14歳(2)
森の中を歩き回りながら、ベルは見慣れた植物に目を向けていた。数年に亘り、この森を仕事場にしてきたこともあり、森の中に生えている植物のほとんどをベルは把握していた。分からないものは新種か、滅多に見られない珍種くらいで、良く見られるもので分からないものは、元々専門外だが興味はあったキノコくらいだ。キノコは植物ではないので、森の植物のほとんどは既にベルが把握していることになる。
とはいえ、見慣れたことでベルの興味が尽きたわけではない。いろいろと知っていても、植物に関して分からないところはある。誰にも解明されていない謎もあって、その永遠になくならい疑問も植物の魅力の一つだった。
ベルは森の中に座り込み、一つの雑草に手を伸ばす。それは森の中のどこにでも生えている雑草なのだが、自生している地域に限りがあり、森の外、例えば村で育てようとしても発芽すらしないことで有名だった。光や土、水などの条件を変えても、それは一切変わらず、発芽に際して何か別の条件があると考えられているのだが、その条件が何か未だに分からない謎の多い雑草だ。
このような植物が森の中には数え切れないほどにあった。全てが分かっている植物の方が少ないくらいだ。そのことを思うと、つい楽しくなって、ベルは自然と笑みを浮かべている。
(いや、違うぅ!?)
心の中で絶叫しながら、ベルがかぶりを振っていた。確かに植物のことを考えていると楽しいし、ベルにとって大切な時間であることは確かなのだが、今のベルはもう一つ、そろそろ考え出さないといけない悩みを抱えていた。
それがテオとの関係だ。ルナに言われた時から、テオとの関係にもタイムリミットがあるのかもしれないと改めて考えるようになり、そのために何か動き出さないといけないかもしれないとは思うのだが、どう行動したらいいのか分からず、何もできないでいた。そのことを考えないといけないとは思うのだが、仕事もあるので森に入ると、こうして現実逃避をするように植物のことばかり考えてしまう。
本当はテオとどうなりたいか。それくらいのことはあの日に考えて、自分自身で分かっていることだ。その上でベルは急がないという選択を取った。そのことに間違いがあったとは一度も思ったことがないし、今も思っていない。その選択はベルとテオの関係に必要なものだったはずだ。
ただ、それがいつまでも続くとは思っていなかった。いつか関係を変えない時が来ることは分かっており、その時のために今の関係を続けてきたつもりだ。そのための覚悟も決めていた。少なくとも、ベルはそう思っていた。
しかし、いざ目の前に来てみると、その関係を変える時が今なのか、途端に分からなくなった。ほんの少しでも間違えたら、テオとの関係は簡単に崩れ去る。そのことを考えると、ベルは何もできなくなる。
ほんの少し前までなら、テオとの関係がなくなっても別にいいと思える心があったかもしれないが、今のベルには無理だった。今からテオとの関係がなくなることを考えたら、怖くて堪らなくなる。
結局、自分がどうしたらいいのか。その考えに対する答えが見つからないまま、仕事を終えたベルが森から出ようと歩いていた。
その途中、森の中を歩くテオの姿を見つけていた。恐らく、ベルと同じように森の中で仕事があったのだろう。その足取りが村に向かっているところを見ると、もう仕事を終えて帰ろうとしているのかもしれない。
テオのことを考えていた最中に出逢えたことに、ベルはどこか運命のようなものを感じながら、テオにゆっくりと近づいていく。
そこで不意にテオに声をかけ、驚かせようかと最初は考えたが、少しして思い止まり、普通に声をかけることにした。
「テオ」
少し離れた位置からベルが声をかけると、テオが立ち止まって振り返ってくる。ベルも同じように立ち止まり、そのテオに笑顔を向けた瞬間、テオが急に顔を背けた。そのことにベルは違和感を覚える。
「ベルもいたんだね…仕事帰り?」
「え?あ、うん…」
ベルと顔を合わせようとしないテオの様子に、ベルは何かおかしいと思い、テオとの距離を詰めていた。無理矢理顔を合わせようと思い、テオの顔が向いている方にベルも移動してみるが、その移動に合わせてテオの顔も動くため、一向に目が合う気配がない。
「どうしたの?何でこっちを見ないの?」
「い、いや、何でもないんだよ…?」
そう言って、ようやくベルの方を向いたテオがぎこちなく笑っていた。その笑顔に何かあったとは思うベルだが、何より、テオが自分を見てくれないことに思っていた以上のショックを受けていて、うまくそのことを聞くことができなかった。
「そ、そう……?」
何とか出た言葉の元気のなさに自分自身で気づきながら、気持ちを変えようと思い、頭を左右に大きく振る。それから、元気さを取り戻した態度でテオに声をかけようとした瞬間、テオがベルから顔を背け、手を振ってきていた。
「じゃ、じゃあ…!!俺は急ぐから…!!」
それだけ言い残し、テオがどんどんと歩き出してしまう。その姿を見送りながら、ベルはただただ呆然としていた。あれではまるで自分を避けているようだ、と思った瞬間、ベルは途端に悲しい気持ちになってくる。それはともすれば、泣き出しそうなくらいだったが、涙は何とか堪えて、ベルはテオの後を追うように森の中を歩き出していた。
(嫌われてないよね?嫌われたわけじゃないよね?)
