レンタルメイド ~ご主人様とメイドの恋愛は定番でございます~

ななよ廻る

第一章 一人暮らしのご主人様と献身的なメイドさん

プロローグ「朝、メイドさんに起こされるのは恥ずかしい」

「ご主人様。朝でございます。起きて下さい」


 雲一つなく、カーテンの僅かな隙間から暖かな陽光が差し込む、麗らかな日の朝。

 寝室のベッドで眠る沢桔梗さわぎきょう・A・ノアは耳朶を打つ優しい声に誘われるように、安心してより深い眠りに落ちようとする。

 壊さないよう、壊れ物を扱うように揺すられるのが心地良く、ノアの目覚めを遠ざける。


「なかなか起きませんね」


 諦めたのだろうか。ノアの肩に触れていた手が離れる。

 微睡む意識の中で、そのことをノアが少し残念に感じていると、薄暗かった世界が突然明るく照らされる。

 瞼を通してすら感じる強い光を嫌い、目に力が入る。薄く目を開け、霞む視界。段々と光に慣れ、視界が鮮明になっていくと、カーテンを開けるエプロンドレスの女性がノアの瞳に映る。


 …………??? メイド、さん?


 上半身を起こし、ぽやぽやした頭でノアは彼女を見続ける。どうしてメイドが自身の部屋にいるのか、霧がかった思考では思い出せない。

 こくん、こくんと船を漕ぎ、再び夢の世界へと旅立とうとするノアであったが、残念ながら夢への船出は欠航となる。

 ノアが目を覚ましたことに気が付いたメイドさんが笑顔を咲かせる。


「おはようございます。ご主人様。お目覚めのご気分はいかがでしょうか? 朝食の準備はできております」

「…………りーす?」


 落ちるようにノアは首をこてんと傾げる。

 寝起きの可愛らしい主人の反応に笑みを深めると、スカートを摘まみ美しい所作でお辞儀をする。


「――はい。メイドサーヴァント階級一位・家政婦ハウスキーパーにして、ご主人様のメイドであるリース・セシルでございます」


 演劇の舞台を観ているかのような気分になり、ノアはしばらく惚けていたが、寝惚けていた頭が覚醒していくと、熟したように頬が赤く染まっていく。

 怯えた子供のように掛け布団を被り隠れると、こんもりとした小さな山からくぐもった声が発せられる。


「……着替えたら行きますので、先に戻って頂けませんか?」

「お着替えも手伝わせて頂きますよ?」

「もう布団から出ない……」

「ふふふ。それは困ってしまいますので、失礼させて頂きます。ただ、もし二度寝をしようものなら、寝ている隙に着替えさせて頂きますのでご容赦を」

「容赦してー」


 リースが遠ざかっていく気配をノアは感じる。ただ、ドアの開け閉めの音が一切聞こえず、本当に出て行ったのか不安になる。掛け布団の隙間から、銀の瞳をキョロキョロと動かし、リースが去ったことを確認する。

 被っていた殻を脱ぎ捨てると「ぷはぁっ!」とノアは大きく息を吐き出す。掛け布団の中は、存外空気が薄い。

 寝癖で跳ねる銀の髪を手櫛で梳かし、片手で顔を覆う。


「……………………着替えよう」


 ――


 学生服に着替え、パウダールームで身形を整えたノアがリビングに向かうと、リースの言葉通り朝食の準備がされていた。

 食パン、サラダにスープ。飲み物にはコーヒー。ホテルのモーニングかのようにキレイに盛り付けられ、整然と並べられている。

 慣れない状況にノアが戸惑っていると、リースが笑顔で出迎えた。


「ご主人様、こちらへ」

「あ、はい」


 指定された席へ向かうと椅子を引かれ、座りやすいようにしてくれる。

 恐縮しながら席に着くと、リースはそのままノアの後ろに控えた。


「本日の朝食は、ご主人様の好みが分からなかったため、一般的な物をご準備させて頂きました。ご希望がありましたら、お教え頂けると幸いでございます」

「一般的……」


 一般家庭において、毎朝毎朝ここまで準備されているのが普通なの? わからない。しかも、希望があればここから更にグレードがあがるの? 至れり尽くせりを通り越して怖いんですけど。


