第55話 理想と現実と
「エイビー。晩御飯が出来たアルよ?」
突如かけられた声に、俺はハッと我に返る。
本から目を離し、顔を上げると、そこにはファラウェイの姿が。
「……もうそんな時間か」
俺の呟きに、ファラウェイはくすりと笑う。
「地下にいると時間の進みが分かりづらいアルからネ。でも、それ以上によほど集中していたようネ?」
……確かにそうかもしれない。実際、スカイフィールドにいた時も同じようなことが何回もあった。
それで何回オキクに驚かされたことか……。今もファラウェイの気配に全く気付かなかったからな。
俺は本を閉じ、その本を棚に戻した。
「呼びに来てくれてありがとう。じゃ、行こうか?」
「うむ、アル」
俺たちは連れ立って書庫を後にした。
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途中で研究所に籠っていた先生を拉致同然で連れ出すと、俺たちは揃ってダイニングキッチンの部屋へと入った。
キッチンは先程の様な乱雑さは見る影もなく、綺麗に片づけられている。
しかもテーブルの上には美味そうな料理がずらり。
チンジャオロースに回鍋肉、それに肉まん等々――中華大国に入って最初の村で食べて以来、俺が気に入った料理ばかりが並んでいて、見ているだけで涎が出てくる。
無理矢理に研究所を連れ出されて不貞腐れていた先生も、色とりどりの料理を見た瞬間、喜色満面になった。
「す、すげえな! これ、ファラウェイが作ったのかよ!?」
しかしファラウェイは首を横に振る。
「違うアル」
「え? じゃあ、誰が作ったんだ?」
「オキクアルよ?」
「え、誰だって?」
「オキクアル」
「……だから誰だよ、それ」
「申し遅れました。わたしはエイビー坊ちゃまの付き人で、オキクと申します」
「え……? うおっ!? こ、この娘、どっから出てきやがった!?」
いつの間にか先生の真後ろにオキクの姿があった。
まあ、俺は気付いていたけど……。
一応、上の家の階段の入口に、オキクにだけ分かるような印を残しておいたからな。それを見て勝手に入って来たのだろう。……気配を消したまま。
先生はまだ驚きによる動悸が消えないのか、胸を抑えたまま呟く。
「こ、ここまで接近して、まったく気配を感じさせねえとか、何者なんだよこの子……?」
オキクです、としか言いようがない。
オキクは一歩後ろに下がると、先生に向かって頭を下げる。
「大変失礼いたしました。驚かせるつもりはなかったのですが、その……癖でして」
ほとんど悪癖だよ、あれ。
と、思っていたらオキクに睨まれる。
……頼むから心を読むのやめて?
そうやってオキクと無言のやり取りをしていると、ようやく落ち着いたらしい先生が、俺とオキクを交互に見ながら呟いた。
「また美少女かよ……」
……ごめんなさい、としか言いようがない。しかしそんなことを言ったら火に油を注ぐことになるので言わない。というか、前世の俺ならキレる。だからやはり言わない。
そんな俺に対し、先生はジト目を向けてくる。
「おいガキ。さっきお前の醸し出した哀愁の目と、今のお前の状況がまったく噛み合ってないんだが……」
それはそうだろう。前世の俺があまりに不幸で、今世の俺があまりに幸せなのだ。そのギャップが先生には違和感として伝わったのだと思う。
絶望に塗れて死んだ経験を持ちながらも、信頼出来る仲間に恵まれた今世。
だが、その仲間たちも努力する過程、もしくは努力したからこそ得られた者たちだ。
うん、やはり努力は大事。俺は再認識した。
もっと努力しよう。
俺が誓いを新たにしてすぐに、俺たちは夕食にありつく。
ちなみに不機嫌そうな顔をしていた先生だが、オキクの料理を口にしたら一瞬で上機嫌になっていた。
やはりオキクの料理は最強である。
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風呂から上がると、俺はオキクの用意してくれた冷たい飲み物をキッチンのテーブルで飲む。
俺好みの、ほのかに甘いミルクティー。
いつものその味にホッとしていると、対面に座っていた先生が訊いてくる。
「今日一日、書庫に籠ってみた感想はどうだ? 何か掴めたかよ?」
「……いえ、今のところはまだ何も」
そのように答えるしかなかった。
