼を焙るように飛んでいく。


「熱ぅい!?」


 不意に翼を襲った熱さにやられ、モンスーンは広げたばかりの翼を思わず閉じていた。ゆっくりと浮かんでいた身体は落ちて、その衝撃が着地したばかりのイリスを襲ってくる。魔術によって生み出された突風ほどではないが、それなりに強い風に晒され、イリスは吹き飛ばないように地面を掴むだけで精一杯だった。


「ああ、もう嫌だぁ!?」


 落下した地面でモンスーンが身を起こし、全てを拒絶するように身を振り始めた。イリスの素早い動きに加え、ソフィアとエルの炎に焼かれ、モンスーンは酷く嫌気が差したようだ。


「全部、壊ぁす!」


 そう宣言したかと思えば、大きく開いた口の前に四枚の術式を浮かべて、それを重ね合わせていく。


「四式魔術!?」

「不味いですよ……!? 絶対に止めないと……!?」


 ソフィアとエルがその光景に慌てたように呟いて、モンスーンに攻撃を向けるため、術式の準備を始める中、イリスは全く違うことに気づいて、一瞬、動きを止めてしまっていた。


 モンスーンの狙いはイリスから外れ、ソフィアやエルも巻き込もうとしているものに変わっていた。開いた口やその前で重ね合わさっていく術式の向く先はそれまでイリスが誘導していた方向ではなく、イリスに向けられた魔術に巻き込まれないように、イリスから離れた位置に立っていたソフィアやエルのいる方に寄っている。


 問題はその寄った先にあるもので、そこにはさっきまでタリアが駆け込み、アレックスとトーマスを連れ出したばかりのが立っていた。

 そのことに気づいたイリスが慌てて声を出し、ソフィアとエルに伝えるように家を指差す。


「王女殿下! エルさん! 魔術を絶対に防いでください! その後ろに家があります!」


 その声によって二人も状況に気づいたらしく、表情に浮かんでいた焦りを更に濃いものへと変えていく。


「ちょっと待って……!? 四式魔術を受け止める……!?」

「無理ですね……放たれたら、終わりです……! ここで食い止めましょう……!」


 ソフィアとエルは確認するように声をかけ合い、モンスーンが術式を重ね合わせている隙を狙って、一気に炎を放っていた。さっきよりも火力が高く、燃え盛る炎がモンスーンの身体を襲い、モンスーンが魔術を中断する――とイリス達は全員思っていた。


 しかし、その熱に包まれながらも、モンスーンは怯むことなく、術式を重ね合わせていた。


「ちょっと!? 何で、止まらないのよ!?」


 ソフィアが焦ったように声を上げる中、イリスは一気にモンスーンまで駆け寄って、その身体に剣を叩きつけていく。強固な鱗に弾かれ、叩きつけたイリスの腕の方が衝撃にやられそうになるが、それでも、イリスは止まることなく、その身体に剣を叩きつけ続けた。


「やめてください……!? やめて……くだ……やめろ……!?」


 イリスは声を上げて、モンスーンに魔術をやめるように懇願するが、その声をモンスーンは一切聞いてくれなかった。

 イリスが剣を振るっている間も術式は重なり続けて、気づいた時には四枚の術式が綺麗に一つの模様を作り上げていた。


「止まれ!?」


 そう叫び、イリスはモンスーンの頭に掴みかかろうとしたが、その時には遅かった。モンスーンの作り上げた術式から一気に風が吹き出して、ソフィアとエルのいる近くを吹き抜けようとした。


 ソフィアはそれにも対抗して魔術を生み出そうとしていたが、その速度では間に合わないと察したエルが慌てて飛び出し、ソフィアと一緒に風の軌道から逃れていた。それでも、完全に風の影響下からは抜け出せなかったのか、二人は広場の中を押し出されるように転がっていく。


 その奥では吹き抜けた風がそのままの勢いで、そこに立つ家の壁にぶつかっていた。そのまま僅かばかりの抵抗を見せることもなく、壁は打ちつけられた風に剥がされるまま吹き飛び、一瞬の内に中身を晒し出していた。その中身すら風の勢いに舞い上がって、中に置かれたベッドやテーブルが形を崩しながら、上空へと打ち上がっていく。


 あまりに一瞬の出来事で、そこで何が起きたのかも分からないまま、イリスはただ呆然と風の中に消えていく家を眺めて、ぽつりと零すように呟く。


「や……めて……」


 その声すら風の中に消え、広場が静寂を包む頃には、かつて家が立っていた場所に瓦礫しか残されていなかった。

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