その5 ホワイトディSS

 3月に入ったばかりのある日。


 その日はとても暖かく、コートも必要がないほどだった。天気予報によれば、4月上旬並みの暖かさなのだとか。


 わたしは2月の下旬の式をもって明慧学院大学附属高校を卒業した身だけど、今日は学生課に用事があり、巣立ったばかりの母校にきていた。春を先取りした白のワンピースは、学校の敷地内にあってはやや浮き気味に感じなくもない。


 手早く用を済ませて学務棟を出ると、そこで下級生に見つかってしまい、あれよあれよという間に囲まれてしまった。


 口々に話しかけてくる彼女たちの相手をし――頃合いを見計らって、ほら授業がはじまるわよ、とそれぞれの教室へと向かわせる。


 ひと仕事終えて、ため息をひとつ。


 さて、ここからは『槙坂涼』ではなく、わたしの時間。


「確かあの子、今日の授業はもう終わりのはずよね」


 スマートフォンを取り出し、電話をかける。


 もちろん、相手は藤間くん。


『……もしもし?』


 すぐに出た。


「こんにちは、藤間くん。わたし今、学校にきてるんだけど――」

『ああ、悪い。今日はむりだ。今度にしてくれ』


 ぷつり、と呆気なく通話は切られた。思わず端末をじっと見つめてしまう。


「もぅ」


 と、腹立たしさに足を踏み鳴らしていると、講義棟のほうからやってくる藤間くんの姿が見えた。思っていた以上に近くにいたらしい。彼もすぐにわたしを見つけたようで――なぜか苦い顔をされた。……ちょっとむっときた。


「改めてこんにちは、藤間くん」


 しかし、それを表には出さず、にこやかに挨拶。


「まさか待ち伏せていたとはな」

「失礼ね。たまたまよ。学生課に用があって、ついさっきすませたばかり」


 なるほど、と藤間くん。ここが学務棟前だということに気づいたらしい。


「悪いけど、こっちも今日中にすませておきたい用件があるんだ。また今度埋め合わせはさせてもらうよ」


 そう言うと、藤間くんはわたしの横をすり抜け、行ってしまった。


「え? あ、そう?」


 あまりの素っ気なさに、わたしは呆然とそれを見送る。


 どうやらいつもの軽口ではなく、本当に今日、何か用事があるようだ。しかも、その件をこなすにあたり、わたしと顔を合わせたことは、彼にとって都合が悪かったらしい。何なのだろう?


「ありゃ女だな」

「きゃっ」


 いつの間にか美沙希が横に立っていて、一緒に遠ざかっていく藤間くんの背中を見ていた。


 丈夫そうなジーンズに薄手のジャンパーという服装は、普段から男っぽい彼女をさらにオトコマエにしている。


「真にむりさせてんじゃないのか? お前が荒ぶるから、おとなしい女のほうがよくなったとか」

「そんなことあるわけないでしょ」


 荒ぶるって何?


「ぁ……」

「んだよ。思い当たる節があんのかよ」


 美沙希は訝しげに聞いてくる。


「後期テストの期間中、あの子の家にごはんを作りにいったのよ」


 そのときのわたしは、卒業できるのはとっくにわかっていたので気楽な身だった。だから、食事の世話をしてあげれば、藤間くんもその分時間を勉強に割けるだろうと思ったのだ。


「んで、うっかり毒でも入れたのか?」

「うっかり睡眠時間が短くなっちゃった」

「何しにいったんだよ!?」

「し、仕方ないじゃない。藤間くん、勉強してばかりだし……」


『天使の演習』のアルバイトも、ずっとわたしひとりで行っていた。ゆっくり会えない日が続いていたのだから、かまってほしいと我侭を言ってしまうのもむりからぬことだ。まぁ、タイミングを考えるべきだったとは思うけど。でも、無理強いはしてないどころか、彼もまんざらではなかったし。


「おーい、行くぞー?」


 わたしが曖昧不明瞭に言い訳を並べているうちに、美沙希は十歩ほど先に行っていた。


「い、行くってどこに?」

「決まってんだろ。後をつけるんだよ」

「……」


 決まってるのかしら?


