🌸 第二章『 出逢い 』🌸

第二章『 出逢い 』

 

 

 

 それは、まだ桜が美しく咲き誇っていたとある日のこと。

 入学式を終え、大学でのオリエンテーションが終わり、そろそろその一年で受ける講義を決めようとしていた4月上旬。

 僕は、少しだけ出来た空き時間に読書を楽しもうと思い、賑やかさから少し外れた、構内の端の方にある広場へと向かった。

 僕の通っていたその大学には広場が数か所あったのだが、その広場だけはなぜかいつも人が少なく、常に風も穏やかだった。

 そんなその広場の一角には美しい桜の木があり、その木の下にあるベンチは、ほっと一息つくには最高の場所だった。

 そしてその場所は、入学当時からの僕のお気に入り場所でもあった。

 だが僕はその日、その広場がそんなにも穏やかだった理由を、この身をもって知る事となった――。

 

 

 ― 第二章『出逢い』―

  

  

《――お前、もう少しここにいる時間を増やしてはどうだ》

 穏やかな風にあたりながら読書を楽しんでいると、突然背後――というよりも更に近い位置から声が聞こえた。

 僕はその突然の事に驚き振り返ろうとするが、僕の目は手元の小説を見つめたまま視点を動かすことができなくなっていた。

 いや、目だけではない。指先さえも一切動かすことができなくなっていた。

 するとそんな中、背中にやんわりと、暖かい布でもかけられたかのような感覚があった。

 そして、それと同時にまた先ほどと同じ声が聞こえた。

《安心しろ。別に俺はお前を捕って食おうと思っているわけじゃない……》

 低く深い音で形成されたその声は、言葉の通り敵意や悪意を感じさせない穏やかな声色で僕に言葉を紡ぐ。

 そして、身動きがとれないというのに、なぜか金縛りのように縛り付けられている感じはしなかった。

 更には嫌な気持ちや恐怖心もすぐに和らいでしまい、果てには抵抗する気も起きなくなっていた。

 それゆえに僕は、その声にすっかり安心感を覚え、その身を任せようとしていた。

 すると、そんな僕の様子を悟ってか、その声は更に言葉を紡いでゆく。

《お前は随分と美味い“気”を持っている。それゆえ、お前がここにいると俺も心地が良い。そしてお前も、ここにいて己の疲れが癒えるのを感じるだろう。なぁどうだ、今日くらいは一日ここにいないか》

――なんだろう……すごく心地いいし……今日くらいなら、それもいいかも……

 僕はまどろみながらそう思った。

 すると耳元でふと微笑んだような息遣いを感じ、今度は満足そうな声で言葉が紡がれる。

《お前は賢い子だな。それでいい。……それにしても、お前のような者が人間たちの中にいるのは勿体ないな。――なぁお前、このまま人間の生活など捨てないか……?》

(人間の生活を……捨てる……?)

