第三章:いろとりどりの世界

1 ゼンくんが好きなもの

 結局何故だかとてもとても説得されて、絵を描くことになってしまった。

 わたしなんかの、と何度も言ったのだけれど、揃いも揃って「なんか禁止ー」だの「ほかのひとのじゃなくてまりもっちのが欲しいね」だの「俺も俺もー」だの、言いくるめられてしまった。

 完璧なのはいらないのだ、と、相葉さんが言った。

 ゼンくんを撮るためのものだから、ゼンくんの友達から見たゼンくんの世界、ゼンくんの景色が欲しいのだ、と。そのためには同年代の子の絵はちょうどいいし、ゼンくんと友達でクラスメイトで、学校のゼンくんもFIRE*WORKSのゼンくんも知るわたしがいいのだ、と。

 ゼンくんの世界。その言葉に、どきどきが止まらなくて、結局無言で頷いてしまったのだ。

 そして今。

 なぜか。

 紙袋にいっぱいマニキュアを詰めたゼンくんとふたりっきりで、歩いている。



「あー、今日ちょう楽しかった。ありがとね、まりもちゃん」

「えっあ、ううん。わた、わたしも、すごく楽しかった……」

「ほんと? よかった!」

 ゼンくんがキラキラと笑う。

 FIRE*WORKSを出て路地をゆっくりと歩いていく。まだ日は少し色づいた程度で、夕暮れの気配は遠い。そういえばそろそろ夏至だ。夏の気配が濃くなっている。空の高さ。青の濃さ。雲の形。影の色。風に混じる匂い。木々の音。肌を撫でる空気。

 梅雨明けはまだまだ先だろうけれど、季節は確実に夏に向かっている。

「明日からまた雨だってねー」

「あ、うん。ニュースで見た」

 頷く。しばらくは傘が手放せないらしい。

「やーだなー、雨。俺癖っ毛だから、ひどいことになるんだよなー」

 ……あー。くるんくるんになりそう。確かに。

「わたしも、癖っ毛だし剛毛だから……すごい膨らむ」

「あ、だしょっ? 分かってくれる?」

「うん。……えっとあの、いま、って?」

 聞いていいのかな、と少しだけよぎったけれど、大丈夫だろうと判断した。案の定ゼンくんはけろっとした顔で、自分の頭を指さした。

「ウィッグんなかに詰めちゃってるからねー、へーき。学校でもできればいいんだけど」

 言って、ふっと口元だけで微笑んだ。少しだけ、寂しそうに見えた。

「さすがにね」

 ……学校で、女の子の格好をして、それでもいけたらいいのにな、とちょっと思った。でも、きっととても、難しい。

 駅に着く。構内に入っていくと、土曜日でも制服姿の女子高生が何人も目に付いた。いろんな制服。

「うちの学校ってさー、制服わりとかわいいじゃん?」

「あ……うん」

 何年か前に制服の改定があったとかで、そもそも新し目だ。そのおかげかデザインも古臭くなくて、ラインが綺麗でかわいい。夏服は特に。セーラーカラーの襟元も、何種類か選べるリボンも、薄くチェック模様の入ったスカートも。

「高校選ぶとき、あ、ここかわいい! って思ってたんだけど、当り前のこと抜けてたんだよね。俺、男子の制服だったんだよ」

「……そっかぁ」

 それはちょっと、残念だっただろうな。かわいいもの、好きなんだもん。ゼンくん。

「ふ……ふふ」

 ふいに笑われて、顔を上げる。ゼンくんがぷるぷると肩を震わせていた。

「ゼンくん?」

「ごめん。だってそんな、あからさまにしょんぼりした顔するんだもん……まりもちゃん」

「だって……悲しかっただろうなぁって」

「ふふふ、ありがと。大丈夫。ここでなら、こういう格好でいられるし。それに、まりもちゃんは、笑わないでいてくれるし」

 ――だって、それは。

 足が止まる。ゼンくんがこっちを振り返る。

「まりもちゃん?」

 急に足を止めたわたしのことを不思議がっている。

 わたしはゼンくんを見上げて、ぎゅっと、こぶしを握った。これはちゃんと、言わなきゃいけないことだと思ったから。

「だって、それは、その恰好は、ゼンくんが好きなものなんでしょう?」

「……え、う、うん」

「わ、わたしが、絵がへたくそでも描きたくて描いているのとおなじで、ゼンくんはその恰好が好きなら、ゼンくんはわたしの絵のことを、笑わないし、わたしだって、笑わない……よ」

 ゼンくんの顔が一瞬無表情になる。へ、へんなこと、言ったかな。でも、伝えたかった。それだけ、嬉しかったんだから。

 少しだけ、ゼンくんは反応しなかった。それからゆっくりと、泣きそうな、崩れそうな笑顔を見せた。

「ありがと」

 短く、そう言った。

 ちょっとだけでも。伝わったんだろうか。

 ほっとして笑い返して、それから、はたと気が付いた。もう改札前まで来ちゃってる。

「あっ、こ、ここでいいよ。あの、ありがとう。ちゃんと帰れるから」

「だーめ。これ、そこそこ重いしね。うちまで送るって言ったじゃん」

「でも」

 わざわざ電車で送ってもらうほどでもない。三駅しか離れてないし、別に暗くもなっていない。

 あわあわするわたしの頭を、ゼンくんは軽く叩いた。

「いーから。これはもうちょっとだけまりもちゃんと話すための口実でもあるんだからさ。ね?」

 いたずらっ子のように片目をつぶる。

 ……なんて綺麗な笑顔だろう。そしてなんて、卑怯な台詞だろう。

 恥ずかしさに顔が赤くなって、でもそれ以上何も言えず、結局一緒に改札をくぐった。

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