第一章

死と天生の狭間で

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」


 一人の美女が、盛大なため息をついた。真っ白な空間に不似合いな豪奢な椅子に腰掛け、肘掛に肘を付き頬杖を付いて酷く偉そうな態度だと、一条慎いちじょうしんは感じていた。


「一条慎。あんた、とんでもないことしてくれたわね」


「とんでもないこと、とは?」


「……ちっ。そもそも、あんたなんでここにいるか理解できてんの?」


 美女は不機嫌そうに舌打ちすると、けだるそうに銀色の長髪をかき上げてふんぞり返る。慎は押し黙った。ここに居る理由。そもそもこの真っ白な空間がどこなのか慎には分からないのだから応えようもない。自身の記憶では積荷を降ろした帰り道、トラックを運転していて気づいたらこの場にいた、というところまでは不鮮明ながら覚えていた。


「えぇと……トラックを運転してて……」


「それよ! あんたがあんなことしなければ……」


 美女はこめかみを押さえて頭を振る。ふわりと流れる銀髪が真っ白な空間に映える。そんなことをぼうっと考えている慎に、美女はじとっとした視線を向けた。


「それで、私はいったい何をしてしまったんでしょうか? というかここは一体? 貴女は?」


「ったく。あんた、居眠り運転で高校生跳ねたのよ。んで、その後あんたはハンドル切りそこなって建物に突っ込んで死んだの。ここは輪廻転生の輪に行き着く前の空間。あたしは女神ディアーナ。わかった?」


「は? 跳ねた? 死んだ? 転生? 女神? え? え? え?」


 情報量が多すぎて慎は処理し切れなかった。まず人を跳ねたという事実。跳ねてしまった人は無事なのか。突っ込んだ建物は、そこにいたかもしれない人々は。そして自分は本当に死んだのか。女神とはなんなのか。様々な考えが浮かんで消え、頭の中がぐちゃぐちゃだった。


「自分が死んだかどうか信じられないなら、自分の身体見てみなさい」


 ディアーナは脚を組み替え、めんどくさそうに告げる。薄い生地で出来たドレスに包まれた太腿がちらりとあらわになる。慎は言われるがまま自身の身体を見る。すると、そこにはあるはずの身体がなかった。というか下を見ているはずが、視界に入ってくるのは真っ白な光景だけだった。


「えぇ!? な、なんですか、これ!? 俺の身体が無い!?」


「そりゃそうよ。あんた死んでんだもの。物質マテリアルはここにはこれないからね。アストラルだけってわけ」


 慎はなんとなくだが、自身がもう失われた存在なのだということを実感する。まだ二十五歳だというのに死んでしまったのは悔しいが、死んでしまったのなら仕方ないだろう。そう自分を納得させることにした。


「それで、ディアーナ様。俺が跳ねてしまった人は……」


「は? 死んだわよ。軽トラならまだしも、大型に轢かれて無事なわけないでしょうが」


「あ……」 


 当然の事実だった。慎が運転していたのは長距離を走る大型トラック。それに轢かれては人間などひとたまりもないだろう。事故ではあっても人を殺してしまったという事実が、慎にのしかかる。


「どっちも死んでんだからクヨクヨすんじゃないわよ。それにあんたが跳ねた高校生は異世界に送ったわよ。神の加護ギフトと、あとなんか適当に才能四つくらいつけてね」


「才能ってそんな適当につけていいんですか……でもまぁ、それならよかった、のかな……」


 もやもやした思いは晴れないが、自分がひき殺してしまった高校生が次の人生を上手くいくように取り計らってもらえたようで、慎は少し安心した。まだ気になることはあるが死んでしまったのだからどうしようもないし、跳ねてしまった人のことも知れた。もう思い残すことはないと、慎がそう考え始めたときだった。


「あんた、なに勝手に自分でケリつけてんのよ。こっちにはまだ話すことがあんのよ」


 ディアーナは慎を、その黄金の瞳に怒りの感情を乗せてぎろりと睨みつけていた。


「あんたが跳ねた高校生ね、この世界をさらに発展させる超重要人物になる予定だったのよ。それをあんたが轢き殺してくれたせいで神々の計画がおじゃんなわけ」


 慎が轢き殺してしまった高校生は、おそらく何かしらの分野でとてつもない発明なり発見なりをする予定の人物だったのだろう。そこには神の思惑が働いており、本来であればこの世界の歴史に名を残すはずだった。それを慎が死なせてしまったのだ。


