第69話 【纏い身体強化】の魔術――風

「玲様、次は俺のお相手をしていただけますか?」

「ほう? まさか君の方から誘ってくれるとはな。そう言ってもらえるのは、まだずっと先のことだと思っていたぞ」


 玲さんがニヤリと笑う。それは完全に武人の顔だった。


「一つだけお願いがあるのですが、よろしいですか?」

「何だ?」

「出来れば最初から今の水の【纏い身体強化】の魔術を使っていただけませんか?」


「本気のわたしとやりたいと、そう言うのだな?」

「はい」


 玲さんは俺の真意を探るようにじっと見つめてきていたが、


「いいだろう。最初から本気でいく。その代り……わたしを失望させてくれるなよ?」


 そう言って玲さんは構えを取った。錘三刀流の構えを。

 そして――その体が徐々に薄い水の膜に覆われていく。

 対して俺は時空魔術を操り、アイテムボックスから剣を抜き取った。

 それを見て玲さんの眉がぴくりと動く。まあ、普通は何が起きたか分からないだろう。

 だが、時空魔術について説明している暇はない。何故なら既に玲さんから放たれる激しい闘気を浴びているからだ。

 俺は剣を構える。


「行きます」


 俺は地を蹴った。

 俺のスピードはファラウェイや婆さんに比べると遅い。俺だって【身体強化】の魔術を使っているので一般に比べたら速い方だが、【部分身体強化】の魔術を使いこなすあの二人が異常なほど速すぎるのだ。

 ちなみに玲さんも部分身体強化の魔術を使わないタイプらしいが、それでも俺より速い。それだけ素の身体能力と身体強化の魔術の使い方の両方が優れているのだろう。

 だが――負ける気はない。


「風よ! 我が敵を撃て!!」


 俺は走りながら風の塊を撃ち放った。しかし驚いたことに、それは彼女が体に張った薄い水の膜だけで弾かれてしまう。……体に薄く纏っているだけで、なんて防御力だよ。

 だが、風を弾くその一瞬で隙が出来たのを俺は見逃さない。

 風が弾かれた瞬間、俺は敢えて彼女の目の前で飛び上がり、くるりと前回転する。


「!!」


 俺の動きに虚を突かれて玲さんの動きが鈍った。その瞬間に俺は剣を叩きつける。ストロベリー姉さん直伝の剣を。

 それは辛うじて玲さんの右手の錘によって防がれるが、俺は敢えてそこで剣を手離し、彼女の錘を手で絡め取ると、一気にゼロ距離に持ち込む。これはファラウェイから習った技術だ。

 玲さんは目を見開きながらも、反射的に足を出していた。俺の死角から、俺の顎に向かって一直線に向かってくるのを【流体魔道】で感じ取る。

 俺は僅かに体を右に逸らし、それを躱した。

 玲さんの目が再び驚愕に見開かれる。

 俺はその隙に玲さんの胸に手を置いた。ここで八卦掌【魔掌底】を叩き込む……つもりだった。

 だが、すぐに危機感が頭を駆け抜ける。玲さんが先程上げた足を俺の頭めがけて振り下ろしてきたのだ。


「!?」


 ――あまりにも鋭すぎる、かかと落とし!

 これは予想外だった。錘をメインに使う攻撃法のくせに、彼女の足技にはまったくの隙が無い。

 俺は慌てて体をさらに右にずらす。

 ズオッ!! 彼女のかかと落としが空気を抉り取っていく。

 ……こわっ!? なんてエグイ威力だよ!?

 たが、俺はカウンター気味に【魔掌底】を放つことが出来ていた。ただ、思った以上に余裕が無かったので、その威力はかなり減衰してしまったが。

 結局、その一撃は玲さんを突き放すだけに留まってしまう。今の手ごたえではほとんどダメージは入っていないだろう。

 俺たちは離れた間合いで睨み合いつつ、動きを止める。


「驚いた。君は随分と戦い慣れているようだ」


 玲さんが感嘆した声で言ってくる。


「技もスピードも、まだわたしやババ様の域にはない。だが、戦いのセンスは異常だ。ニャンニャンが自分より強いと言っていた意味が今ようやく分かったよ」


 意外にもなんか凄く褒められてしまった。

 ……美人のお姉さんに褒めてもらうのは正直悪い気はしない。


「わたし自身、君にとても興味が出て来たよ。どうだ? わたしの元に来るつもりはないか? 君のような者が側に居てくれるととても心強い」

「姉さま!? エイビーはワタシのお婿さんネ!!」


 横でファラウェイが即行で声を上げて反論している。

 いや、それも違うけどね?


