第12話 「本当に馬鹿だもん」
バスルームから出ると、スポーツドリンクのこぼされた後に、ぞうきんが二、三枚乗せられていた。
「好きな色のカーペットなのに…… タオルは使ったら洗濯篭に入れておいて」
ぶつぶつとつぶやく声が聞こえた。怒ってはいるようだが、完全に深刻ではなさそうなのに、俺はややほっとする。
戻ってきた俺の頭を、紗里はべし、とはたき、彼女がよく好きで着ている、男もののTシャツを放った。
「ホントに馬鹿」
「馬鹿馬鹿言うなよ」
「本当に馬鹿だもん」
俺はタオルを首に掛けたまま、ぞうきんの置かれている付近に腰を下ろした。髪が瞬く間に乾くほど短い訳ではないので、まだ水滴が時々落ちるのだ。
「全く男ってのはやあね。こらえ性がなくって」
そして彼女ははい、と麦茶を手渡した。甘みも素っ気も無いが、今呑むにはちょうど良かった。
「アルコールは駄目よ。真面目にお話しましょ」
「真面目にね」
そうだ、と彼女はうなづいた。ここでアルコールを入れて、またなし崩しに同じことを繰り返してはいけない、と暗にその麦茶は俺を非難していた。
「ねえオズ、あんたは、その子が好きなんだよ」
紗里は単刀直入に言った。うん、と俺もストレートに答えた。間違いではないのだ。ただ、その「好き」がどの「好き」なのか、どうしても自分自身にも説明がつかないだけで。
「すごく好き?」
「……かどうかは判らない。本当にそういう意味で好きなのかどうかも判らない。だけど、放っておけないんだ」
ふーん、と紗里は興味深げにうなづく。
「珍しいね、あんたにしちゃ」
「うん。俺もそう思う」
「趣味が変わった?」
訊ねてから、彼女はああ、と何かを思い出したようにぽんと手を打った。
「ノエちゃんだよ」
「……え?」
「忘れたなんて言うんじゃないわよ。あんたの最初の彼女」
ああ、と俺はうなづいた。そうだ確か最初の彼女はそういう名だった。すっかりそれは俺の記憶の奥底に沈んでいた。
「あん時もあんたそうだったじゃない」
「何が」
「訳わかんなくなってるの。あの子はあたしの友人でもあったからさ」
「そうだったっけ」
「そうだよ。あんたは大事にしすぎると何もできないんじゃなかったっけ」
そう言えば、そうだ。
「あんたは思いすぎると、訳判らなくなるんだよ。考えすぎて、何も判らなくなるんだよね。お馬鹿」
「そう馬鹿馬鹿言うなよ」
「だって本当に馬鹿じゃない。端から見ててじれったかったよあたしは」
「お前そんなこと思ってたの?」
「そりゃまあ、あん時にはあたしにも別の奴が居たけどさ」
結局紗里はそっちと別れた訳だが。彼女は自分のためにも麦茶を注いだ。
「でも端から見ててさ、あんたの態度はかーなーりじれったかったよ。まああたしも結局はあの子には残酷なことしてしまったんだろうけどさ…… 今頃どうしてるかも知らないけどさ。でも、だから、同じこと繰り返しちゃいけないよ、オズ」
「繰り返してる?」
うん、と彼女はうなづいた。
「繰り返してるよ。そういうふうに、大事に守っているだけじゃ、通じないことだってあるんだよ。あの子は本当に好かれているのか、それが判らなかったって言ったもん。もうあまり確かに覚えてる訳じゃあないけどさ…… それだけはちゃんと覚えてるよ」
「そういうものなのか?」
「あたしはそういうタイプじゃないからね。だからあんたは気楽なんだよ。あたしも気楽だよ。あたしにとってもあんたは何も気を使わなくてもいい。馬鹿呼ばわりできる。だけどそういうタイプの子だって居るんだよ? その迫って来た子のこと、どう思ってるの?」
「……だから」
俺は口ごもる。そして言葉を探す。紗里は黙っている。言うまでは自分は喋らないとでも言うように、黙々と麦茶を口にしている。
「俺も判らないよ。ただ、あれを見てると、危なっかしくて、見てられない…… だけど、見ずにはいられない……」
は、と彼女は肩をすくめた。
「それは本物よ。だからあんた、その相手に全然手を出せないんだよ。あんたはそういう奴だよ。あたしにはこーんなことしようとしたくせにね」
ぐっと俺は言葉に詰まった。紗里はどん、とコップをテーブルの上に置いた。
「間違えるんじゃないわよ」
「紗里」
「それでもあんたは、その子を抱きたいんだよ。別の何かにすり替えないで」
彼女は正しい、と俺は思った。
確かにそうだった。どうごまかしても、結局自分自身はだませない。俺は他の誰でもなく、マキノをそうしたいのだ。
もちろん放っておけない、とか守ってやりたい、とかいう気持ちも持っているのだが、それと平行して、俺の中には、あの華奢な身体を抱き取りたいという気持ちが、欲望が、確かに存在するのだ。
そうでなければ、あの時逃げ出したりはしなかった。
そのままでは、そのまま行ってしまいそうな気がしたから、自分の身体がそう動きそうな気がしたから、俺はその前に逃げ出したのだ。
「だからね、もうあんたとは寝ないよ、オズ」
「紗里?」
「そういうのは、駄目だよ。すり替えてる。ごまかしてる。あんたがそれで結局、その相手に振られたなら、その時は、またそうすることもできるよ。でも言うまでは、気持ちに決着がつくまでは、駄目」
「……それは結構……」
「苦しい? でもねオズ、そうしたい時に相手がいないというのもきついもんだよ」
ぐ、と俺は再び言う言葉をなくした。確かに彼女には言う権利があるのだ。
「きつかった?」
「あったり前じゃない」
彼女は声を張り上げた。
「あたしだって生身の人間なんだから。少なくとも、あん時のあたしはまだあんたに恋してたんだから」
ずきん、と胸が痛んだ。
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