一日目(11)
「嘘をつくな」
アサゴが話し終えた瞬間に、ベルの言ったことがそれだった。
長々と話してくれたアサゴにはとても悪いことだが、ベルは導入から信じる気が全くなかった。
そもそも、この世界ではない違う世界と言われても、突拍子もないにも程があるというもので、信じられる人間がいるのなら、その人間を見てみたいくらいだ。
これが小説なら、あまりの急展開に投げ出すほどで、ベルは作者の創作能力を疑いたくなるだろう。
まずはプロットから書き直してこいと命令したい。
そのあまりの信じてなさに、アサゴはショックを受けたように呆然としていたが、悪いことにそこに乗っかってくる人がいた。
シドラスだ。
「確かに同感ですね。取り留めがないにも程があります」
「流石作家というところか、妄想能力は凄まじいが、細かい部分の設定が甘いな。特に展開に対する伏線が足りない。もう少し先に違う世界の雰囲気を醸し出さないと」
「そうですね。前の世界で刺されるところも唐突過ぎます。母親を病気で亡くしていて、同じ病気になってしまったとか、他に尤もらしい理由は作れたはずです」
「真っ黒な世界での出来事も解決したようで解決していないし、白い髪の女は結局誰なのかとかも分からず仕舞いじゃないか。どうして全く聞かないんだ?普通は少し聞くだろう?」
「いや、夢だと思っていたんで…」
「そうだとしても。記憶にない女が出てきたら気になるだろう?誰なのかとか、名前くらいは聞くだろう?」
ベルとシドラスの辛辣なダメ出しの数々に、アサゴは既に涙目だった。自分の体験談として話したことで、ここまでのダメ出しを食らうとは思っていなかったのだろう。
ベルから言わせると、その精神が甘いところであると思うのだが、そこでシドラスが唐突に方向転換をした。
「ですが、残念なことに私はその全てを否定できるわけではありません」
「え?」
シドラスがそう言い出したことに涙目のアサゴは驚き、アサゴが泣きそうなことにあたふたしていたアスマとベネオラは固まっていた。
ベルも例外ではなく、その中でシドラスが急に意見を変えたことに驚いている。
「確かに話の信憑性は皆無ですが、別の世界から人間を連れてくるということが不可能なのか私には判断できないのです。何故なら、それを判断するには圧倒的に足りない知識があるからです」
「魔術か?」
シドラスの出題に対するベルの解答は正解だったようで、シドラスは小さくうなずいていた。
「それが魔術的に不可能なのか分かりませんし、その判断は魔術師の皆さんでもできないと思います。少なくとも不可能と思われたことの一つは殿下が誕生の際に可能であると証明してしまいましたから」
別の世界から人間を連れてくることが不可能なのかは分からない。別の世界の存在を否定することもできない。真っ黒な部屋の存在も、真っ白な髪の女性の存在も否定できない。
何も否定できない以上はアサゴの話が嘘であると断定することができない。
それがシドラスの最終的な判断のようだった。
それはとても合理的な考えだが、同時に融通が利かないと取ることもできた。はっきり言って、ベルがあまり好きではない考え方だ。
これはベルも同じだけの融通の利かなさを持っているので、単純に同族嫌悪が働いているだけなのだが、ベルはそのことに気づいていないので、何だかシドラスが好かないと思い始めている。
「ただし、そうなると一つだけ聞き流せないところがあります」
「どこですか?」
「貴方は魔王を殺しに来たのですか?」
シドラスがそう質問したところで、ようやく気づいたらしい当の魔王が自分を指差していた。
「あれ?ていうか、魔王って俺?」
「だと思うよ」
話のほとんどが分からなかったようで、途中でアサゴの部屋の物を借り、茶を淹れようとしたところをベルに必死に止められたベネオラでも、流石にそのことだけは分かったようだった。
分かっていなかったのは当の本人のみというところが、何ともらしいところだと思えた。
しかし、決して褒められることではないので、後でシドラスに叱られる姿まで簡単に思い浮かべてしまい、ベルはこっそりと心の中で祈っておく。
アスマに落とされる怒りが最小のものであるように代わりに祈っておいてやる。
「仮に殿下を狙っているというのなら、私は適切な対処をしなければなりません」
「そんな物騒なことはしませんよ!?」
アサゴはそう言い張っていたが、さっき聞いた話の終わり方が終わり方だったので、流石にベルもシドラスと並んで疑いの目を向けていた。
もしかしたら、この部屋に来た段階から殺すタイミングを計っていたのかもしれない。