「ふふっ、初めて妹に怒られてしまったよ。君はそれほどの男だということだな」

「い、いや、どうでしょう……」

「奢らぬところもまた良い。何なら、わたしたち姉妹をまとめて娶るという方法もあるが、どうだ?」

「ぶっ!? な、なにを言い始めるんですか!?」

「ふっ、冗談だよ。そういう方法もあるということだ。『中華大国に二つの秘宝あり』と評されるほどのわたしたち美人姉妹を揃って娶れば、国の内外に自慢できるぞ?」

「何言ってるんですか!? 大体、そんなことファラウェイだって……」

「その方法ならワタシは文句ないアルよ?」


 文句ないのかよ!?


「むしろ姉さまと一緒にいられるのは嬉しいアル」


 ……この姉妹、というかこの一族、俺の手には負えない。


「あ、あの、桃戦華さま?」

「なんだい? わたしが反対するとでも思ったかい?」


 ほらね! おかしいよ! なんならこの人たちの父親である王も賛成しそうな気がするから怖い!


「あ、あの、玲さん? 勝負の途中だったはずでは……」

「そうだったな。では、わたしが勝ったら妹と一緒に娶ってもらおう」

「ちょっと!?」

「冗談だ。わたしはわたしより強い者の元に嫁ぎたい。だから……」


 再び玲さんが構えを取る。


「わたしを倒してみろ」


 ……いや、めっちゃ倒しづらくなったんだけど。

 だが、それはそれ。これはこれだ。俺だって本気で行く。それが武人である彼女に対する礼儀だろう。

 俺は再び剣を構えると、


「では、行きます」

「来い、少年」


 先程と同様、俺からの攻撃となった。

 だが、さっきのような小手先のフェイントは効かないと思い、俺は正面から掛かった。

 何の小細工もない、これまで培ってきたものだけを使っての攻撃。

 たまに錬金術を混ぜたりもしたが、大体は剣と体術と魔術を混ぜた混合スタイルだ。

 玲さんはそれを楽しそうに捌いていた。

 ……悔しいが、やはり勝てそうにない。

 ――そう、今のままでは。

 間近でもっと見るんだ。

 ――彼女の、水の纏い身体強化の魔術を。その運用法を。

 俺の剣が、彼女の流水のような動きに躱される。

 ……まるで彼女自身が水そのものだ。

 彼女の全身に、水の魔術が行き渡っている。

 まるで身体強化の魔術に隠れるようにして、水の魔術が融合している。

 ――以前は視えなかったが、今ははっきり視える。

 そう、融合だ。身体強化の魔術に水の魔術を融合させている。

 それは言う程優しい技術ではない。

 ――だが、俺が今まで培ってきたものは、それを可能に出来ると脳の奥が訴えていた。

 あれは部分身体強化の魔術のような身体的技術ではなく、完全な魔術的技術だ。だったら俺の得意分野である。

 ――なら、やってみせる。

 俺は身体強化の魔術に、風の魔術を練り込んでいく。玲さんのそれを見たまんま、【水の纏い身体強化】の魔術をコピーするという手もあるが、風の魔術の方が俺の性に合っていると思ったからだ。

 それに、ただ真似するよりも、そっちの方が面白い。

 自分の体の中に、風の緑色の魔力が行き渡るのを感じる。

 体がどんどん軽くなっていく。

 最終的に、俺の体から風が巻き起こった。俺を中心として、竜巻のように。

 出来た……! 出来たぞ!


