ザ・イレギュラー・バウンダーズ
てこ/ひかり
1球目 野球は"力"だ!
「ストライィクッ!! バッター、アウトッ!!」
青空の下で放たれた白球は、疾く鋭く弧を描き、正確無比の
マウンドに立つ
全国中学校硬式野球大会、神奈川地区予選・一回戦。三年生にとっては、中学生最後の大会である。西郷率いる強豪・葉山北オリオンズは、大事な大事な初戦を迎えていた。
先発を任されたのは、もちろんエースの
西郷は、小学生の時からエースで四番。中学に進学し、強豪と呼ばれるオリオンズに入部してからも、一年生から不動の
(ククク……! まずは一人目だ……!!)
胸の内で低く笑い声を上げ、西郷が目を細めた。
彼の放ったパワーカーブに、あっけなく三振してしまった先ほどの
「ストラァァイクッ!!」
再び審判の叫び声が木霊した。
140㎞台の伸びのあるストレートが、二番打者の胸元を抉る。打者は
西郷は小さく汗を拭い、
西郷は自分の
(あれか……)
西郷は、相手打者に気づかれないように、チラと観客席を見上げた。なるほどマウンドから見渡すと、タブレットを手にしたスーツ姿の中年男性が、ちらほらと見受けられる。もちろんチームの勝利も大切だが、西郷にとって今日の試合は、今まで磨きに磨いてきた自分の
(なら、
「ストラィィック!! バッターアァウト!!」
唸りを上げる彼の
『自分は強い』と勘違いしている相手を、その足元から粉々に破壊する爽快感。
それが、西郷という投手だった。
そこそこ才能を持って生まれ、そこそこ努力を積み、そこそこ名を上げ、見てるこっちが恥ずかしくなるほどの、根拠のない自信に満ち溢れた有象無象の凡人ども。そしてそいつらが、圧倒的な『力』を前にして、苦痛に、恐怖に顔を歪ませるその瞬間。正直、愉悦だった。
そう、自他共に認めるほど、西郷は性格が『極』で悪かった。だがその誰よりも高慢ちきで、無駄にプライドが高く、異常とも言える勝気な性格が、
(悪いが、今日は、誰にも打たせる気は……無ぇよ!!)
三者三振。スリーアウト、チェンジ。
立ち上がりは絶好調。
味方ベンチから、観客席から歓声が上がり、マウンドを後にする投手に惜しみない拍手が降り注ぐ。一回の表は、彼の実力をまざまざと見せつける形となった。
力。
そう、確かに
そしてそれが野球の全てだと、彼はそう信じていた。
……この試合が終わる、その時までは。
◻︎◻︎◻︎
「っしたー!」
「っしたァ!!」
整列した選手同士がお辞儀をし、互いに健闘を讃え合う。観客席からも、大きな拍手が巻き起こった。端から見ている分には、何とも感動的なシーンである。だがその中でただ一人、誰とも握手することなく、抱き合うこともなく、呆然と立ち尽くしている選手がいた。
「…………っ!!」
彼の名前は、
小学校の頃からエースで四番で、中学にして自分が最強だと悟り、来年には甲子園優勝、そしてプロ野球ドラフト一位で数年後には夢のMLB挑戦……する予定だった男である。
だが結果は……小鳥遊南ドルフィンズ 7−5 葉山北オリオンズ。
……西郷の、負けだった。
完膚なきまでの、もう覆ることのない、圧倒的な『敗北』。
いやそれでも、序盤は順調に来ていた。
そのまま行けば、楽に勝てる試合だった。そう、そのはずが……どういう理屈か、中盤から敵が西郷の
「んな……バカな……」
夕闇に染まるスコアボードに並んだ数字を見つめ、西郷は自然と嗚咽を漏らした。
……あり得ない。こんなことは、あってはならない。だって負ける要素がない、負けるはずがなかった。俺は勝ってたはずだ。順当に行けば、十回に九回は勝てる試合だ。それがまさかの、一回戦敗退だなんて……。
「んな……!?」
俺の、俺の野球人生はどうなる? ここで勝って、大会で優勝してアピールして、来年は甲子園を狙える強豪校に入部する予定だったのに。あいつらみたいな凡人以下の『弱者』に、俺の
「キミ!」
「……!」
ふと気がつくと、主審が、顔を顰めて立ち尽くす西郷を見つめていた。西郷は、初めて人類と遭遇した火星人のような目で主審を見上げた。
「……次の試合があるから、早く帰りなさい」
「…………」
だが西郷の耳には、主審の言葉はもう届いていなかった。彼の目は、主審の背中の向こうを見ていた。西郷の視線の先では、ベンチに下がる相手チームの笑顔が弾けていた。