 脳内が温かさで満たされ朦朧とする中、僕は心の中で問う。

 すると、髪を撫でられたような感触があった後、その声がまた優しく答えてくれた。

《そうだ。その肉体を捨て、俺と共に過ごすんだ。そうすればお前も人間の中にある不浄な気に埋もれず日々を気楽に過ごせるように――》

「駄目だよ」

 僕が上手く思考できない状態のまま、完全にその声に身を任せてしまおうかと思った瞬間、突然僕の頭上から声が降ってきた。

 僕はそれに驚き、その声にはじかれるようにして目を見開き顔をあげた。

 すると、僕の目の前には男の人が立っているようだと分かった。

 まだ視界がぼやけていて顔までははっきりとは分からないが、声からして男だと判断できた。

 そして、僕の肩には大きな手が添えられている事も分かった。

 そんな中、その人はそっとその手を離すと、

「大丈夫かい?」

 と、優しく言った。

 僕は未だにこの状況を理解できず、目の前のその人に返事をできないでいると、僕の代わりにあの声が不満そうに言葉を紡いだ。

《まったくなんだ……。せっかく良いところだったのに水を差すとは、お前も意地が悪いな》

 すると、今一度苦笑したその人は、黙ったまま僕の後ろに佇む桜の木を見上げた。

 そしてそれから少しの沈黙が流れた後、またあの声が不満そうに言った。

《――少しからかうくらい良いだろうが。いずれにせよ夜には放してやるつもりだったんだ》

 どうやら今、この人とあの声は会話をしているらしい。

 だが、僕を助けてくれたこの人は、声を出してあの声と話しているわけではない。

 その為、僕にはこの人があの声に何を言っているのかは分からない。

 だがあの声の返答を聞くに、彼は僕をからかった事についてこの人に叱られているのかもしれない。

 僕はそう考えるなり、その様子が少しおかしくて、彼に悟られぬように静かに笑った。

 ところで、僕がこのような二人のやりとりを目の当たりにしても大して驚かなかったのには理由がある。

 実は、僕は幼い頃からこうして“人ならざる者”が視える体質だったのだ。

 その為、こうして“彼ら”と声を出さずに話す機会も少なくはなかった。

 だから彼らと話す時、“話せる人”というのはまるでテレパシーのような方法で彼らと会話をするという事も知っていた。

 また経験上、僕は、そういった事のできる人が世の中に一定数いるという事も知っていた。

 それゆえに、僕は今のこの状況に驚かずにいられたというわけだった。

《おい、お前》

 そのようにして沈黙とあの声が交互に席を譲り合う中、僕が二人の会話を想像しながら耳を澄ませていると、突然あの声がこちらに向かって話しかけてきた。

「えっ?」

 僕はそれに驚き、咄嗟に声が聞こえた方へと振り返る。

 すると、そこにはいつの間にか腕組みをした背の高い男の人が立っていた。

 そしてその人は何やら不満そうな顔をしている。

 僕はそこで、あの声の正体が何者だったのかを理解した。

 どうやらあの声の正体は、この桜の木に宿る付喪神だったらしい。

 そんな彼は、驚いて振り返ったままの僕を見るなり不満顔を崩し、苦笑して言った。

《さっきは妙な事を言って悪かったな。悪気はなかった。――ただお前の“気”は清らかな分、俺達には非常に心地良いのだ。だから人間共にもまれ穢れてしまうのは惜しいと思ってな……》

(そうだったんですね……)

 そんな彼の言葉に僕がそう言うと、彼はうむ、頷いた。

《まぁだからといってコチラに引き込むような事はもうしないが、お前のその“気”に触れられないのも何かと惜しい。それゆえ、もしお前が嫌でなければ、またここに来てくれ。――ここに来れば多少の穢れは俺も落としてやれるし、きっとお前の体にも良いはずだ》

 そして、彼はそこで優しく微笑んだ。

 そんな微笑みを受けた僕は、不思議と心が温かくなるのを感じながら彼に笑みを返し、

(はい。――じゃあ、明日もまた来ますね)

 と言った。

 すると彼は、

《あぁ、待っている》

 とまた満足そうに微笑み、その後、穏やかな風と共に景色に溶け込んでいった。

 きっと、この広場がこんなにも穏やかだったのは、あの付喪神がそうなるようこの一画の気を整えていたからなのだろう。

 僕がそんな事を考えながらあの付喪神の声を思い出していると、今度はその付喪神に文句を言われていたあの男の人に声をかけられた。

「もう平気かい?」

 僕は、そうして声を掛けられた事で改めてこの人が自分を助けてくれたのだ、という事を思い出し、はっとその人の顔を見上げる。

 すると今度ははっきりとその人の顔を見る事ができた。

 だがその瞬間、僕の心臓は、僕が礼を言うよりも先に大きく跳ねたのだった。

 その人は、あの付喪神に劣らず随分と背が高かった。

 そんな彼は顔色を伺おうとしてくれたのか、すっと前髪をよけるように僕の髪に触れた。

 彼にとって、それは何気ない行為だったのだろう。

 だが、僕の心臓はそれで更に鼓動を早められ、呼吸が上手くできなくなっていった。

 きっと、魅入られる――というのはこういう時に使う表現なのだろう。

「君も、彼らが視えるんだね」

 だが、その人は、そんな僕の内心には気付かずそう言って、目を細めるようにして笑んだ。

 その微笑みは、僕の脳をまた異常なほどに刺激した。

 脳細胞が死んでしまったのではないかと思うほど、何も考えられなくなってしまった。

「……本当に大丈夫?」

「………………は、はい」

 僕はその時、何とかその一言だけを搾りだした後、やっとの思いでその人から視線を反らす事ができた。

「うん。無理はしないようにね」

「はい、ありがとうございます」

 そうして、やっとまともに応答が出来るようになった僕に対し、やや安堵した様子のその人は、一枚の小さな紙を差し出しながら言葉を続けた。

「俺、この大学で民俗学を教えてるんだけど、もし“彼ら”の事で何かあったら研究室に相談においで。大学にいない時はメールや電話でも大丈夫だからね」

 そう言ってその人が差し出したのは一枚の名刺だった。

 そこにはその人が専攻する分野の表記と教授の文字。そして、その人の名前や連絡先が記されていた。

 僕がそこで名刺に記された名に釘付けになっていると、またその人は言った。

「それじゃあ俺はそろそろ行くね。――一応、初めてだったり慣れない静かな所での長居には気を付けて」

 僕はその言葉を受け、はっとしてから慌てて頭を下げて言った。

「は、はい! ありがとうございました!」

 するとその人はそれにまたうん、と言って笑み、その場からゆったりと去って行ったのだった。

 

 

 

 これが、僕と先生の出逢いだ。

 あの日、あの桜の木の下で付喪神に出会った僕は、先生と出会い、そして――永遠に忘れられない恋をしたのだ。




 

 

 

 

 

 

 

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