14歳(4)

 自分の家をベルが訪れたことに、テオは非常に驚いていた。あまりの緊張からテオの家に至るまで、ずっと表情を強張らせていたベルだったが、そこでテオの顔を久しぶりに見ることができて、緊張よりも嬉しい気持ちが強くなっていた。そこで改めて、テオと逢えなかったことが寂しかった自分の気持ちに気づく。


 逢えなくなる前のテオはベルの顔も見てくれなくなっていたが、今のテオはあまりの驚きからか、ベルの顔をちゃんと見てくれていた。そのことにも嬉しさを覚えながら、ベルはここに来た用件をテオに伝える。


「あのね。テオに聞きたいことが逢ってきたんだよ」

「そ、そうなんだね…突然だから驚いたよ…」


 そう言いながらも、テオは笑ってくれていた。その笑顔があまりにいつものテオの笑顔で、ベルは何だかほっとしていた。


「実は俺からもベルに話があったんだよ」

「え…?」


 テオからも話があった。そう言われた時に思い出したのは、ルナに言われたことだった。ベルの頭の中では、テオが自分ではない知らない女性と一緒にいる姿が浮かび上がり、嫌な気持ちがムクムクと胸の中で膨らんでいく。


「えっと…じゃあ、ベルから話す?」


 そう言われて、ベルはついかぶりを振っていた。もしもテオの話がベルの聞きたいことと同じだったら、それはベルにとって聞きたくなかった話になるかもしれない。そう思ったら、ベルは自分の口から聞くことが途端に怖くなっていた。


「それなら、俺から話すね」


 そう言われて、ベルはついかぶりを振っていた。さっきと全く同じ反応に、テオは驚いてから、困惑したように笑っている。

 ベルから聞くことも怖いが、テオから話されることも怖い。その気持ちが強まってしまったベルはもう一度、かぶりを振る。


「ごめん…ちょっとだけ待って…」


 その姿を見たテオは困惑したように笑いながら、どうしようかと考えてくれているみたいだった。その様子にベルは申し訳ないと思いつつも、怖い気持ちは抑えられず、テオから話を聞くことができない。


「じゃあ、ちょっと場所を移動する?ちょうどベルに見せたい場所があったんだよ」

「見せたい…場所…?」


 ベルが不思議そうな顔でテオを見上げると、テオは優しい笑みを浮かべてうなずいていた。その姿に自分の鼓動が速くなることを感じながら、ベルは小さく首肯する。


「じゃあ、ついてきてね」


 そう言って歩き出したテオの、少し後ろをベルは歩き出す。どこに行くかは分からないし、どんな話があるのかも分からない。それが分かりたい気持ちと同じくらいの知りたくない気持ちがベルの心の中で渦巻いている。

 こんな気持ちになるくらいなら。そんな考えても仕方がないことを考えながら、ベルはテオの後をただ黙ってついていく。テオは村の外に向かっているようだった。



   ☆   ★   ☆   ★



 しばらくして辿りついた場所で、ベルは言葉を失っていた。そこに広がっていた景色を以前も見たことはあったが、この数年は見たことのない景色で、もうリリパットの近くからは失われていたと思い込んでいたものだった。


「この前、見つけたんだ。これをベルに見せたかったんだよ」


 テオは笑いながら、目の前に広がる景色を両手で示している。そこには見渡す限りの青が広がっており、その光景は海を思い出させるものだ。


 しかし、その場所に海はない。それどころか、水と呼べるものがない。


「ウミザクラ…」


 ベルはその名前を呟いていた。ベルが花の美しさに気づいたきっかけの花で、この花があったから、植物のことが好きになれた今のベルの原点だ。その花がそこに広がっている感動に、さっきまで抱えていた不安や恐怖はすっかり薄まっていた。


「凄く…綺麗…」


 そう呟くベルの表情を見て、テオは大丈夫だと感じたのかもしれない。一緒に並んで、ウミザクラの花畑を眺めながら、テオが口を開いた。


「そろそろ結婚しろ、って言われたんだ」

「え…?」


 不意に呟かれた言葉にベルの視線は奪われていた。驚いた顔でテオをまっすぐに見つめるが、テオはベルの方を見ることなく、横顔からはテオが何を思っているのか分からない。


「親にね。縁談の話があるから、そろそろ結婚したらどうかって…そう言われたんだ」


 何かを言おうと思ったベルが口を開いて、何も言えなくて固まっていた。ルナも言っていたことで十分にあり得た話ではあったのだが、現実的にテオの口から話された衝撃は言葉にできないほどだった。