選手、監督、それから女子マネージャーにスコアラーなど……全員が互いに肩を叩き合っている。その光景は、西郷が今まで手にして来た
「う……!」
西郷は今、自分の足元が根本から崩れ落ちて行くような恐怖に駆られていた……。
◻︎◻︎◻︎
「……××が!!」
やがて夕日が沈み、空にはポツポツと星が浮かび始めた。雲ひとつない夜空の下で、道端に今日何度目かの
「××よ! ふ×××なよ!! ゼッテー×××だろあんなん!!」
胸の奥から、腹の底から湧き上がってくるドス黒い感情が抑えられない。呪いの言葉を所構わず撒き散らしながら、恐らく今夜は眠れないだろう、と西郷は思った。きっとこれから先、何年もこの最悪の日が悪夢として蘇るに違いない。
「×××でもやってんのかよ!? あり得ねー!! この俺が、んな……ん!?」
西郷は、ふと目の端に人影を見つけ、そちらに気をとられた。すでにチームメイト達は現地解散し、他のチームの選手もいない。試合が終わった球場には鍵がかけられ、静まり返っている。夜遅く、ここにはもう自分以外、誰もいないはずだった。地元の強面なニーチャン達が遊びに来たのか、それともホームレスか……西郷は木陰に身を潜め、闇夜に目を細めた。
「あいつは……」
西郷の目が捉えたのは、今日の対戦相手・小鳥遊南ドルフィンズのスコアラーだった。
(スコアラー……?)
西郷は首を傾げた。こんな時間に、一体何をしているのだろう?
球場の端、立て並ぶ自販機の側にいるその
(まさか……!)
あれが今流行りの『パパ活』……ではなく、あれは、あいつらは球場にいたスカウトではないだろうか? 敵チームのスコアラーと、スカウトが一体何の話を……。
西郷は無意識に生唾を飲み込んだ。しばらく身を隠し、会話に耳を澄ましたが、生憎内容までは聞こえてこない。それから中年男性達はスコアラーと談笑した後、タクシーを捕まえ駅の方角へと走って行った。西郷は眉を潜めた。
……もしかして、俺の情報を無断で売ってるんじゃないだろうな?
そう思った瞬間、西郷は居ても立っても居られなくなった。自分が一体全国のスカウトからどう評価されているのか……気にならない訳がない。恐らく今日の失態で、名門校への道は閉ざされてしまっただろうが、それでも、自分で言うのも何だが、”序盤”はかなり良かったはずだ。あの”パワーカーブ”が、何とかスカウトの目に止まれば。それに何より……何故自分が負けてしまったのか。聞いてみたいことだらけだった。気がつくと西郷は走り出し、帰ろうとする女子に叫んでいた。
「オイ!」
「……?」
ドルフィンズのスコアラーが、ゆっくりと西郷の方を振り向いた。月明かりに照らされた白い肌、腰まで伸びた艶のある黒髪は、大和撫子を思わせた。
「いや……あの……っ」
「何ですか?」
少女が眉を八の字にした。
近くまで寄ってみて、西郷はその少女が相当に美しいことに気がついた。西郷は急に、自分は女子という生き物が、火星人と同じくらい苦手だったと思い出した。
「その……それ」
西郷は、激しく打ち付ける心臓の音に聞こえないフリをしながら、少女の持つ虹色のスコアブックを指差した。身長は、自分より少し低いくらいだった。西郷自身の身長は170はあるから、女子の中では相当に背が高い方だと言える。
「それちょっと……見せてくれないか?」
「え? 何でですか??」
「何で、って言われても……」
少女が透き通った目で西郷を見つめ、怪訝そうな声を上げた。西郷は口ごもった。あのスコアブックには、今日の自分の投球データが書き込まれているに違いなかった。
「なぁ……頼むよ。知りたいんだ」
「何を?」
「……どうして今日、俺が負けたのかを」
自分でも情けない声が出た。だけどここまで来たら、もう開き直るしかなかった。
「その……。試合が終わってこんなこと言うのもアレなんだけど……全っ然納得行かねーんだよ。ぶっちゃけ俺、今日絶好調だったんだぜ? なのに何で……」
「……”何で自分より弱い相手に負けたか”?」
「……!」
少女がゆっくりと笑みを零し、見透かすような目で西郷を見つめた。
◻︎◻︎◻︎
「……何でだと思います?
