竜虎相搏(1)

 圧倒的な魔力から生み出された隠せないほどの存在感を一切隠す様子もなく、惜しみなく垂れ流しながら、魔王であるアスマはサラディエの地を訪れた。


 少しでも魔力を感じ取れる才能があれば、卒倒するほどの魔力だ。サラディエの地で大人しく眠っていたアクシスを目覚めさせるには十分と言えた。


 だが、そこには一切の敵意を感じ取ることなく、剥き出しの刃を突き出されながらも、不思議なことに危機感は覚えなかった。それを握ることも、掲げることもないだろうと、その雰囲気からは察せられ、アクシスは安心して再び眠りにつく。


 その直前のことだった。アクシスは森の周囲に、ほんの少しの違和感を覚えた。耳元で羽虫が飛ぶような、ほんの小さな違和感だ。少し顔を上げても、そこに羽虫の姿は見えないが、そこにいるような気がする。

 それくらいの些細な違和感で、それはアスマの接近に伴って、小さく、ただ気のせいと思えるほどのものになっていた。


 羽虫の一匹くらいは飛ばしておけばいい。いつか勝手に飛び去るだろう。それより大きな音を立て、暴風が吹き荒れようとしているのだから、今はそんなことはどうでも良く、暴風がこちらを巻き込まないと分かっているなら、ただ眠るべし、とそう考え、結局、アクシスはそれ以上に気にかけることなく眠りについた。


 起床は暴風を伴ったアスマの来訪をきっかけとして、アクシスはアスマ達の持ち込んだものと元から森の中にあったものを含めた問題の渦中に放り込まれることになった。


 いろいろと頭の痛いことは増え、自身が放置していた問題と向き合わなければいけないこともあったが、その中で一つ、アスマが訪ねてくる直前に感じた羽虫の正体は、ハクが何かをしていたのだろうと納得することもあった。


 ハクの全てをアクシスは把握していない。ハクが独自に伸ばし、才能を開花させた一部の魔術に関して、アクシスが干渉できないことも理由の一端を担っているが、それ以上に深く入り込み過ぎないように、敢えて距離を離そうとしている部分もあった。


 アクシスの中の願いでは、いずれガイのように、ハクやミカも外の世界に出て欲しい。そのように考えている部分があったからこそ、ハクの気持ちの全てに干渉しないように努めていた。


 結果、それが一つの大きな問題を生み出し、アスマに迷惑をかけることにはなってしまい、アクシスは後悔した。それならばいっそのこと、はっきりとした態度で示して、ハクに嫌われるくらいの振る舞いはするべきだったと思うが、今更、その後悔をしても遅い。


 もうハクは自分の気持ちを固めてしまい、間違った方向に曲がりくねった信念を、そう簡単には戻せない状況にある。


 その問題をアスマ達に押しつける結果となってしまったことを酷く申し訳なく思いながらも、アクシスの気持ちは別の部分にも引っかかることとなった。


 それが森の中から動物が消えたという問題に触れた時のことだ。アスマの護衛を務める騎士のシドラスは、その原因がハクにあるのではないかと考えているようだった。アクシスも同意見であり、ハクが凶行に出るために、森の中に細工したのだろうとアクシスは思い込んでいた。


 しかし、直接ハクと話したというアスマは別のことを言い出した。ハク曰く、原因はアスマにあるそうだ。森の中の動物がアスマの接近に気づいて逃げ出したのだと言ったらしい。


 その内容について、アクシスは疑問を懐いた。アスマの来訪はアクシスも感じ取っていたことだが、その気配に敵意も殺意もなく、剥き出しの脅威を握りながらも、その切っ先を向けられることはないと思ったからこそ、アクシスはアスマの来訪に目を瞑り、その到着を待ったのだ。