 ともすれば、ベルは泣き出しそうだったが、涙は何とか堪えていると、テオが続いて口を開く。


「それで今まで考えたことがなかったんだけど、結婚について真面目に考えてみることにしたんだ」


 テオが何かを考え込んでいると、アルが話していたことをベルは思い出していた。その何かとは自分の結婚についてだったのかと、今になってベルは気づくが、それももしかしたら、遅かったのかもしれないとベルは思う。


「子供は可愛いと思うよ。ビクトも可愛いよね。でも、結婚して子供を作ってとか、そんなことを今まで思ったことがなかったから、すぐには想像できなかったんだよ。したいとも、すぐには思えなかった」


 その一言が少しだけベルの心を和らげたが、すぐに含みがあることにベルは気づいていた。すぐには思えなかった、ということは思える瞬間があったということだ。それがいつあったのか、ベルは想像すると言葉が出なくなる。


「だから、誰と一緒にいたいとか、そういうことを考えてみることにしたんだ」


 ベルの姿を見ないテオの横顔を見ながら、ベルの目から小さな涙が零れていた。これを気づかれたら、テオを心配させてしまう。そう思ったベルが慌てて涙を拭う。

 そのおかげか、テオは気づくことなく、ウミザクラを眺めながら話を続けていた。


「そうしたら、だんだんと自分の気持ちが分からなくなって…何か、ごめんね。ベルを避けるみたいな瞬間が続いて」


 そう言いながら、テオがベルの姿を見たのが、ちょうどベルが涙を拭っている瞬間だった。そのことに驚いたテオが途端に慌て出している。


「ど、どうしたの!?」

「な…んでもないよ…?ウミザクラに感動した…だけ、だから…」


 ベルがそう言っても、テオは心配し続けていて、その優しさが今のベルには辛かった。この優しさも、自分以外の誰かに向くのかもしれないと思うと、寂しくて堪らない。


「今日は帰る?」


 心配したテオの言葉にベルはかぶりを振っていた。テオが勝手に帰り出さないように、テオの袖口を掴み、涙を浮かべながらも真剣な目でテオを見る。


「続きを…話して…」


 この気持ちを抱えたまま、しばらく生活することなどベルにはできそうになかった。もしもこの関係が終わるのなら、ここで終わらせたい。せめて、一思いに殺してくれ。そんな気持ちでベルがテオの話を促す。


「そ、そう…?それなら、話すよ…?」


 ベルがうなずくと、テオは再び話を始めた。今度はさっきまでと違い、ベルの顔をまっすぐに見ている。その視線にベルはもう泣けないな、と思いながら、テオの言葉を待っている。


「あのね。俺は気づいたんだよ。誰と一緒にいたいかを考えた時に、俺が俺自身で気づいていなかった気持ちというか、その気持ちに気づいたんだよ。気づいて決めたんだ。って」


 ついに飛び出た核心的な言葉にベルはもう涙も流せなかった。ただ呼吸も忘れたように固まり、次に出てくるテオの言葉を待っていることしかできなかった。


「ねえ、ベル。?」

「…………えっ…?」


 急に飛び出た言葉にベルは自分の耳を疑っていた。テオが何と言ったのか脳の処理が追いつかず、ベルは首を傾げながらテオの顔を見てしまう。


「今、何て…?」

「俺と結婚してくれない?」

「誰が?」

「ベルが」


 そこまで確認し、ベルは言いようのない気持ちに襲われる。ぽかんと口を開けたまま、何も答えずに固まってしまう。

 そんなベルを見て、テオは不安に襲われたのか、少し悲しげに笑いながらベルに聞いてきた。


「嫌…だった…?嫌だったなら、いいんだ。ごめんね。無理を言ったよね」


 そう言って立ち去ろうとし始めたテオを止めるために、ベルは袖口を掴んでいた指に力を込めていた。歩き出そうとしていたテオの腕は引っ張られ、テオが驚いた顔でベルを見る。


 その瞬間、ベルは涙を流しながら、テオにずっと言いたかったことを口に出していた。


「私も…!!私もテオが好き…!!ずっとテオと一緒にいたい…!!」


 その言葉を聞いたテオの顔が驚きから、ゆっくりと笑顔に変わっていく。


「うん!!ずっと一緒にいよう!!」


 テオがギュッとベルを抱き寄せる。その温もりがベルは嬉しくて、嬉しくて、涙が止まらなかった。


 この日からしばらく、ベルは無事にテオと夫婦になっていた。それから、二人で過ごす日々が始まり、約一年後のベルが十五歳の時、二人の間に可愛い男の子が誕生する。ルークと名づけられたその子も加わり、更に幸せになったベルの日常はずっと続くと思われていた。

 そこに変化が訪れることになるのは、ルークの誕生から七年後。ベルが二十二歳の時だった。

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