隣国の人々(3)

 シドラスが部屋から出た直後、アスマが水を得た魚のように部屋から飛び出した。シドラスがいなくなったということは、自由行動になったと考えているようだ。命を狙われているソフィアと、そのソフィアを護衛しなければいけないエルを部屋に残し、勝手に部屋を飛び出したアスマを追いかけ、ベルも部屋から出る。


「おい、ア…ギルバート様?どこに向かわれるのですか?」

「え?何?気持ち悪いよ、ベル」

「お前、自分の立場とここでの名前を覚えろよ」


 ベルの鋭いローキックがアスマの脛に突き刺さった。アスマが口から泡の割れる音みたいな声を漏らし、脛を押さえたまま、とんとんと片足で跳ね回った。ベルなりに気を遣っての発言だったのだが、アスマの頭に自分の立場は残らないらしい。流石に痛みと一緒に覚えたと思いたいが、今後も同じことにならないようにベルは願うばかりだ。


「取り敢えず、戻るべきだ。すぐに戻ってくるシドラスに怒られるぞ?」

「ちょっとくらいなら大丈夫だよ。ほら、トイレの位置とか確認したいし」

「それなら、あのマリアっていうメイドに聞けばいいだけだ」

「ベルは厳しいなぁ」

「いや、これが普通だ。お前が緩い」


 部屋から少し離れた廊下でベルとアスマは言い争っていたが、二人は騎士のように常に周囲を警戒しているわけではない。言い争っている間は言い争いに集中しており、自分達に近づく人物がいるとは微塵にも思っていなかった。


 だから、その声が聞こえた瞬間、二人は心臓が口から飛び出し、全身が天井に突き刺さりそうなほどに驚いた。


「どうされたのですか?」

『うわっ!?』


 ベルとアスマの口から同時に漏れた声に、声をかけた人物まで驚いたようで、ビクンと身体を大きく震わせてから、ビー玉のように丸くした目でベルとアスマを見てきていた。


「ビックリしました…驚かせたのなら、申し訳ありません」


 そう言って頭を下げてきたのだが、既にベルとアスマは急に声をかけられた驚きを忘れ、別の驚きに襲われていた。ゆっくりと上げられる頭をまじまじと見つめてしまい、声をかけてきた人物は困惑した表情を見せる。


「ど、どうかされましたか?」

「い、いえ…その…」


 ベルが言葉に迷わせた隣で、アスマが呆然とした表情で、その人物を眺めてから、小さくぽつりと呟いた。


…」

「ああ、はい。そうです。私はです」


 ベルとアスマは咄嗟に顔を見合わせ、いつかにグインから聞いた話を思い出した。豹の獣人であるグインの知り合いの話の中にプードルの獣人の話があり、やけに具体的な名前が一つあると思った記憶がある。その獣人が目の前にいた。


「え?でも、何でウルカヌス王国に獣人が?それにここは王城だよな?」


 驚いたベルがタリアとして取り繕うことも忘れ、周囲に目を向けていた。プードルの獣人は言いづらそうな顔をしながら、「はい、そうです」と口に出す。


「祖国がなくなった後、何とかこの国に辿りつき、ここで仕事をしているのです」

「ああ、そういうことなのか」


 グインと同じく生きる場所を探し、このウルカヌス王国で生きる場所を見つけたということか、とベルは納得した。そこで今度はプードルの獣人の方が不思議そうな顔をしてくる。


「ところでお二人は?」

「あっ…えっと、私達は…」

「俺がギルバートで、こっちがメイドのタリア」

「ギルバート…ああ、確かエアリエル王国からのお客人だとか。私はこの国でをしております、ミドリと申します」

「財務大臣?」


 思わず呟いたベルの一言にミドリは頷いた。ウルカヌス王国は血統主義の貴族の国と聞いている。重要な役職の大半は貴族が務めるはずであり、財務大臣はその重要な役職に含まれるはずだ。その役職を獣人であるミドリがこなしていることに、ベルは驚きを隠せなかった。