コーヒーや菓子は出てこなかったが、もし出てきたら、中に毒が入っていようとアスマは警戒することなく食べていたことだろう。
そうなったら、今頃アスマの命はなくなり、同時にシドラスの首も飛んでいるところのはずだ。
だから、というわけではないだろうが、シドラスの追及は厳しかった。
「貴方が殿下を狙っていないという証拠はどこにありますか?」
「証拠ですか?証拠と言われても…」
「証拠がないのでしたら、やはり殿下を狙っている可能性は捨て切れませんね。拘束させていただきます」
「待て待て!!」
流石のベルもシドラスの追及に割り込んでいた。シドラスの警戒は分からないでもないが、それでも行き過ぎていると言わざるを得ない。
少なくとも、何もしていないアサゴを拘束することはできないはずだ。
「こいつは作家のアーサーなんだろ?今はそれだけの地位があるっていうことだ。そんなやつがアスマを狙ったりしないだろ」
「そ、そうです。確かに魔王を殺すように言われて、言われた通りにエアリエル王国まで来ましたけど、そこで魔王が王子な上にみんなに慕われているって知って、殺そうとか思えませんよ。そもそも、魔王っていうから、てっきり人間じゃないって思ってましたし」
「魔王は人間だろ?」
「僕の世界では違うんですよ。魔物の王が魔王って呼ばれているんです」
「ですが、先ほど願いがあると言っていましたよね?」
「願いはありましたけど、それは人を殺してまで叶えたい願いじゃないんですよ。それに今はもう叶いましたから。こうして、作家として小説を書ける毎日が望んでいたものなんです」
ベルの説得とアサゴの説明が功を奏したようで、シドラスの警戒は無事に解けていたのだが、珍しいことに大人しく話を聞いていたアスマは未だ納得できていないようだった。
「ちょっと待って。何でアサゴ君はアーサー先生になったの?そこのところが繋がらないんだけど」
「そういえばそうだな。特に熱中するものもなかったんだろ?どうして、小説を書いているんだ?」
「実は王都にまで来るお金は目覚めた時に用意されていたんですけど、それ以降のお金がなくて、王都についたら無一文になったんです」
「優しくない女だな」
「それで生活するためにお金を稼ぐ必要が出てきて」
「それで小説を書いたと?何で小説?」
「それはその…試しに向こうの世界で読んだ小説を真似て書いて、出版社に持ち込んだんですけど…」
「とんとん拍子に出版が決まったと?」
「恥ずかしながら、そういうことです…」
「パクリか」
「ごめんなさい…」
「アーサーっていう名前は?」
「真似をした小説を書いていた人の名前です。そのままペンネームにしました」
「シドラス。やっぱり、こいつにアスマを殺すことは無理だ。そういうタイプじゃない」
「良く分かりました」
林檎やトマトほどに顔を赤くしたアサゴの告白に、流石のアスマも落胆したかと思い、ベルが恐る恐る目線を向けてみると、アスマは何故かキラキラと輝いた目でアサゴを見ていた。
今の話の中に憧れる場所があったようには思えず、ベルはアスマを怪訝げに見てしまう。
「何でお前は目を輝かせているんだ?」
「だって、アサゴ君は俺の知らない話をたくさん知っているってことだよね?それって凄く羨ましいよ」
「……そう考えることもできるのか」
ベルがアスマの柔軟な思考に脱帽している隣で、ベネオラはずっときょとんとした顔をしていた。
ベル達三人は当たり前のように受け入れているが、アサゴの話したことは荒唐無稽で普通は信じられない話だ。
ベネオラだけは話が理解できずにいても何も不思議ではないと、ベルは思っていたのだが、どうやらそういうことではないようで、ベネオラがぽつりと呟いた。
「ところで新聞の話はどうなったんですか?」
『あ』
ベル達は間抜けな声を揃えることになった。
ここに来た当初の目的を完全に忘れていた。それも先頭を突っ走っていたアスマまで忘れていたのだから仕様がない。
アサゴの色が移ったように三人まで顔を真っ赤に染めることになる。
「新聞の記事は前から思ってたんですよ。僕の他にも別の世界から来た人がいるのかなって。それを確かめようと思って、元の世界で使っていた文字で記事を載せてみたんです。ここの住所を載せて、この文字が読める人は逢いに来てくださいって」
「逢ってどうするんだ?」
「どうもしませんよ。ただ元の世界を知っているのが僕だけって思ったら、ちょっと寂しくなってしまって、知っている人が他にいるなら話したいなって思ったんです。ちょうどこの時期なら、祭りのために王都に来ている人が多いですから」
「そうか。故郷みたいなものか」