「どうして俺の名前を……」
「西郷さん、対戦相手の名前すら知らずに、戦ってたんですか?」
「う……」
気がつくと、辺りはすっかり暗くなっていた。
頭上で輝く蛍光灯と、自動販売機の明かりが西郷と少女を包んでいる。西郷は動揺を隠せなかった。見下していたのは本当だが……どうしてそれを知っているのか。彼はその場に立ち尽くし、スコアラー少女から目が離せなくなった。彼女の薄茶色の、ビー玉のようにキラキラとしたその目の奥には……何でもお見通しなんだぞ、と言わんばかりの妖艶な色が浮かんでいた。少女が風に髪を遊ばせた。
「いくら勝負は時の運とは言え……攻撃面も、守備面も走塁も何もかも……練習設備すら遥かに劣る私たちに、どうして負けたのか……」
「…………」
「それはね……”クセ”なんですよ」
「は……?」
西郷は、思わずポカンと口を開けた。
クセ……?
確かに野球では、投手は時々、例えば変化球を投げる時にいつもよりグローブの角度が違うとか、投げ方が違うとかで”クセ”を見抜かれてしまうことがある。打者だってそうだ。相手が何を投げてくるか、相手が何を狙ってるかがバレれば、こんなに倒し易い敵はいない。だが……。
「待てよ! 俺にクセなんて……」
無い、はずだ。
それは西郷には自信があった。何度も何度も鏡の前でシャドー・ピッチングを繰り返し、直球と変化球で腕の振りが違ってしまわないよう、もう何年も研究と練習を重ねた。一試合見ただけで敵にバレるようなクセなど、
「……あるはずない!」
「ええ」
だが、少女はあっさり頷いて、柔らかな笑みを浮かべた。
「もちろん、元々西郷さんにクセなんてなかった。完璧に隠されてた。だから、作ったんです」
「……は??」
西郷はバカバカしくなって天を仰いだ。
一体この女は何を話してるんだ? 俺のクセを、作っただって?
「例えば今日、【全国からスカウトがたくさん、西郷さんのパワーカーブを見にきてる】って……」
「あぁ……アレだろ? アンタがさっき話してた……」
「あれ、嘘なんです」
「……はぁ!?」
少女はクスクスと、天使みたいに可愛らしく笑った。
「あれ、私が今日、貴方のところの監督や選手に言いふらした、
「フリ!?!?」
「はい。それで西郷さんは、まんまと【自分の今日の試合が、スカウトに注目されてる】って勘違いしたんです。そうしたら当然、気合い入りますよね? 肩に力が入りますよね? ご自慢の決め球を、お披露目したくなりますよね? みんなに良いところ見せたくなりますよねえぇ??」
「……っ!」
西郷は薄ら寒いものを感じ、思わず一歩下がった。彼には今の少女の愛くるしい笑い声が、まるで悪魔のように感じられた。
「……気づいてませんでしたか? それで西郷さん、パワーカーブを投げる時、いつもより肩が上がってたんですよ。もちろん序盤は苦しみましたけど……どんなに凄い決め球でも、来ると分かっていれば、こっちだっていくらでも準備できるってものです。西郷さんは、ご自身で、わざわざ自分の
「貴様ァ……!」
西郷は歯ぎしりした。
なんて性格の悪い奴なんだ。こんなに性格の悪い奴が、この世にいていいのか!? 相手が女子じゃなかったら、胸ぐらを掴んで××××××××××××ているところだった。
「……っけんなよッ!! 卑怯だろそんなの、このご時世に狡い、野球は力と力……漢と漢の、勝負の世界なんだぞ!! そんな、正々堂々たるスポーツの世界で……!!」
「『力』と『力』?」
黒髪少女が笑った。無明の闇に浮かぶその
「申し訳ないですけど、西郷さん、今西暦何年かご存知ですか?」
「……んだと?」
「今や小学生ですら、最新のスマホにタブレットを持ってる時代ですよ? これだけ情報化社会って言われ続けてて……ITやAIが生活に浸透してて……。打率とか球の回転数とか、当たり前のようにテレビやラジオで解説してる時代ですよ? なのに、未だに『力』に『力』で対抗してるんですか?