 朝からリースの尽くされ具合に恐縮しっぱなしのノア。そこに追い打ちを掛けるのは、テーブルに並べられた朝食が一人分という事実である。

 精巧な人形のように動かないリースに、半ば理解しつつも質問する。


「あの、一緒に食べないの?」

「メイドである私が、ご主人様と同じ席に着くわけにはまいりません。どうぞ、私のことはお気になさらず、朝食をお召し上がりください」

「……はーい」


 反論の余地も許さない断固とした鋼の意思を感じて、ノアは諦めた。

 湯気立つコーヒーを一口飲み、表情を歪める。とても苦い。

 ソーサーにカップを戻し、シュガーポットに手を伸ばしたが、横合いから白く細い手が先にシュガーポットを手に取る。


「あ……」

「いくつお入れしますか?」

「…………みっつ」

「かしこまりました」


 指を三本立てて、ノアは恥ずかしくなり視線を落とす。


 子供舌と思われたかな。けど、苦いし。


 黒い液体の中に、四角い白の甘味が三つ落とされる。そこに、ミルクを注ぐと、ティースプーンで手際良くかき混ぜる。

 苦さを象徴していたどす黒さは消え去り、甘さマシマシのカフェオレの出来上がりである。


「ありがとうございます」

「なにか御座いましたら、お声掛け下さい」


 自身の仕事は終わったと、あっさりとリースは引き下がる。

 従者として完璧な対応。普段から従者のいる生活をしていれば、この程度で動揺などしないのであろう。しかし、これまで生きてきた中でノアはメイドさんと生活したことなど一切ないのだ。一緒に朝食を食べるわけではなく、ウエイトレスのいる飲食店でもない。自身の家で注視されながら取る朝食は、一挙手一投足を見られているようで、ノアは落ち着かなかった。


「うぅ……」


 小さく呻き声を上げながら、コーヒーから転生したカフェオレを飲む。

 先程とは違い、砂糖の甘さが口一杯に広がる。味覚から伝わる幸せな味に、この時ばかりはノアも表情が緩む。


「おいしい」


 幸福の花を咲き誇らせる主人を後ろから見ていたメイドは、優し気な微笑みを浮かべていた。


 ――


 朝食を終え、一息着いたノアは、登校のために玄関に居た。

 靴を履き終えたノアに、リースが学生鞄を手渡す。


「ありがとうございます」

「都度、従者にお礼は必要ありません。メイドとしての勤めでございますので」

「そう言われても」

「直ぐに慣れろとは申しません。意識して頂くようお願い致します」

「ぜったいむりぃ」


 しょぼくれた子犬のように眉尻を下げ、ノアは弱音を吐き出す。

 そんな主人の姿に、リースは笑みをこぼす。


 ご主人様が悲しんでいるのに不敬でしょうが、そのお姿は大変可愛らしゅうございます。


 ノアは日本とイギリスの血を引くハーフである。母親の血を強く引き継いだためか、日本男性とは思えない大変愛らしい容姿をしている。そのため、落ち込む姿も見惚れるほどに可愛らしい。

 そんな内心が主人にバレぬよう、リースは表情は引き締める。なにより、可愛らしいからといってほだされるわけにはいかなかった。


「ご主人様。やはり、車で送迎をさせて頂けませんか? 外にはどのような危険があるかわかりません。ご主人様お一人で登校など、私は心配でなりません」

「これから僕は異世界か世紀末の世界を旅するの?」

「同義です」

「怖いなぁ、現代日本」


 虚ろな瞳で返すノア。

 必死に説得を試みるリースであるが、今回に関してはノアが譲らなかった。


「家の中ならともかく、外まで付き添う必要はありません。これまでも普通に一人でしたし、たかだか男子学生にどんな危険があるというのですか。なにより、恥ずかしいし……」


 最後に本音を漏らし、ノアは逃げるように玄関から飛び出していく。


「行ってきます!」

「……行ってらっしゃいませ、ご主人様」


 扉が閉まる瞬間まで見送るリース。

 マンションのエレベーターに乗ったノアは、一階のボタンを押し、深く深く息を吐き出した。


「なんでこうなったんだろうなぁ」


 つい先日まで、ノアは一人暮らしをしていた。高校生では珍しいが、いないというわけでもない。ごく一般的な男子高校生。

 それがなぜ、メイドさんにお世話をされるロイヤルで高貴な生活となってしまったのか。時間は昨日に巻き戻る。

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