 森の中の動物がそのような相手に意味もなく、ただ怖がって逃げ回るとは考えづらい。それがもしも起きるのなら、竜であるアクシスが住む森に居ついたりはしていないだろう。


 他に理由がある。そう思った時、アクシスはアスマが到着する直前に感じ取った羽虫のことを思い出していた。

 あれから気配は感じ取っていない。うまく隠しているのか、アスマの気配があまりに強く、その他の気配を探れないのかは分からない。


 ただもしも、それがハクの仕業ではなく、第三者による何かしらの影響だったとすれば、この森にはまた違った問題が混ざり込もうとしているのかもしれない。


 そうであるのなら、その問題こそ森の主である自分が解決しないといけない、とアクシスは思った。ハクの問題に巻き込んでしまっただけでなく、森で新たに起きた問題にアスマ達も巻き込んだとなると、竜の名折れというものだ。


 そのためにも、アクシスはアスマ達が寝静まった夜更けになってから、その問題の解決のために森の中を移動し始めた。


 まずはあの時に感じた羽虫の音を再び探さないといけない。そのためにはアスマから少し離れ、森全体を深く、その奥の奥まで感じ取れる状況にならないといけない。


 そう考えたアクシスが移動した先で足を止めて、森の中に意識を向けていく。違和感がどこかにないかと探し回るように、アクシスの神経は森の中を駆け巡った。


 やがて、森の中を動き回る気配を感じ取って、アクシスは顔を上げる。森の中から動物が消えた今、森の中を動き回っている存在は限られている。アクシスの他は家にいるはずのアスマ達か、どこかに隠れているハクだけだ。


 それ以外に森の中を移動している相手はおらず、そこに漂う気配はハクにしては随分と大きく思えるものだった。動物か、それとも別の何かは分からないが、何かが森の中に入っている。

 そのことを確信したアクシスはその場に足を向けることにした。森の中をゆっくりと突っ切って、移動する気配に接近していく。


 その移動に気づいたのか、元からそのつもりだったのかは分からないが、そこにある気配もゆっくりとアクシスの方に近づき始めていた。アクシスは怯むことなく歩き続けて、迫る気配と高木の隙間でようやく顔を突き合わせる。


 そこで目にした姿にアクシスはやや驚いたように目を見開いてから、酷く納得した気持ちを抱え、大きく頷いていた。


「そうか。そういうことか、お前が羽虫の正体か……!」


 アクシスの呟きに対して、そこにいた相手が大きく顔を歪めて、アクシスを睨みつけるように左目を大きく見開く。右目には大きな傷がついていて、左目とは対照的に開こうともしていない。背中に生えた翼は所々が破れ、一部は抉れたようになくなっていた。


「羽虫か? お前にとってはそうかもしれないな……だが! いつまでも、そうであるとは思うな!」


 アクシスの呟きとは対照的に、森の木々すら揺れそうなほどの声量で、そこにいる相手が大声を張り上げた。


 月明かりの下、身体の表面は黄色く光り、キラキラと輝いているようにも見える。牙も爪も変わらず鋭く、その体躯はアクシスと並ぶほどに大きい。


 黄のドラゴン、。それはかつてアクシスと激突し、サラディエ周辺の地図を大きく描き変えらなければならないほどに暴れ回ったドラゴンだった。


「この時をずっと待っていた……! お前に復讐する、この時を……! あの頃から力を蓄え、ようやく俺はお前を超えた……! 人間の子供を育て、のうのうと暮らす自称・竜! 良く聞け、本当の竜はこの俺だ!」


 レックスが大きく口を開いた同時に、その前に術式が浮かび上がった。重なる三枚の術式を前にして、アクシスは咄嗟に周囲へと目を向ける。


「この馬鹿が……!?」


 アスマ達の眠る家の位置や森の状況を考え、アクシスは自分が止めるしかない判断し、同様に自身の目の前に術式を浮かび上がらせていた。


 互いの術式に魔力が点り、大きく膨れ上がるという瞬間、互いの術式から一斉に炎が吹き出した。アクシスの術式からは青い炎が、レックスの術式からは黄色い炎が吹き出し、正面からぶつかり合う。

 やがて、それらは爆発し、辺りに生えた高木を一斉に薙ぎ払った。その中心に立って、二人は睨み合いながら、互いに牙と爪を構える。


 十六年の時を超え、再びドラゴン抗争が起きようとしていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る