今日はどこにどのような本があるのかを把握することに時間をかけた。だから本を読む時間はあまりなかった。
しかし、おかげで本の位置は大体把握できたし、どのような順番で読んでいけばよいかも目星を付けられた。
これで明日から本格的に錬金術について学ぶことが出来るだろう。
ただ、先生はというと、頭をぼりぼりかいて、
「ま、そりゃそうだな。俺としたことが、柄にもなく無駄に期待をかけちまってるらしい。理想の美少女を作る……そんな夢を語り合えたのはお前が初めてだからな。まあ、その、何だ……出来たら一緒に作りたいと思っている」
「先生……」
……俺には分かる。先生のその孤独が。
「……それに、俺一人では行き詰っている部分があるのも事実だ。だから待ってるぜ。ここまで上がって来るのをな」
先生は自分の胸を指差して言った。
オキクの作ったツマミをあてに酒を飲んでいるせいか、随分と饒舌だ。
だが、俺はその言葉が嬉しかった。
「はい! 先生!」
いずれ昇ろう。その高みへ。
きっと今の言葉が先生の本心なのだ。だったらその期待を裏切るわけにはいかない。
それに……理想の美少女という単語に心惹かれるのもまた事実。前世ほど渇望しているわけではないが、前世の魂が尾を引いていた。
だから先生と一緒に作ってみたい。理想の美少女を。
そんなことを考えていると、オキクの淹れた冷茶を飲み終えたファラウェイがとことこと側までやってくる。
「エイビー。そろそろ寝るネ」
そう言って俺の手を取って来た。
「あ、ああ」
それもそうだな。今日は先生の居所を探したり、遅くまで書庫に籠ったりして疲れた。
オキクが先生に向かって確認を取る。
「アル様。こちらの空き部屋を坊ちゃまたちの寝室として使わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「ん? あ、ああ、それは構わねえが……」
この地下には個室もあるし、大きな浴槽のついた風呂も常備されていた。意外といいところだ。
そんな感想を抱いていると、しかし先生は狼狽えた様子で訊いてくる。
「……ちょっと待て。だからってお前ら、何で一緒の部屋に入ろうとしてやがるんだ?」
その問いに対し、ファラウェイがあっけらかんと答える。
「? 何でと言われても、ワタシとエイビーはいつも一緒に寝ているからヨ。今日も一緒に寝るつもりアル」
あの村以来、完全にその癖がついちゃったんだよな……。俺も最初は抵抗していたが、最近では逆に馴染んでしまって寝る時にファラウェイがいないと落ち着かないまである。
そんな俺たちに対し、先生は酒で涙腺が弱くなっているのか、目元にぶわっと涙を溜めて、
「やっぱりてめーは弟子でもなんでねえ! 俺の敵だああああああああああああ!!」
そう言って研究所の方に走り去ってしまった。
……凄く申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
これでは、たまに一緒に風呂に入っていることなんて絶対に言えないな……。
しかもファラウェイと風呂に入るようになってから、しれっとオキクまで入ってくるようになったことなんてもっと言えない……。
前世の俺からしたら天国のような状況だが、実際そんな状況になると困惑の方が勝るんだよな、なんて言ったところで自慢にしか聞こえないだろうから百パー言えない……。
いや、でも、ファラウェイは「子供同士だから問題ないネ」と言って入って来て、オキクは「親子のようなものなので問題ありません」と言って入って来るのだが、どうなんだろう……? やはり問題だらけの気がするのは気のせいだろうか……?
特にオキクは見た目が永遠に十五歳の美少女なので罪悪感がハンパない。
だからと言って、十二歳のファラウェイと一緒に入ることに罪悪感が無いのかと言えば、そんなことはない。むしろある意味では罪悪感がダブルアップチャンス。
しかし最近では考えることに疲れ始め、最低限のラインさえ守ってくれるなら放置することに決めている。
……見た目が十歳というのも色々大変だ。早く大人になりたい……。切にそう思う今日この頃。
「? アルはどうしたアルか? まあ、いつものことアルかネ。さ、早く寝るアル」
純粋なファラウェイのセリフに、とても心が痛む俺だった。
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