 これでは償っても償いきれない。慎は自分のしてしまった大きな過ちに暗澹たる思いだった。しかし、その時ふと思い当たることがあった。


「それは……申し訳ありませんでした……って、あれ? でも神様ならそんな事故からもその子を救えたんじゃ……?」


 そう、神ならばその運命すらも変えるだけの力を持っているのではないかという考えだった。それを聞いたディアーナは、


「ぎくぅっ!?」


 という素っ頓狂な声とともに肩をびくりと竦ませ、額に冷や汗を浮かべる。目が左右に泳ぎ始め、指をもじもじと合わせ始めた。


「……ディアーナ様? もしやその子死なずに済んだのでは……」


「うるさいわね! そうよあたしがちょーっと居眠りしてたからよ! 本当なら轢かれても死なない程度に抑えるはずだったのよ! ああもう! こんなのバレたらユピテルのジジイにはしこたま怒られるしたまったもんじゃないわよ! それもこれも全部あんたのせいよ!」


「えぇぇぇぇぇ!?」


 酷い八つ当たりだった。


「というわけであんたには罰を受けてもらいます」


「そんな理不尽な!?」


「世の中理不尽が常でしょうが!」


 ディアーナは有無を言わさず強引に話を進める。


「そうねぇ。高校生が転移した異世界に最弱モンスターとして転生かしらね。そんでその高校生の最初の経験値になってもらおうかしら」


「いやいやいや! 鬼ですか! ていうかあなたのミスもあったのにその仕打ち、酷くないですか!?」


「うっさいわね! 次の人生、いや魔物生? があるだけマシでしょ――」


 ディアーナが言いかけたその時、どこからとも無く低い老人の声で怒号が飛んできた。


「この、馬っっっ鹿者がぁぁぁぁぁぁぁ!」


「ひうっ! こここ、この声は、はは、はは!?」


 ディアーナは顔面蒼白になりあたふたしながらあたりを見回す。しかし、やはり周囲はまっしろな空間が延々と続いているだけで声の主は見当たらない。慎も辺りに目を配るが誰も居なかった。


「ほんっっっにお主は相変わらずよのぅ。監視の任も全うできず、挙句その失態を隠そうとした上に人の子に八つ当たりか。神の風上にも置けんのぅ」


「ユユユユユピテル様!? そそそそれは、あああのですね」


「言い訳無用じゃ。お主は一から鍛え直せ」


 老人の声がそう告げると、慎とディアーナを包む範囲に広大な魔法陣が現れた。その魔法陣を見たディアーナが青ざめて叫ぶ。


「げぇっ!? これ転移の!? ごめんなさいぃぃぃぃユピテル様ぁ! 真面目に働きますからどうかお許しを!」


「ジジイは耳が遠くてなにも聞こえんなぁ」


 老人の声は、ディアーナの懇願をとぼけたように聞き流した。そして思い出したかのように慎にも声を掛ける。


「すまんのう人の子よ。馬鹿女神が迷惑をかけたのぅ」


「いえいえ。ところでこの魔法陣、俺も範囲に入ってるんですが……」


「お主にはそこの馬鹿女神の面倒を見て欲しくての、一緒に転生してもらうぞい。神々の選んだ人の子を死なせた者も罰をうけるべき、と主張する神々もおってのぅ。この世界の輪廻転生の輪には入れられんのじゃ」


「そんなぁ……」


 慎はがっくりとうなだれる。というかうなだれるような仕草をとったつもりだった。身体が無いのだから落とす肩も垂れる頭もないのだが、やはり気持ちと言うのはなんとなく魂にもあらわれるようだ。そんな様子を察したユピテルが告げる。


「すまんのぅ。転移先はそこの馬鹿が言うておった、くだんの人の子が行った世界じゃ。神の加護も渡してやりたいがそれでは罰にならんしの。年齢だけ少し若くしといてやるかの。二人とも十八歳くらいにしといてやるわい。あぁ、識字と、言葉を通じるようにするくらいはいいじゃろ。ディアーナの権能は没収じゃ」


「嬉しいような、そうでないような……言葉はありがたいですけど」


「ちょちょちょちょ! 本気ですか!? ユピテル様!」


 二人の足元の魔法陣がいよいよ強く発光し始める。転移の時が迫ってきているのだ。


「ディアーナよ、お主には期待しとったんだがのぅ。いい機会じゃしっかり精進するんじゃな。お主の六権能『月』『純潔』『狩猟』『闇』『自然』『母性』は転移先にばら撒いとくからの。集めきれば元に戻れるかもの」


「ばら撒く!? は? 嘘!? くぅっ!」


 ユピテルの声が響いた瞬間、ディアーナの全身が脱力感に包まれ、膝を着いてしまう。神の権能がユピテルによって奪われたのだ。


 そして魔法陣が一際強い輝きを放った瞬間、


「ユピテルのクソジジイーーーーー覚えてなさいよーーーーー!」


 ディアーナの絶叫と共に、二人は一瞬で転移したのだった。

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