そんなことを何度も心の中で呟きながら、ベルは平静さを装うとするので精一杯だった。
☆ ★ ☆ ★
翌日になってベルはテオと逢うために狩人組合の建物を訪れていた。昨日のテオの反応があまりに気になり、ベルは真面に眠ることもできなかったので、テオに嫌われていないことを確認しようと思っていた。正しい睡眠時間の確保も理由の一つだが、何より、テオに嫌われているとしたら、ベルはその理由を知らなければならない。二人の間に何があっても、ベルはテオに嫌われている人生だけは嫌だった。
狩人組合の建物を歩き回り、テオを探していたベルだったが、それは意外と難しかった。途中で狩人組合にいた様々な人にテオの居場所を聞いたのだが、誰一人としてテオの居場所は把握していなかった。それはアルも同じことで、途中で逢った際に居場所を聞いても分からないと言われてしまった。
その代わり、そこでアルからテオの様子がおかしいという話を聞いた。
「何かを考え込んでいる様子だったな」
「テオが?あのテオが?」
いい意味でも悪い意味でも能天気なテオが何かを考え込んでいる。そのことに驚きのあまり聞き返すと、アルも真面目な顔でうなずいていた。
「あのテオが。おかしいだろう?」
「そうですね。テオが考えごとなんて、何かあったのかな?」
「そうだな。あいつもそろそろ、いろいろと考えないといけない年齢なのかもしれないな」
「いろいろと?」
「まあ、それは本人から聞いたらいい。俺には分からないことだ」
「確かに、そうですよね」
最近のテオの様子を教えてくれたアルにお礼を告げ、再びテオを探し出してからも、ベルはテオを見つけられずにいた。
もしかしたら、根本的に間違っていたのかもしれない。狩人組合にテオはいないのかもしれない。そう思い始め、ベルはテオの家を訪ねてみようかと狩人組合から離れようとしていた。
その直前、狩人組合の敷地の端っこで、座り込んでいる人を見つけた。そこは人気のない空間であり、誰かがいたら目立ちそうなものだが、その人物はそこに存在している雰囲気自体を消しており、凝視しないと気づかないくらいだった。その人物に気づいたベルがその人物の顔を見て驚く。
それは間違いなく、テオだった。いつもはどこにいても騒がしさから居場所が分かるくらいなのに、今はそこにいることを目で見ても気づかないくらいに気配が消えている。その様子にベルは心配な気持ちが募っていた。
やはり、何かあったのだろうか。そう思いながら、ベルがテオに近づき、座り込んだテオに声をかける。
「テオ」
いつもなら、この声に反応し、どこにいても振り返ってくれるのだが、その時のテオは上の空でベルの声にも気づいていないようだった。
もう一回、ベルが名前を呼んでみるが、まだテオは気づかない。更にもう一回、同じようにテオの名前を呼ぶと、今度はようやくテオが振り返った。
それから、途端に驚いた顔をし、ベルから顔を逸らす。その動きにベルの胸は小さく痛んだ。
「ベ、ベル…いたんだ…?」
「う、うん…何度も呼んだけど、気づかなかったね。どうしたの?」
明らかに何かあったと分かりながら、ベルはそう聞いていたのだが、テオがその問いに答えてくれることはなく、ただかぶりを振っていた。
「何でもないよ」
「そんな風に見えないよ?何かあったのなら、話してよ?」
「いや、本当に何でもないんだよ」
そう言うなり、テオは立ち上がって、ベルと顔を合わせることなく、組合の建物の方に向いてしまう。
「ごめん。ちょっと用事を思い出したら、俺は行くね」
「え?ちょ、ちょっと待って、テオ」
そう言いながら、テオに向かって手を伸ばしたベルだったが、その手がテオの腕を掴むことはなく、テオは一度もベルを見ることのないまま、歩き出してしまっていた。
その姿に今度は大きく、ズキンとベルの胸が痛む。
「な、んで…?」
そう呟くベルの表情は隠し切れない悲しみに包まれていた。
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