第5.5話 リリスの情景 下

「お世話になるわね」

「はい、どうぞ」


 教えるなんて気のいいようなことを言ってみてはいいものの、ふたを開けてみれば虚しい結果。

 ただただ延々と、数百年と眠っていた私が富や大きな住処を与えるなんていう、吟遊詩人が唄ってみせるような出来事は一切なく洞窟から歩いて二日、王城の膝元に構えられたレントの家のリビングチェアに腰かけることとなった。

「本当に一人なのね」

「はい、時折来るぐらいです」

「ふーん」

 

 椅子の背もたれに身体を預け部屋を見回すも、決してだだっ広い空間ということもない。

 それどころか、この家に来るまでに使った宿屋のほうが下手したら一部屋としては大きい、そんな感じだ。そして狭いといっても調度品に恵まれてるわけでもない。

 言うなれば途中で眺めてきた、まさに一般家屋というものなのだろう。

 恐らく、ここに来るまでのあいだに聞いた話を思い出す限り、レントの出身は高くはない身分。言ってしまえば下だろう。それゆえに若干雑な扱いなのだろうが、そのおかげで私が住むことができるのだからそれに対して突っかかることはできない。

 レントという、せっかく対等に扱ってくれそうな少年を守りたい気持ちと、もっと一緒に居ておきたい気持ち、それを天秤にかけると選択は自分の都合のいい方を選んでしまう。


「さて、稽古はできないとして.......」

 窓から覗く外はまだ夕暮れどきのそれなのだが、どうやらこの世ではこの時間に子供は出歩かないらしい。

『レントちゃん! お姉さん? あんま遅くまでお外に居ちゃいけないよ』

 近所のレントを気にかけている女性がそう声を漏らしていた以上、連れ出せない。

 まぁ、その際にレントが私を親戚の女性として紹介したので、その点は楽になったのだが。

「うーん」

 家に来る前に、傍の大衆レストランで食事を済ませてしまった為にご飯を食べるという選択肢もない。

 そうなってしまえば、やることが一向に浮かばない。

 別に子供たちのやるような遊びも、普通の大人たちの遊びやそれこそ時間の潰し方だって私は何も知らないんだ。

 

「あれは何?」

「本だよ」

「本?」

 たぶん一人暮らしで食事はとっていないのか、ほとんどモノの置かれていない机の上に唯一置かれた絵の描かれた板のようなもの。

 それをレントはめくって中身を見せてきた。

 ひらひらと捲られると、来る途中に見かけた紙という昔の石板の代替品のようなもの。

 随分私が寝ている間に文明というのは進んだものだ。

 ただ、綴られる文字の羅列を見るに、その点での進歩は些か見られない。

 掘りやすさを追求していた書体が、筆記によって少し丸くなったようなそんな感じ。


「ふーん、おとぎ話っていうやつね」


 町に来るまでに理解した、この現代の文字を当てはめる限りこれはおとぎ話なのだろう。

 レントから借りて、パラパラとめくるにこれは間違いない。

 勇者が魔王を打ち破ったと最後の方のページに絵と一緒に書いてあるのだから。


「リリス、文字読めるの?」

「え?」

 驚いたようにレントが聞いてきたので思わず驚いて声を上げてしまったが、

「ぼく、読めないから」

 寂しそうにそうつなげた言葉で合点がいった。

 五歳の時に連れてこられ、そういった学びはできていなかったのかもしれない。剣や魔法を学ぶんだからそんな文字に触れる時間などないのかもしれない。

 それに何より、まだ七歳なんて子供だ。


「じゃあ、読んであげるわね」


 与えられてばかりでは立つ瀬もない。

 今レントに私が与えられる唯一のことはきっとこれだろう。

 せめてものお礼にそういえば嬉しそうに返事を返しこちらに寄ってきた。


 隣にレントが座ってくるののがわかるが、恐る恐ると座る感じにまだ慣れていないのだろう。

 ただ、

「わっ!?」

「そこじゃ見づらいでしょ?:

「,,,,,ん」

 抱き上げて膝に乗せれば、最初は驚いていたがそれ以上に本が気になるのか、視線はすぐに本へと向かう。

——こうやって誰かを膝に乗せるなんてことは今までなかったから、この子が初めてなんだけど...

