3 夕暮れ、マニキュア、女の……子?
駅から少し離れて路地に入る。それだけで、景色が一変する。
都会的で騒々しい表顔の駅側と違い、どことなく異国情緒すら感じる路地はわたしのお気に入りだ。
狭い雑貨ショップに、古着屋。カフェ。古書店もある。街灯も凝った形のおしゃれなもので、地面もアスファルト舗装ではなく色煉瓦が敷き詰められている。その路地を歩いていくと、ふと建物が途切れて視界が広がる場所がある。緩い坂道になっている突き当りだ。坂道を上がると住宅街になる。の路地の街並みはここまで。
オレンジ色の道路反射鏡がきらりと夕陽に反射する。
かおちゃんと別れて、わたしはそんな路地の奥に来ていた。時々、来る。この路地の端っこから、ごちゃついているような落ち着いているような、そんな路地の景色を見るのが好きなんだ。
空はちょうど夕暮れ時で、赤と紫が雑にひと混ぜだけしたコーヒーとミルクみたいに混ざり合って空を彩っている。
きれいだ。
今朝の重く沈んだ灰色も、今の妖しいほどきれいな赤と紫も、同じ空。
空が好きだ。いろんな色を抱えていて、いろんな色になれるから。
スマホを空に向けてみたけれど、やっぱり上手く切り取れない。この目で見ている色の世界は、カメラに収めようとしても変わってしまう。
リュックをおろして足元に置いた。傘と紙袋も置く。リュックを開けて、スケッチブックと筆箱を取り出してみる。描けるかな。
少し悩んでから、黄色い鉛筆を取り出す。
そういえば。
ふと、思い出した。
今朝のとうめいな春の風。野木くん。今までもなんとなく視界の中で気になる人ではあったのだけど。だから名前も覚えていたのだけれど。それにしても、不思議な男の子だ。
人には色がある。元気なときの赤とか、悲しんでいるときの青とか、見えるわけではないけれど確かにそう感じるときがある。穏やかなんだろうなってときも、緑だったり水色だったり感じる。だから、あんなふうにとうめいに感じることははじめてだった。
なにも、考えてなかったのだろうか。失礼だな、わたし。なにも考えていなかった、かは分からない。たぶんわたしが、彼からなにも感じ取れなかっただけ。
まあ、話したこともないしね。
知らない人に感じる色は、ほとんどない。それでも、白っぽく感じたりはするけど、たぶんそれよりもっと、気配みたいなものが薄かったのだろう。べつに、いいけど。
シャッと、黄色い鉛筆を走らせる。
全体に塗ってから、それから青。少しだけ重ねる濃さを変えながら塗りつぶしていく。
その時、だった。
カラカラカラ、カシャン!
背後から硬質な音とともに何かが降ってくる気配がした。
驚いて振り返る。
「きゃー、ごめんなさいー!」
「すみませーん!」
悲鳴が二人分、それと同時に色がわんさと降ってきた。
な、なになになに。
坂道を、なにか小さい色の塊がいくつもいくつも転がり落ちてくる。わたしの足元に溜まって、跳ね返る。
驚いて動けずいたわたしのもとに、悲鳴の持ち主だと思われる二人組が坂道を下ってくる。
ひとりは、車椅子に乗って。ひとりはその車椅子を押しながら。押しながら? 引きながら? ゆっくり、坂道を降りてきた。
「ごめんなさい、怪我しませんでした!?」
坂道を下りきって、車椅子のひとが両手をパンッと合わせてわたしに謝ってきた。
少し年上のような女の人だ。ボブヘアがよく似合っていて、くるくるっと大きな目をしていた。
「あ、だ、大丈夫です」
「あー、よかったー! ほんとごめんなさい!」
ほっとしたように、その女性が笑う。それから自分の後ろの女性を向いて、へへー、と可愛らしく笑った。
「無事だったってー、よかったー」
「よかったーじゃないし。下手したられいちゃん殺人犯だったかんね」
「そこまでいう?」
ぷぅと膨れ面になった女性に、車椅子を押していた彼女は言いますとも、と軽く悪態をつきながら、しゃがみこんだ。
「ほんとすみませんでした。このひと、手ぇ離しちゃって」
言いながら、落としたものを拾い出す。
あ、そっか。車椅子のひとは拾えないんだ。
「てて、手伝います!」
慌てて手近な色の塊を掴む。
えっとこれ、は。
「マニキュア……?」
ちいさな、可愛らしい小瓶に入った色の塊。ネイル、とかにつかう、マニキュアのようだった。
すごい、たくさんある。
手当たり次第にいくつか拾い上げて顔を上げると、拾っていた女性と目があった。
にこっ。
彼女が微笑う。
大きくやさしい瞳。すうっと通った鼻筋。型よく持ち上がった唇はきれいな赤。肩先をながれていく、サラサラとした焦げ茶色の髪の毛。
き、きれいな人。
年は近いのかもしれない。車椅子の女性よりは年下に見えた。でも、お化粧のせいか、おねえさん、みたいにみえるひと。
彼女が差し出したビニール袋に、拾ったばかりのマニキュアを入れていく。
「ありがとう」
少し低めの心地良い声で笑いかけてくる。
とうめいな春の風が吹いた気がした。
……。
――ん?
一瞬、自分で自分の感覚を疑った。
なんか……違和、感。
ザラつく肌感覚をごまかせなくて、わたしは無言になってしまう。そしてそのまま、彼女を凝視してしまった。
明るい、お陽さまのような表情。色鮮やかな花のような気配を身にまとっていて、全然、白でもとうめいでもない。なのに今一瞬、たしかにあの風を感じた気がする。
綺麗な大きな目。二重で、まつげも長い。鼻筋も通っていて、すっと長い首が、襟の詰まったストライプシャツによく似合う。夜空のような色のチュールスカートに、ぺたんこのバレエシューズ。マニキュアを入れた袋を持つ手は、ネイルこそされていないけれど色白で、指先は――
ごつごつ、してる。
違和感が。
募る。
「どうしたの?」
すっとしみ込んでくるような低めの声。心地良い。心地良い、けれど。
……女性にしては、結構低め……?
そんな馬鹿な、とか。違うに決まってるでしょう、とか。
心の中のもうひとりのわたしが頻りに止めて来ていたというのに、わたしの口は感じた違和を、巣食ってしまった疑念を、止められずに零してしまっていた。
「……のぎ……くん?」
唐突なわたしの言葉に、わたしは自分で驚いて、あわてて口を手で押さえたけれどもう遅い。絶望的に遅い。何言っちゃってんだろう。どう誤魔化そう。意味分かんないよ、突然知らない人の名前出されたら、困るよね。
パニックになりかけた、時だった。
目の前の彼女は大きな目を二度、三度瞬いてから首を傾げた。さらり、と肩口を焦げ茶色の髪が滑っていく。そして。
「俺のこと知ってるの?」
――明らかに低くなった声で彼女は……ううん、野木くんは、そう、言った。
女の子の、格好で。
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