「そうですね」
そう考えると、ベルはアサゴの気持ちが痛いほどに分かった。
既に故郷を離れたベルも、同じようなことを思ってしまう瞬間がある。
ただベルはアサゴと違って、それを実現できる力も知り合いもいないだけで、同じ状況なら同じことをしていたかもしれない。いや、きっとしていたはずだ。
もう一度、故郷の話ができるかもしれないと思えば、それくらいの行動は容易い。
「それで他に来た人物がいるのか探ったのですね。それで?」
「それで…?」
「その先です。結果はどうだったのですか?誰かいたのですか?」
「ああ、はい。いましたよ、一人だけ。昨日来ました」
シドラスからアサゴに向ける質問の矛は、少しずつ鋭さを増していた。
やがて、最後の答えを聞いたところで、その鋭さは限界を突破する。
それはまるで先ほど脱いだばかりのはずの警戒心の衣を再び着込んだようだ。
「どのような人ですか?」
「女性でした。ドレスを着た女性です。話してみたところ、僕と同じ感じでこの世界に来たみたいでしたよ。ただ、今の僕のことを話したら、何故か怒って帰っちゃったんですけど」
「ドレスを着た女か。他の世界から来たやつがそんなにいるのか?」
「まだ疑うんですか?」
「いや、今の話は怪しさを増しただろ?なあ?」
感傷的になってしまった気持ちを誤魔化すように茶化しながら、ベルがシドラスに目を向けると、シドラスは何かを真剣に考え込んでいるようだった。
少し俯いて深刻そうな顔をしている様子に、ベネオラが見蕩れている。
小声でベルがベネオラに見過ぎだと注意すると、ベネオラは慌てて誤魔化していた。小さな動きがとても可愛らしい。
「その人の顔は覚えていますか?」
不意にシドラスが顔を上げて、真剣さを継続したままアサゴに質問していた。
「はい。覚えてますよ」
「それでは今日中に手配するので、明日王城に来ていただけますか?その人の似顔絵を作りたいのですが」
「ええ、いいですけど、何故?」
「少し気になるところがありまして」
ベルはシドラスの雰囲気が明らかにおかしいことを察していた。
この中で一人だけ見ている物が違う目をしている。
ベルはこの目を以前見たことがあるが、その時のシドラスに対する印象は騎士というものだった。当たり前なことなのだが、普段のシドラスからは感じられないその印象をその時は強く感じたのだ。
「どうした?」
ベルの小声に同乗するように、シドラスも顔を近づけて小声で話してきた。
「先ほどの話ですが、この世界に来た話が同じなら、もう一人が殿下を狙っている可能性があります」
「アスマを?だが、それもアサゴと同じ場合があるだろう?」
「その可能性もありましたが、怒ったというのなら違う可能性が高くなります。もしかしたら、殿下を狙うために協力を要請しようとここに来たのかもしれません」
「協力しようとしたら、アサゴがもうアスマを殺す意思がなくて怒った?」
「そういうことです」
「それなら、アスマを狙っている誰かがこの王都にいるっていうのか?」
「はい。それも今、この王都にいる可能性が非常に高いと思われます」
シドラスが顔を上げて、アサゴやベネオラと話し始めたアスマに目を向けている。
その表情はとても楽しそうだが、その笑顔に殺意が迫っているのかもしれないと思うと、ベルの胸は少し騒めく。
「場合によっては明日以降の行動も考えなければいけません。せめて、その正体が掴めるまでは行動を控えるべきだと思います」
「アスマに祭りを回るなと言うのか?」
「それも仕方ありません」
シドラスは腹を刺されたように苦しそうな顔をしていた。その苦しみがベルにも伝わって、腹ではなく胸が痛んだ。
竜王祭はアスマの祭りだ。アスマを祝うための祭りだ。主役はアスマで、アスマは誰よりも楽しみにしていた。
それなのに、そのアスマに祭りを回るなと言うのは、とても酷なことだと思った。
しかし、どんな時間も永遠に続くことはない。この時間が永遠に続けばいいと願って続くのなら、ベルはここにいることがなかったはずだ。
何かを守るのなら、何かを変える決断が時には必要だ。その決断を下したベルだからこそ、それははっきりと言える。
シドラスの下した決断がアスマにとって酷でも、ベルはその決断を否定することができなかった。
新聞記事の謎の記号はその解決と共に、それだけの不安の種をベルとシドラスに植えつけてきたのだ。
この時の二人の心境は竜王祭の騒がしさに負けないほどにざわついたものだった。
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