第6話 ー疑心感ー
蝉の大合唱が始める真夏の朝7時過ぎ、咲良は出かける準備をしていた。
今日は真司のワンマンライブの日なのだ。この日の為に真司は新曲アルバムも作り、お客さんを楽しませる施策を考え込んでいた。
そんな姿を身近でみていた咲良は楽しみにしていた日であった。
ステージが始まる前の真司は真剣な眼差しが印象的で、咲良は話しかけるのを躊躇していた。
しかし、真司は咲良に気がつき、笑顔で声をかけた。
「おお〜咲良!来てくれてありがとう。」
咲良は笑顔を返した。
19時。ステージが開演すると、そこには恋人の真司ではない別の顔をしたアーティストの真司がいた。
咲良は思わず見惚れてしまう。自分が真司の恋人だということを忘れて。
2時間の演奏が終わり、その後関係者が集まる打ち上げに咲良も呼ばれた。
咲良はステージでのアーティスト真司の顔が忘れられず、どこか遠い存在にいるような感覚が残っていた。
どこかよそよそしく隅っこに座っていた。
真司はソロで活動しており、打ち上げにはアルバムや映像制作のスタッフさんも多数おり、咲良が恋人だということは皆知らない。
彼女色を出してはいけないのかなと、真司とはあまり会話をせずに、隣にいたスタッフの人と話してその場を過ごした。
周りがガヤガヤしている中、テーブル2つ離れた先にいる恋人の声が聞こえた。
「今日のライブ来てた最前列の子めちゃくちゃ可愛かったなぁ〜まじであの子とデートしたいわぁ。誰か連絡先知らない?」
咲良は自分の耳を疑った。
真司はギターのサポートした大学の後輩と話していた。
咲良は彼女だということをスタッフのみならず、一緒に演奏するメンバーにも言っていなかったこともショックだし、何より自分の存在も気にせずに発言した言葉がまるで氷柱が心臓を突き刺すかのような見えない痛みと衝撃を受けた。
賑やかな酔っ払い達の話し声が入り交じる空間で咲良は一人、言葉を失っていた。もはや、この打ち合わせにいる存在意義すら見失っていた。
ワンマンライブの日は真司の誕生日でもあった。このライブが終わったら誕生日のちょっとしたサプライズを計画していた咲良。しかし、真司はワンマンライブの増員数ばかり気にして、なんとかことなき終えたことにしか頭がいってない様子で、咲良と会う時間を次の日もその次の日も後回しにされていた。
咲良はリビングでPC作業する梨々子に相談していた。
「昨日真司くんのライブが無事終わってね、そのあと連絡が来ないの。」
「あー言ってたライブか。」
「しかも打ち上げで、ライブに来てたお客さんとデートしたかったって言ってるのに聞いてショックだったの」
一呼吸して、梨々子が低い声で口を開いた。
「…そうねぇ。100歩譲って、咲良にヤキモチ妬かせたかったのかもね。だけど、人の心を傷つける奴は根本が腐ってるから、別れた方がいいよ。それに咲良がライブ前に色々手伝っていたのにお礼の言葉すらないんでしょ?30歳にもなってさ、人として終わってるって。」
梨々子のはっきりと物事を言ってくれる性格が咲良の心を動かした。
真司は誰よりも“売れたい”という貪欲な気持ちを持っていた。
恋人との関係性以外に、来場者への御礼のアフターケアをSNSで“ありがとうございました”で完結してしまう雑な所、口だけで行動が伴わない所、何より感謝の意を行動に移せない薄っぺらい所。
営業として普段クライアントと向き合う咲良から見て、人としてどうなんだろう?という疑問が湧いた。
彼が12年も続けているのに売れない所以なのだろう。
“売れたい”の大前提として、音楽で心動かすというのはその人の人間性が歌詞や行動に表れて人を魅力するのではないだろうか。たった一人の大切な人では無い、one of themという事実を突きつけられ、咲良の自尊心をボロ雑巾のように扱われる程の衝撃的な言葉を聞いてから血の気とともに気持ちが冷めた。
咲良はもう会う気も失せ、LINEで告げた。
「もう真司くんとは仲良くなれない。代理で買っといた9月の大阪行きのチケットはキャンセルしとくから自分で買い直してね。」
真司は大阪でとあるライブに呼ばれていた。ワンマンライブが終わったらお金払うからと依頼されて買っといたチケットをキャンセルした。
「わかった…。傷つけてしまいごめんなさい。」
咲良と結婚したい。付き合う約束事として傷つけないとお互い約束しよう。俺は嘘つかない人間だ。俺は絶対に売れるから。
自分を誇張し続ける自己顕示欲の塊。
結果、大嘘つき男からの謝罪の言葉がさらに咲良の感情を逆なでた。再発防止策が出てこないのだなと。自分が可愛いんだなこいつ。自己顕示欲と成長欲求は対立関係にあって、自分が可愛いから反対の意見は聞かずに、気がついたら年だけ老いていく。
「ただの歳くい虫じゃん。」
そう呟きSNSもLINEもブロックした。
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