 とは言え、わたしを振り切ってまで、藤間くんがどこに行くのか気になる気持ちは確かにある。


 わたしは美沙希の横に並んだ。


「本当に女の子と会ってたらどうするのよ?」


 そんな場面を目の当たりにしたら、きっと立ち直れない。


「真にかぎってそんなわけないだろ」


 しかし、美沙希はきっぱりと言い切る。


「そ、そうよね……」

「あいつにふた股かける甲斐性があるかよ」

「そ、そうよ、ね……?」


 そういう信じ方なのかと指摘するより先に、疑問を感じてしまった。藤間くんのことだから、案外そういうこともあるかもと思わなくもない。何せ、未だにわたしとはつき合っていないと言い張ってるのだから。その言でいくなら、女の子と会ったところでふた股にすらならないことになる。


「……」


 いや、いくら藤間くんでもそこまでの自己欺瞞はしない。わたしはそう確信している。わたしとのことを曖昧にしているのを建前に、ほかに女の子をつくったりはしないはずだ。


 しかし、さっきも言った通り、彼の行き先は気になるので、ここは美沙希の悪事にひと口乗せてもらおうと思う。




                  §§§




 学校を出た藤間くんは、まずは駅から電車に乗った。


 当然といえば当然だろう。こんな学校と住宅地しかないような場所では、行けるところもかぎられている。わたしたちも隣の車両に乗り――降りたのは私鉄や地下鉄、JRの交わるターミナル駅。


 そこから歩いて向かった先は、駅前の百貨店だった。


 何となく藤間くんにはそぐわない場所だった。用事とは買いものだったのだろうか。上のほうのフロアには大型書店が入っているけど、普段の会話からあまり利用しているふうではなかった気がする。


 藤間くんが迷いのない調子で足を向けたのは、催事コーナーだった。そこは今はホワイトディ商品の特設会場となっていた。


「あー……」

「……」


 それがわかった瞬間、美沙希が気まずそうに無意味な発音をした。もちろん、わたしも同じ気分だった。


 藤間くんは会場をひと回りした後、商品を3つ4つ手に取り、レジへと持っていった。ひとつとして同じものはなく、わたしたちは多少の後ろめたさがあってか、何を選んだかは意識的に気にしなかった。どんなものがわたしに回ってくるのか、当日を楽しみにしていよう。


 てっきり藤間くんはこれで帰るものだと思っていた。彼が外に出れば、わたしたちも解散。口には出さないものの、美沙希もそのつもりだったはずだ。だけど、どうやら彼はまだ何か用があるようだった。


「ほら、やっぱり女だ」


 美沙希はどうしても逢引にしたいようだ。


「槙坂が荒ぶるから」

「……」


 そして、そんなにわたしを激しい女にしたいのだろうか。


 藤間くんの店舗巡りは続く。


 ファッションフロア、小物・雑貨のお店、果ては地下の洋菓子店に書店……。統一性がない。何を買おうとしているのか、端から見ていてさっぱりわからない。というか、藤間くん自身も買うべきものがわかっていないのかもしれない。


 不意に彼がスマートフォンを取り出した。電話をかけはじめる。


 わたしだったらどうしようと思った。着信音で気づかれるほど近くにはいないけど、通話中の背後の喧騒ですぐそばにいることがバレるかもしれない。


 だが、それも杞憂に終わる。相手はわたしではなかったようだ。そして、横にいる美沙希でもない。……誰だろうか? わたしたちは顔を見合わせる。


 話は意外に短く、すぐに終わった。


 藤間くんは、そのままその足で書店へと向かった。今度は先ほどとはちがい、ぶらぶらと見て回る。単なる時間潰し、その間に面白そうなものが見つかったら儲けもの、といったところか。


 わたしのその印象は正しかったようで、約20分ほどしてから藤間くんは再び移動した。


 向かった先は、百貨店のすぐ外にあるフードコート。かくして、そこで待っていたのは、黒セーラー服に黒のオーバーニーソックス、切りそろえた前髪と長めの黒髪が人形めいていて、意外に和風の顔立ちをした女の子――。