 凡そ、それを知りえないレントに思わず頬が緩むのを感じながら私も本に視線をずらす。


「昔? 昔?.....あぁ、むかし、むかしあるところに......」

 いまいち掴み切れなかった導入もよく考えればおとぎ話なのだ。

 昔を知る私としては、若干の違和感と共に私は文字を読み上げた。




「まだ子どもね」


 いつの間にか規則正しい呼吸を始めたレントを抱きしめればその鼓動や熱が伝わってくる。

 こんなに誰かの鼓動を、熱を傍で感じるのは初めてかもしれない。

 富を求めるもの、権力を求めるもの、いろいろなものたちがいたが本を読み聞かせたのは初めてだ。

 正直、膝の上に置いているときに嫌悪感が出るかとも思ったが、そんなことは一切なく、唯々ほんの虜となるレントが愛おしく思えた。

 だからだろうか、完全に安心しきった私はレントの体温を感じながら、意識が薄れていく感覚に囚われた。

 

 今思えば、このときはじめて私は誰かと寝床を共にした。

 それからの生活はあまりに新鮮だった。

 本当に。

 姿は変えたが少しばかりの近所付き合いというもの。

 やたらおせっかいな近所の女の指導の下、料理というものを覚えてみて振舞ったこと。

 贈り物というものを貰うのではなく、初めて自分で誰か一人のために選んだこと。

 魔法で失敗して家を壊しかけたこと。

 遠征に行くレントに勝手についていって、ばれないように苦労したこと。


 どれも、どれも新鮮で不思議な体験だったのは間違いない。

 

 あと.......

 思い出せばきりがない筈なのに、意識が徐々におぼつかなくなる。

 きっとこの回想もこれで終わりなのだ。



「.....リス」

「リリス!」

 意識が覚醒しつつある中で、聞きなれた言葉に瞼を上げれば見慣れた顔が目の前に。

 それもそうだ。

 私の知る限り、私を呼び捨てにするのはたった一人。


「なぁに、旦那様?」

「なんか昔みたいだね」

「そんなことないわよ、いつも通りよ」


 寝ている間も抱きしめていたからか、腕の中のレントを抱きしめれば何やら困ったように言ってくる。

 どおりで、昔のことを思い出すと思ったけどこれのせいか。


「リリスさん今日は楽しそうですね」


 視界の端でシエテがニコニコとこちらに視線を送ってくる

 着替えてるところを見るともしかしたらだいぶ寝坊したのかもしれない。


「うん。起きたら愛しの旦那様がいたから」

「なるほど」

「ちょ、リリスにシエテ」


「ふふ、ご飯できますから、そろそろ来てくださいね」

 一足先に退散していったシエテを見送り、もう観念したようなレントに視線を送れば見つめ返してくる。

 抱きしめ合って見つめ合う。まるで物語のフィナーレみたいな状態なのだがレントの顔は何とも慣れ切っている様子。

 もう十代後半、少し生意気な気もするが。


「レント」

「なに?」

「ありがとね」

「こちらこそ」


 私の言葉に間髪入れずに返したけどわかってるんだか


「リリス、もう長いけどこれからもよろしくね」


 どうやらわかっていたようだ。

 いやもしかしたら違うのかもしれない。ただ


「じゃあ旦那様行くわよ!」


「あ、ちょ、リリス?!」


 一気にベットから飛び起きレントの腕を引きシエテの待つリビングへ向かう。

 たった一人の愛弟子なんだから構ってもいいでしょ。


 後ろでなにやら文句を言っているのがわかるが振り向かない。

 これからもよろしくされたのだから。

 

 レントと暮らしてしばらくして気づいたがどうやら意外と自分は我儘だったようだ。

 


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