良いですか? 西郷さん。
現代スポーツは、野球はね……『頭』です。現代戦は今や情報戦、『頭』と『頭』の『知力勝負』なんです」
そんなに力持ちになりたいんだったら、腕相撲でもしてればどうですか? そっちの方が分かりやすいし。
と、少女は笑った。そこで西郷はとうとうキレた。
「はぁぁ!? ざっけんじゃねえよ!! 何だよテメー知った風な口聞きやがってど素人が! お前が野球の何を知ってんだよ、そんな風に騙し討ちみてーな真似して嬉しいのかよ!」
「……いつだって弱い方は」
だが西郷の剣幕にもどこ吹く風で、少女は涼しげな顔で囁いた。
「……工夫して勝つしかなかった。『弱肉強食』の
「知るかよ!!」
西郷が血走った目で叫んだ。
「俺は認めねー! いいか、野球は『力』なんだよ! この世界じゃ『力』が全てなんだ! 『才能』がある奴が、『能力』がある奴が結局強えんだ! テメーの言う『頭』がどうとか、データがどうとかゴチャゴチャ机の上で理屈こねようがな、結局グラウンドに立ったら、最後にモノをいうのはやっぱり『力』なんだよ!!」
「でも」
今にも殴りかからんと言う勢いだった西郷に、少女がトドメの一撃を見舞った。
「負けましたよね? 今日のところは、貴方」
「……!!」
その言葉が胸を貫いた瞬間、西郷は本日二度目の、足元が崩れ落ちて行く感覚に襲われた。がっくりとその場に膝をつき、必死に歯を食いしばり、全身を揺らす寒々とした震えに耐えた。
「んな……でも……っ!!」
「……じゃ、私はこれで」
冷たい声が西郷の頭上に降り注ぎ、やがて小さな足音が、彼から遠ざかって行った。気がつくと、西郷は泣いていた。試合に負けても、どれだけ
それはきっと、彼の心が、敗北を認めたからだった。
「……待てよ」
コンクリートに涙と涎と鼻水で大きな水溜りを作り、西郷は目を真っ赤にして顔を上げた。スコアラー少女は、もう路上に出ようとしていたが、ゆっくりと振り返った。
「まだ、何か?」
「……俺は、認めねえ」
西郷は、半身を影に溶かす少女を睨み、吠えた。
「野球は、『力』だ。お前の『頭』なんか、俺の『力』で粉砕してやる……ゼッテーお前に、それを認めさせてやる……!」
「……どうやって?」
「甲子園だ……!」
西郷が歯を剥き出しにして唸った。それはもうほとんど、獣じみていた。
「確かに中学最後の大会じゃ、負け、たが……来年はタダじゃおかねえ! 俺が甲子園で優勝して……お前より強いって分からせてやる!!」
「へえ……だったら」
「……!?」
少女が踵を返し、ツカツカと西郷の元へと歩いてきた。一瞬西郷は、×××××れるか尖った靴の先で××××××××されると思って、恐怖に身を竦ませた。だが少女は、泣き崩れる西郷の前で立ち止まると……ゆっくりと右手を差し出した。
「どうぞ、分からせてくださいよ。申し遅れましたけど、私、
「は……?」
「来年は、私地元の、野球部も無いような公立高校に入るつもりなんですけど……」
「何言って……」
「貴方の言う『力』さえあれば……甲子園で優勝できるんですよねえぇ??」
「い、いや……!」
「最も、貴方程度の『力』じゃあ、私の『頭』に泣きつくのがオチでしょうけど」
「だからさっきから、何の話なんだよ!?」
「どうせスカウトからも話が来ず、何処にも行く当ても無いんでしょ? だったら私とイチからチーム作りをして」
「はぁっ!?!?!?」
「どうぞご自慢の『力』を見せつけてくださいよ。ねえ?」
「お前……!」
「それとも……逃げるんですか?
「お前……相当ドSだな?」
それはもうほとんど、挑発に近かった。スコアラー少女・
『力』と『頭』はどちらが強いのか。
兎にも角にも、こうして少年少女はそれぞれの旗を掲げ、同じ目的の元、出逢った。
それから二人の前に、野球は『心』だとか……『技』だとか『体』だとか、『金』だとか『遊び』だとか『仕事』、『年齢』、『教育』だとか……とにかく色々な旗頭が現れることになるのだが。それはもう少し、先の話である。
《続く》
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