「ナンパか?」

「妹さんでしょ」


 切谷依々子きりやいいこさんだ。


「ああ、そう言えばそんなことも言ってたな」


 美沙希は会ったことがなかったらしい。わたしは何度かある。


 切谷さんは目を吊り上げ、藤間くんに短く文句を言った後、颯爽と歩き出した。藤間くんは肩をすくめてから、彼女の後を追う。並んで百貨店の中へと入っていった。


 今度はふたりで店舗巡りをはじめる。


 だが、


「おい、揉め出したぞ」

「みたいね……」


 揉めるのも当然だろう。何せそこは女性用の下着売り場――ランジェリーショップの前。男女でくれば、揉める要素はいくらでも出てくる。


「真が買ってやるとか言い出したのか?」

「切谷さんが買ってほしいって言ったんじゃない?」


 ここまで先を歩いていたのは彼女のほうなのだから。ここに入ると言い出したのも切谷さんに見えた。とは言え、何となくどちらの想像もちがう気がする。


「真のやつ、女に着てほしいのを買うくらいしろよな」

「ダメね。あの子にそこまでの積極性はないわ。こちらから言っても恥ずかしがるだけだし」


「は?」

「え?」


 美沙希が驚いたようにわたしを見る。わたしも思わず彼女を見――そして、ゆっくり目を逸らした。


「そ、そもそも兄妹でしょ」

「誤魔化したな、おい」

「……」


 もちろん、誤魔化せているとは思っていないけど。


「因みに、槙坂の感触として、あいつの趣味ってどんなの?」

「え、藤間くんの? そうね。あまり過激なのはダメみたいね。でも、適度にセクシャルなやつなら――」

「……」


 にやにやと笑う美沙希の視線に気づき、わたしははたと言葉を止めた。


「あ、あなたねぇ」

「おっと、動くみたいだぞ」


 確かに美沙希の視線の先では、再び状況に変化があった。


 藤間くんが踵を返して歩き出したのだ。こんなところに入れるわけがない、といったところか。


 彼の背中を見ながら、切谷さんが肩をすくめた。その仕草は、自覚はないのだろうが、どことなく藤間くんと似ていた。新しい発見だった。さすが兄妹。


 切谷さんが藤間くんを追う。


 それからふたりは小一時間ほどをかけていろんな店舗を回った。

 主導権を握っているのは、常に切谷さんのほう。


「何か買ってやる気か?」

「かもしれないわね」


 答えながら、ふと、藤間くんがバレンタインにもらったチョコの最後のひとつは、彼女だったのかもしれないと思った。なら、今日のこれはそのお返し? ホワイトディにはまだ早いし、本人に選ばせるのは少々邪道のような気もするけど、あり得ないことではなさそうだ。


 でも、結局、ふたりは何も買わず、最初に待ち合わせたフードコートに戻ってきた。


 そして、ここにきて初めての買いもの。藤間くんがバニラのソフトクリームを買い、切谷さんに手渡した。


 彼女はふた口ほど食べた後、食べかけのソフトクリームを藤間くんへと差し出した。もちろん、彼は掌を見せて断る――が、切谷さんもさらにずいと目の前に突きつけてくる。仕方なく藤間くんはそれを受け取り、食べた。意外と美味しかったのか、彼は歯を見せて笑った。


 再びソフトクリームが切谷さんの手に戻る。


「……」

「……」

「兄妹よ」

「いや、アタシは何も言ってないから」


 わたしの感情は兎も角として、心温まる兄妹の図――と思いきや、切谷さんはこれで用なしとばかりに、藤間くんに向かって億劫そうに手を振った。もう帰っていいわよ、と。ずいぶんな扱いだ。


 藤間くんは苦笑しつつも、じゃあ、と軽く片手を上げ、それを別れの挨拶にして去っていった。


 切谷さんは、ソフトクリームを舐めながらその背を見送り、十分離れたのを確認してから――あろうことか、わたしたちのほうに体を向けた。目は明らかにこちらを焦点フォーカスしている。


 ソフトクリーム片手に、黒セーラー服の少女が近づいてくる。揺れる短いスカートとオーバーニーソックスの間に見える素肌の部分が少し色っぽい。一方、こちらはテーブルのひとつに陣取り、おしゃべりする二人組の女の子を装い中。まさか今から逃げるわけにはいかない。


「こ、こんにちは」


 ついにテーブルの横に立たれ、わたしはばつの悪い思いで挨拶を口にした。


「真ね、バレンタインのお返しの中に、ひとつだけ特別なのがあるんだって」

「ぇ……」


 切谷さんは真っ直ぐわたしを見ている。


「じゃあね」

「……」


 そして、彼女はそのふた言だけを発すると、身を翻し去っていった。


「……」

「……」

「それって、わたしだと思っていいのよね?」

「いいんじゃないの」


 美沙希はあっさりと同意した。


「……帰りましょうか」

「そうするか」


 なら、わたしは、今日藤間くんが何を得て、それをどう活かすのか、楽しみにホワイトディを待っていようと思う。

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