「なっ!?」


 玲さんが驚嘆の声を上げる。

 ……感じる。風の力を。

 風が鎧となって俺を守り、風が俺の体を運んでくれるのを……。

 あからさまに俺のスピードが上がった。

 それは【纏い身体強化】の魔術による単純な出力アップの分もあるが、そもそも【風】の性質は【速さ】。玲さんの使う水の纏い身体強化の魔術に比べ、【速】寄りの魔術だ。


「バカな!? それは【纏い身体強化】の魔術!? それも……【風】だと!?」


 玲さんがまた驚嘆の声を上げた。

 それでも俺の攻撃を躱し続けているのだから、この人は本当に恐ろしい。

 ――よし、一つ驚かせてみよう。

 俺は玲さんに向かって飛び上がると、そのまま剣を振るう。

 もちろんそれは弾かれるが、俺は空中で体勢を立て直し、そのまま空中からまた攻撃を仕掛けた。


「くっ!?」


 その変則的な動きに玲さんの顔が歪む。

 俺は風の力を利用し、空中で変則的に動きを修正していた。ただの重力落下ではなく、自在なる風の力が加わることで動きを予測不能なものにしている。

 それにこうやって空中から攻撃を仕掛けることで、玲さんの得意な足技を防いでいた。

 風が水を押すように――

 水に波紋を広げる風のように――

 俺は自然の摂理を意識するようにして攻撃を仕掛けた。

 ――だが、水もまた風を飲み込むということを俺は思い知ることになる。

 まるで水の中には風など及ばないと言わんばかりに、玲さんの動きが徐々に俺の攻撃に対応していく。

 やがて、玲さんの捕えどころのない動きに翻弄されているのは俺の方だった。

 ――水はかかる力によって流れを変える。玲さんの瞳はそれを訴えていた。

 時間が経てば経つほど、有利になるのは彼女の方だったというわけか……。

 魔力切れが無い分、超長時間の戦いならば俺が勝てたことだろう。

 だが、それを許してくれるほど玲さんは甘い相手ではなかった。

 最終的に地面に引きずりおろされた俺の顔の前に、玲さんの足が突きつけられる。


「……参りました」


 俺はがくりと項垂れる。……こんなに悔しいのは初めてのことだった。

 今まで負けた時は、負けるのが当然の戦いと思って戦っていた。だが、今回は勝とうと思って戦った。

 だから心底悔しかった。


「立て。胸を張れ。君はそれだけの戦いをした」


 玲さんが手を差し伸べてくる。

 そのセリフに俺はぽかんとしながらも、彼女の手を取った。その手は女性特有の柔らかさがあった。

 その温もりに、俺は立たされる。


「エイビー! 凄いネ!? 玲姉さまとあれだけの戦いが出来る者などこの国にはいないよ!?」


 ファラウェイが興奮気味に叫んでいた。可愛い。


「まったく坊やには驚かされるよ。婿殿、あんた今、戦いの中で初めて【纏い身体強化】の魔術を完成させただろう?」


 俺はぎくりと体を震わせる。さすが婆さん。いとも簡単に見破ってきやがる。

 俺が素知らぬ顔で頬を掻いていると、もう片方の手を握ったままの玲さんが口を開く。


「先程わたしは、君がまだわたしやババ様の領域にないと、そう言った。だが、それは訂正させてもらう。君は今、わたしたちの領域に足を踏み入れた。次戦う時は、わたしもそう簡単には勝てないだろう。いや……今も簡単ではなかったな」


 玲さんの目はどこまでも澄んでいた。


「次はこのわたしを負かせてくれ」


 玲さん……。


「そして、いずれわたしを君の元に嫁がせてくれ」

「ぶっ」


 俺は再び吹き出すしかなかった。

 その設定、まだ生きているのね……。

 しかも先程は半分は冗談っぽかったのに対し、今の彼女は本気の目をしている。

 ……これは、どうすれば……。


「玲がここまで本気になったのは初めてだよ。婿殿、責任の取り方は知っているね?」


 婆さんのその一言が俺の肩に重くのしかかった。

 玲さんの顔を見る。

 ニコリと笑ってくる。

 超美人!

 俺は取りあえず、彼女の瞳の中に現実逃避した。

 ……誰が上手い事言えと……。



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