 それほどまでにミドリが優秀であると評価されているのか、とベルが思っている隣で、アスマが前のめりになりながら口を開いた。


「ねえ、グインって知ってる?」

「グイン…?」


 聞き覚えのない言葉を聞いたように、一瞬首を傾げたミドリだったが、すぐに思い出したようで、「ああ」と声を漏らした。


「祖国にそういう名前の知り合いがいましたね。ですが、何故その名前を?」

「私達の知り合いにいるんです。エアリエル王国の王都でカフェを開いているんですよ」

「そうなんですか!ということは元気にしているのですね!?」


 ベルが頷くと、ミドリはホッとしたように顔を綻ばせた。グインの話からして、知り合いの大半はセリアン王国がなくなった際に、その安否すら分からなくなったはずだ。どこで何をしているのかどころか、生きているのかどうかすら分からない。もしかしたら、自分以外の獣人は全員死んでしまったのではないかと考えてしまうことも、人によってはあるはずだ。


「今は人間の女の子を育てたりもしているんですよ」

「そんなことを…?確かにあの人らしいですね…」


 納得したように笑うミドリの姿に、アスマはグインのことを聞きたくなったようだ。お願いしようと隣で口を開き、何かを言おうとした瞬間、ミドリが思い出したように顔を上げた。


「おっと、申し訳ありません。少し急ぎの仕事があるので、私はここで失礼します」

「あっ、そうなんだ…」

「グインさんのことを教えていただきありがとうございました。また次にグインさんと逢う時には、経理のミドリは元気にしているとお伝えください」

「うん、分かった。伝えておくね」


 ベルとアスマがミドリを見送った直後、残念そうにアスマが項垂れた。何がそこまで残念だったのか手に取るように分かったベルだが、そのことを追及すると無駄に長くなるので、部屋に戻るように告げて手を引こうとする。


「こんなところで何をしているのですか?」


 そう声をかけられたのは、その瞬間だった。一瞬、シドラスが来たのかと思ったベルだが、その声はいつもより冷ややかで、シドラスよりもキツイ印象のある声だった。誰だと思ったベルがアスマと一緒に目を向け、その姿に驚く。


「いくら客人でも、ここは王城なので不用意な行動は避けていただきたい」


 ベルとアスマが向いた瞬間、一方的にそう言ってきたのは、ベル達を迎えた騎士の一人だった。ソフィアがガイウスと言っていた若い方の騎士だ。


「あっ、やっと見つけました」


 その声が今度は別の方向から聞こえ、ベルとアスマだけでなく、ガイウスの視線が動いた。どうやら、ベル達を探していたらしいシドラスが、やや慌てながら駆け寄ってくる。


「すみません。この方々が何か問題を起こしましたか?」

「いえ、そういうことではないのですが、あまりに自由に行動されますと、問題に繋がる可能性がありますので注意しただけです」

「大変失礼しました。今後は目を離さないように気をつけます」

「いえいえ。そちらも大変そうで」


 ガイウスの一言にシドラスは苦笑いを浮かべ、アスマの耳元で「謝罪を」と囁いた。アスマが頭を下げ、「ごめんなさい」と素直に言うと、ガイウスは苦笑しながら恐縮し、その場を立ち去った。


「殿下」

「ごめん…」

「ベルさんも」

「申し訳ない…次からはちゃんと止める…」

「戻りますよ」


 溜め息を吐きながらも、ここでアスマに怒ることはできないと思ったのか、シドラスが部屋のある方向に歩き出した。流石のアスマも従うことにしたようで、ベルと一緒にその後ろを歩き出す。アスマの行動には困らせられるが、今回は思わぬ出逢いがあったと思いながら、ベルはミドリからグインへの伝言を忘れないように覚えた。



   ☆   ★   ☆   ★



 ソフィアとエルは戻ってきたアスマの雰囲気に言葉が出ないようだった。強いて言うなら、エアリエル王国でもこの事態なのかと聞きたいだろうが、その質問には恥を晒すことになるので、できれば聞かないで欲しいとベルが恐れていると、その質問をされる前にシドラスが話を切り出した。


「では、先ほど話そうと思っていた。セリスさんとの話し合いの結果をお伝えしますね」


 先ほどの部分にアスマに対する憤りを感じ、ベルが苦笑した隣でアスマがヘラヘラしていたので、ベルはしっかりとアスマの足を蹴っておいた。その行動にエルが驚いているが、説明は面倒なのでしない。


「王女殿下にはセリスさんが泊まる予定だった部屋にベルさんと一緒に泊まっていただきます。代わりに王女殿下の部屋でセリスさんが泊まることになりました。そこで襲撃があった際には犯人を拘束してもらいます」

「それで大丈夫なのですか?大変申し訳ないのですが…」


 ソフィアの部屋で襲撃犯を待つということは、夜間セリスはずっと気を張ることになる。それを心配してのエルの発言だったのだが、その発言にシドラスが答えるより先にアスマがあっけらかんと答えた。


「ああ、大丈夫だよ。姐御は強いし」

「その呼び方、セリス様に怒られるぞ」


 アスマが勝手に答えたことにシドラスは眉を顰めたが、内容自体に誤りはないと判断したようで、訂正することはなかった。エルは納得したのか、アスマが言ったので繰り返せなかったのか分からないが、それ以上の言葉はなかった。


「ところで一つ気になることがあるのですが」


 そう言って、シドラスがセリスから聞いたという、騎士団長のノエルの怪しい動きについて、エルに聞き始めた。本来なら簡単に用意できるはずの書類の準備に手間取り、何か他に動いている雰囲気があることを伝えると、エルは何度か頷いて答える。


「確かに、王城内に動きはありますね。ただ詳細までは私も知りません。てっきり、殿下を探している動きだと思っていたのですが、見つかった後も続いているのなら、違うということなのでしょうか」

「どうなのでしょうね。取り敢えず、そちらはセリスさんが調べてくれるそうなので、私達は王女殿下の護衛も兼ねつつ、犯人の捜索をしたいと思います。まずはハムレット殿下に近しい人物に当たるのがいいと思うのですが、やはり以前聞いた二人の騎士からでしょうか?」


 シドラスがソフィアに視線を向けると、ソフィアはゆっくりと頷いた。


「多分、そこが一番怪しいと思う。それから、兄さんに近しい人はもう一人いて…」


 ソフィアがそこまで話した時に、ドアが唐突にノックされた。シドラスとエルは咄嗟に身構え、ドアに目を向ける。


「エルさん。お願いできますか?」


 シドラスが確認すると、エルはゆっくりと頷き、ドアに近づいていった。警戒するようにゆっくりと開けた瞬間、向こう側から男の元気な声が聞こえてくる。


「これはエル様!何をされているのですか?」

「ユ、ユリウス卿ですか…!どのような用件で?」

「ソフィアが戻ったと聞き、逢いに来たのですが、見つからず。この部屋にいると聞いたので来たのですよ」


 ソフィアをソフィアと呼ぶ人物に驚きながら、誰だと思ったベル達三人が自然と顔を見合わせた。その間にソフィアは大きく深呼吸をし、座っていた椅子から立ち上がった。そのままドアの方に近づき、エルの後ろから顔を出して、そこに立っている人物に声をかけた。


「お久しぶりです、ユリウス」

「ソフィア!無事に戻って嬉しいよ!」

「ご心配をおかけして申し訳ありません」


 謝るソフィアを三人が驚いた顔で見ていると、ソフィアの指示でエルが扉を開き、廊下にいた人物が部屋の中に入ってきた。年齢的にシドラスと同じくらいだろうかという若さの男で、その隣にはアスマ達より少し年上くらいの若い女が立っている。


「皆さんにご紹介しますね。この御方はユリウス卿。私のです」


 かしこまった態度でユリウスという人物を紹介したソフィアの最後の言葉に、ベル達は驚きから固まり、しばらく反応できなかった。


「こ、婚約者!?」


 思わず叫んだアスマに注意できないほど、ベルとシドラスも驚き、どこか困った表情で頷くソフィアの姿を見ていた。

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